呼吸-回復への鍵

急性期の病院

日常から、異世界への転落

前日も、友人と酒を酌み交わし、いつもの暮らしを謳歌していた私が、救急搬送され病院のベッドの上でした。
「ちょっとした故障だ。少し休めば治る」そんな楽観的思いは、ベッドから起き上がることを許されず、食事も出てこない現状を前に、音を立てて崩れていきました。
お見舞いに来る人々の沈んだ表情に自分が「とてつもない場所」へ来てしまったのだと、静かな恐怖が忍び寄ってきました。

呼吸療法につながる出来事

看護師が朝昼晩と、検温、血圧を測りに来ます。ふと見ると、安静に寝ているのに脈拍が「120」ある。
不思議に思い看護師に尋ねると、はっきりと答えず無言で立ち去る。
3週間ほどで「命の危機」を出したようで、リハビリを開始しようとすると「血圧が165以上なので、危険だからできない」とPTから言われました。
それを医師に話すと「彼らは神経質だからなぁ、あなたは今、血圧を下げてはいけない」と、「責めたい医師」と「守りたいリハビリ」の板ばさみで、「体」も「何もかも」思うようにならない現状に、不安でいっぱいになっていきました。

 

 

 

 

 

脈拍120とは

安静の状態で、脈拍が120を超えているというのは、走っていると同じ負荷が絶えず、心臓にかかっている状態です。
脳梗塞の直後は、詰まった脳細胞に血液(酸素)を届けようと、必死で防衛反応を示していました。
血圧を上げ、心臓を速く打ち鳴らす。それは「窒息寸前の体」を救おうとする心臓の命がけの叫びだったのです。

リハビリ病院

呼吸療法に気付けなかった

歩く、手を動かすセラピーの中に、仰向けに寝て、おへそを見ながら「あー」とか「うー」と声を出すセラピーがありました。
私が「これは何」と質問すると「インナーマッスルに効く運動です」とPTが説明してくれました。
体型体育会系の私は「腹筋が弱いので、こういう鍛え方があるんだ」と呼吸のことは気づけませんでした。
この頃は、自分の思いどおりに動かなくなった、右半身にばっかり気がとられ、なんとか動かす(鍛え直す)ということに集中していました。

呼吸を復活させるためのセラピー

呼吸は、息を吸うのは「横隔膜」。強く息を吹き出す、声をコントロールするのは「腹筋」です。
仰向けで頭を少し上げて、おへそを見る姿勢は腹筋に力が入りやすい状態を作り、腹圧を高めることで横隔膜を押し上げて、効率よく空気を肺から押し出す練習になっていました。
「アー」とか「ウー」と声を出すことで、声紋を適度に閉じる練習になります。
これは「嚥下機能」や「咳をする力」に直結する能力を養うものでした。
私が筋トレくらいにしか思わなかったセラピーは、実は呼吸療法だったのです。

私にとっての易疲労性

タフを売り物にしていた私にとって、最も辛く許せない症状でした。
何をするにも1~ 2分で大汗をかき、呼吸が苦しくなってしまう。
発症二年は、好きだったテレビですら、私には凶器に変わってしまった。
廃人そのものと、私は思っていました。
いろんな専門家に相談しても「あなたは動けない時間が長かったので、体力はゆっくり回復させてください」と言われるばかりで、「どうにもならないのか」と落胆していました。

なぜ呼吸が大切なのか

健康な脳は無意識のうちに、情報処理が省エネで働いています。
しかし、脳に損傷があると自動に行っていた(歩く、話を聞く、周囲を見るなど)に膨大な意識が必要になります。同じ生活を送るだけでも、脳はフル回転を強いられ、あっという間に、脳がガソリン(神経エネルギー)を使い果たしています。
脳は体重の2%ほどの重さですが、酸素消費量の約20%を占めています。
筋肉は酸素が足りないと、無酸素運動に近い状態になりやすく、疲労物質がたまってしまいます。
地球の酸素濃度は21%ですが、1%でも薄くなると人間らしい高度な「論理的思考」や「感情制御」といったものができなくなるそうです。

アナトミートレイン

発症二年過ぎに出会った本に、私の苦しみの地図が描かれていて、バラバラだったものがひとつの意味をもった瞬間でした。
それは、内反尖足、後脛骨筋、内転筋、腸腰筋、横隔膜、呼吸筋、嚥下反射、構音障害。ディープ・フロント・ライン(DFL)私のカルテそのもので、驚くほど見事に下から上へと、連鎖の図が書かれていたのです。
まさに私の「身体に一本の川が流れている」足元の不調が呼吸を縛り、喉の自由を奪っていた。
もつれた糸を丁寧にほぐす必要性を実感しました。

