6カ月の壁
私がリハビリ病院を退院する時、同病院の外来リハビリで対応してくれたことで、安心しきっている私がいました。事前に退院してしまうと、「入院中ほど時間は取れない」ことは納得していましたが、目の前のセラピストの態度が、驚くほど事務的でした。
ある日、セラピストから「あなたのゴールデンタイムは終わりました。これから障害は良くなりません。」と宣言されてしまいました。
私は、「もう私は終わってしまったのか」と絶望し、傍らで聞いていた妻は、「退院した途端に冷たすぎる」と憤慨していました。
私のなかに、ただ真っ白で、平坦な救いのない虚無が広がっていく。
「冷たい」という感情すら超えた、完全な「無」でした。
リハビリ12年目の結論
いわゆる「6カ月の壁」とは、自然に治る期間のことでリハビリの効果など大きく、回復する可能性の高い時期が終わるだけの話です。しかし、セラピストの多くは、これから良くならない(回復限界)と考えています。
人間は、生涯にわたって絶えず環境に適応しようと、脳は新しい神経回路網を形成されます。それは脆弱で遅く、疲れやすかったりします。
本当は、「自然治癒」が望めなくなった時期だからこそ、適切かつ地道なリハビリが必要だと思います。
社会の病識という偏見
私が障害を治すという志を持っていると、専門家から、「障害受容」の話がたびたびありました。
素人から、「脳卒中をしたらもう終わりだ」という心無い言葉を投げかけることもありました。
私にはどちらも「諦めろ」という宣告にしか聞こえませんでした。
反論する術を持っていなかった私は、ただ黙って、「私の心まで荒んでしまったら、私の負け」とやり過ごすのをまっていました。
社会が勝手につくりあげた病識(偏見)の壁は分厚く、それを覆すには、私が普通の人に戻って証明するしかない。その静かな決意が、現在も私を突き動かす原動力となっています。
「私なりの過酷な、けれど貴重な運命を得た以上、社会にいくらかの爪痕を残したい」
リハビリ12年目の結論
発症8年経った頃から、自然に心ない言葉と無縁になっていきました。
他人からは「普通」に見えるようになったのでしょう。
「世間の常識なんて、実はあってないようなものなのかもしれません」
医療システムの限界
健康保険によるリハビリの終了を言い渡された時、セラピストも制度の枠組みのことを精一杯伝えてくれました。
けれど、命の危機を出したばかりの必死に生きようとしていた私にとって、血の通わない数字やルールの羅列は、理解を絶する医療システムでした。
もっと直したいという個人の切実な願いは、システムの都合で問答無用で押し出される「ところてん」のような「リハビリ難民」となった先に待っていたのは、現状維持を目的とした介護保険のリハビリでした。
気がついたら社会の片隅に追いやられていました。
リハビリ12年目の結論
日本には国民皆保険制度があり、国が医療費の7から9割を負担してくれ、安全性や効果を確認したものであるという、安心感や信頼感があります。
同時にリハビリを受けられる期間も決まっています。リハビリを続ければ改善する可能性がある人も、制度の枠からこぼれ落ちてしまいます。
年々医療費や社会保障費が膨らむ中で、国の財政は逼迫しており、命の危機を過ぎた後のリハビリに、いつまでも国がお金を出すわけにはいかないということです。
また、多くの患者が長期入院してリハビリを続けるとなると、病院のベッドがいつまでも開かず、新たな患者の受け入れが困難になってしまいます。ある意味では、やむを得ないことでもあります。
それでも自分の志を追求したければ、「制度や他人に依存せず、自分自身が最高のセラピストになるしかない」と思います。
専門家との温度差
私はセラピストから多くのことを学び、なんとか日常生活を送れることに感謝しかありません。それは揺るぎない事実です。
しかし、「麻痺は6ヶ月で固定する」という古い定説に基づき、できないことを補う道具や工夫を中心にセラピーが行われ、「麻痺を治すには」と私が問うと寡黙になるか、あんに諦めるようにさとしてくる。
彼らもまた「麻痺を改善する術」を知らないと悟った時の、絶望感や不信感。
わからなくてもいいから、一緒に探して欲しかったが、私とは違う方向を見ているようだ。そういう違和感がつきまといました。
リハビリ12年目の結論
PT、 OTの養成校で教えられるベースは、「麻痺は治らない」ということがあるようです。
それでも卒業後に、麻痺を治したいという患者の思いに応えるため、自費で勉強会に通い「脳科学に基づいた最新の技術」を習得するセラピストもいます。
国家資格を持つ同じセラピストでも、知識や情熱は千差万別です。