呼吸-DFLの通過点

DFLが解き明かしてくれた事実は、呼吸筋(横隔膜)が麻痺しているということは、単なる酸素不足だけでなく、足元から届くはずのエネルギーを喉へと届ける「中継地点」が滞ることを意味している。
足の内反尖足が糸を引き、呼吸を縛り、それが喉(嚥下)の自由を奪うという連鎖です。
全身の不調は、その部分だけではなく関連しているので、一か所を治すという考えだけでは不十分だということです。
呼吸は足元から喉への「通過点」で全体をほどくための「鍵」でもあった。

 

 

 

 

 

通所リハビリ

疲れやすさをいろんな専門家に相談しても「あなたは動けなかった時間が長かったので、体力はゆっくり回復させてください」と言われるばかりでした。
通所リハビリでも、いろいろなフィットネスマシンを相手に、はあはあと大汗をかいていました。マシンは利用者の脈拍が120に達すると、アラームがなる仕組みで、聞きつけたスタッフが飛んできて「無理しないでください」と毎回私を制止させます。確かに私以外の方で、アラームが鳴っているのを聞いたことはなかった。
健康な心より脈が速くなっているのは気になっていたので、PTに相談してみると「心臓は別のシステムで動いているので、脳梗塞とは関係無い」とのことでした。
そんなある日、施設の片隅に吊り下げられていた、パルスオキシメーターを見つけ、スタッフに用途を尋ねると、体に酸素が充分あるかを調べるものとわかりました。
使用してみると90から95%ぐらいはありました。数字についての基準を聞くと、通常は98から95%、 90%を切ると酸素吸入が必要なレベルとのこと。私はギリギリセーフだろうと思っていました。

健康な頃の私の認識

運動経験者からしたら「脈拍120なんてアップ程度」、「試合になれば脈拍180は普通」という感覚でいました。
運動し体力をつけると思っている私には「何をそんなに大げさな」と思っていました。
でも、「脈拍120程度にしては、この苦しさはただの体力の衰えではない」と感じていました。

マイパルスオキシメーター

ある日、テレビでオリンピックの水泳候補選手が、高地でトレーニングをしているドキュメントを見ました。
その時、自分を思いっきり追い込んだ選手がすぐにパルスオキシメーターをつけ「70代に入った、苦しい」と言っているのを見てハッとしました。
早速パルスオキシメーターを購入し、自分の運動時を測ってみたら、あっという間に70台に達してしまったのです。
多くの脳卒中患者は、安静時にはかり「問題なし」と判断されていると思います。
ここが、多くのリハビリ難民が陥る「空白の落とし穴」だったのです。
もし、原因不明の疲れを感じているなら、一度、動いている最中の酸素濃度を測ってみてほしい。

 

 

 

 

呼吸療法との出会い

発症4年過ぎ、3年間お世話になった介護保険による通所リハビリを卒業することになりました。
しかし、この体ではリハビリは継続しなければならないと考え、元私のケアマネージャーでPNF(固有受容性神経筋促通法)に精通した女性マッサージ師に、自費でお願いすることになりました。
以前から公的保険のリハビリが終わったなら、この人に頼ろうと決めていました。
ある程度、私の障害のことは把握していたので、これまでの私の経験をお伝えすると、「私は呼吸療法に精通しています」とリハビリの中に入れてくれることになりました。

呼吸療法の施術

まずは私の胸を見て、「四角い胸」と表現し、お腹周りが機能してないせいで、肋骨が開きっぱなしになっている現状を説明してくれました。
それから、私を仰向けに寝せて、肋骨の下方を閉じるように、口をつぼめ呼吸を繰り返す。その時、肋骨下部を絞めて息をする感覚を、頭の方から両手でサポートしてくれます。まず息を吐ききる感覚を教え、その状態を保ったまま息を吸う感じです。
それまでも、私は一生懸命に呼吸していたし、肺に問題があるとは気づけませんでした。
一見地味のようですが、最も大事なことを取り返したのです。

呼吸療法がもたらした静寂

肺から取り込む酸素量が足りないと、脳や筋肉など臓器は「酸素が足りない」と悲鳴をあげて、心臓は必死で脈を上げて頑張って、酸素を届けていました。
それも気付けない私が、根性で頑張り続けるから、アクセル全開で走り続けるしか他になかったと思います。
当然のように、肺が酸素を取り込めるようになっていくと、心臓が「そんなに頑張らなくても酸素が足りているんだ」と気付き回転数を落とす。
発症時、安静にしていても脈拍が120あったのは「窒息寸前で、心臓が命がけで私を支えてくれていた」と理解した瞬間でした。

呼吸療法は必然の出会い

徐々に、運動負荷をかけられるようになっただけでなく、あの「靄がかかったような思考」まで改善を感じられるようになりました。
やはり人間と酸素は、一心同体。脳梗塞という過酷な経験が教えてくれたのは、目には見えない「呼吸」という、生きていくための最も大切な鍵でした。

 

 

視点志向
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脳卒中克服の手がかり
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