自分に合わないと感じたら、新たなセラピストとの出会いに心を切り替えること。
それが、良い結果を引き寄せる第一歩になるはずです。
無駄でも真実を探す
私は就職したての頃、大人の話に取り残されるショックから、必死に実用書を読み漁りました。いつしか「理論武装した若者がいる」と面白がられ、近所の経営者たちが、私と話をしにやってきた経験を思い出しました。
自動車を修理しようにも、ある程度メカニックについての、知識や経験が必要です。
脳梗塞になり、不自由な体になった今、何も知ろうとしなければ、「自分の人生」など切り開けるはずがありません。
私が読んでよかった本、インターネットやセラピストから、「治る」という希望に満ち溢れた情報のみ集めました。
「まず敵を知らないことには、勝機は見えない」と考えたからです。
真実と誤解
発症4年ぐらいの間は、健康な頃はタフが私の売りでしたが、何をしようにも、あまりにも短時間で息切れし、大汗をかき動けなくなりました。
いろんな専門家に相談しても「あなたは動けなかった時間が長かったので、体力はゆっくり回復させてください」と言われるばかりでした。
方法が見つからないので、通称リハビリでも、いろいろなフィットネスマシーンを相手に大汗をかいていると「ここはジムではない」、「そんなに頑張って意味ない」とかわるがわる声をかけられました。今はご心配をおかけして、申し訳なかったと思います。
頑張っても体力はちっとも向上しないまま、発症4年間の明暗。
そこで出会ったのは、元私のケアマネージャーで、PNF(固有受容性神経筋促通法)に精通したマッサージ師の「呼吸療法」でした。
私を苦しめていたのは、筋力不足ではなく、呼吸筋(横隔膜や肋間筋など)の麻痺による慢性的な酸欠だったのです。呼吸の仕方がわかると、体力や思考まで楽になりました。
心当たりがある方は、一度バルスオキシメーター(SpO2測定器)手に取ってほしい。運動時、充分な酸素が体に取り込まれているか、調べてみてはいかがでしょう。
そこには、従来の「根性論」では説明のつかない、数値化された真実が隠れているかもしれません。
徒労の覚悟
健康な頃は、「失敗しても努力を積んで、良い結果を出す」という精神で、すべてのことにあたってきました。
世間からダメ出しをされた「弱者」なんだからもう失うものなど何もないと思うと、心が「重い鎧を脱ぎすてた」ようにすっきりしました。
「良い結果だけがゴールでない」そう思わなければ、力など湧いてこないくらい「初めて大きな敵」に出会ったのだから。
納得感は自分で作る
字の下手な人に習字を習いたいと思いますか。習字の先生は、手本をかけることだそうです。
私がボールを投げられるようになりたいと、セラピストにリクエストすると「わたくしはボールを投げることはできないが、教えられます」と平然とミリ単位のセラピーが行われました。
健常者であるはずのPTが、片麻痺の私が見ても「変な歩き」と驚く歩行していました。
障害者の私たちにはいろいろと指摘をする方が、自分にはできないのはなぜだろう。健康な頃は、運動神経に少々自信があった私は、何となくすっきりとしませんでした。
普通の人は、個性として胸を張っているのだから、障害者と何が違うのだろう。同じ人間だから「器用、不器用」得意なことはみんな違うのは普通なことです。
社会では「教える側」と「教わる側」は、いろんな場面で交代することは当たり前なことです。
今残っている自分の能力を冷静に判断するなら、きっと人には負けない部分があるはずです。
「生きる意味」は誰でもそんなところでしょう。
無駄が意味に変わる瞬間
自宅で自分なりのリハビリを、毎日がむしゃらに試行錯誤していました。
救急隊員の息子が「父ちゃんは私たちに厳しかったが、自分にも厳しいんだね」と。脳卒中で苦しむ人を見てきた息子が「もう駄目だ」と思っていた親父が想像を超えて動いていることに、感心していたようです。
私のリハビリの意味が、もう一つ増えた瞬間でした。
どんな人生を生きるか
通所リハビリで、同じ脳卒中患者との会話です「あなたを見ていて努力すれば良くなるのはわかったけれど、私はほっといて」私が「なぜ」と聞くと「自分はこのままでいいから、残りの人生はゆっくり過ごしたいと思っている」と。
みんな幸せの形が同じはずがない。自分の幸せは自分で決める普通の話です。
結び
私は廃人のようになってしまい、あの時は時が止まったかのよう、長くつらい一日一日が、ただ恐ろしかった。
しかし、リハビリ12年目を迎えた今も、私の模索は続いています。
社会が引いた「6か月の壁」の向こう側で、私は今日も納得という名の、徒労を積み重ねています。
「その先に何があるのかは、まだ誰も知りません」

