移動能力

車椅子

急性期病院へ搬送され、三週間は点滴を付けられ、ベッドから起きることも制限されていました。生まれてから50年以上健康に過ごし、自由に生きてきた私にはとても辛いことで、命が助かった感謝など気付けず、早く元通りの生活に戻ることだけ考えていました。

点滴が外れて、すぐにPTが来て私を車椅子に乗せ、取りあえず廊下で立てるかを見てくれました。ベッドの上でも体の異変に気付いていましたが、立つことも厳しく、歩くなどとても無理なほど、私の理解を超えてしまった現実を目にしました。
あまりに悲惨すぎて、受け止めきれなかったと思いますが、その時は「何とかなるさぁ」と気持ちを切り替え、車椅子で病院内を、自由に探検するという興味が勝りました。

車椅子なら安全に楽に行きたい所へ移動できる。初めて体験する車椅子生活を、エンジョイし始めました。

我慢

リハビリ病院へ転院すると、車椅子生活の人は少数で、リハビリと共に自分の足で歩くのが一般的な流れで、一時的な方法だと自然に自覚出来ました。
そうなると、車椅子の素晴らしさより、不便さが気になるようになりました。
一日中、車椅子に座っていると、腰やお尻が痛く。リハビリ病院の床は患者が転倒した時を考え、クッション性がある柔らかい素材な為、車椅子が動きにくく重く感じた。
食事は全員同じダイニングで頂き、食事を終えた順に席を立つのが通常ですが、車椅子が通り抜けられるまで、待つしかなかった。
外出した時、世の中はバリアフリーになっていると思っていましたが、意外と車椅子では行けない所が多く、道は排水のため側溝へ少し傾いていて、車椅子はそちらへ吸い寄せられてしまい危険だった。など、挙げればきりがありません。
今は仕方なく車椅子に頼らざるを得ないが、歩けなくなってしまうと、歩くことに憧れていました。

自己実現の道具

車椅子生活をした経験は、私の人生に大きなインパクトがあり、視野が広がりました。
車椅子からの目線は、立った状態の半分位低く、圧迫感や劣等感などストレスが、常時かかっていました。
その中でも、いろいろな後遺症を克服しなければいけないが、自分の明確な目標を実現するため、歩行のリハビリは続けるが、電動車椅子での移動と割り切って、復職するのを最優先するため、言葉やコミュニケーション能力の改善にリハビリを割いたという、自己実現のため車椅子を利用することを選んだ人。
車椅子での少し不便な生活以上に、人生を楽しんでいる人。
二足歩行とは、人間が進化する上で、手に入れた素晴らしい移動方法だと思いますが、それはもろく、簡単に破綻してしまうものでもありました。
一生健康に過ごせれば、何の問題は無いと思いますが、誰でも明日の我が身のことなど、わからないはずです。
自分に起こる全てのことは受け入れ、どう生き抜くのかは、自己責任でしかないと思います。

装具と杖

リハビリ病院で、私の右片麻痺が重いらしいと、セラピストや医師の対応の様子で感じました。
まず立てないことには、歩くリハビリに進めない。しかし、右足首から先は内反尖足し、下垂足、「しっかりしろ」と気合を入れても応答なし。
そんな足首を、装具は内反してしまうのを制限し、つま先が上げられず、歩行時に床に引っ掛からないように補助してくれます。装具を付ければ、とりあえず立てるようになり喜んでいましたが、歩くということが、どれだけ大変なのか思い知らされることになりました。

四点杖

健康な人が年を取って、つまずいた時の用心の為にと杖を持つのと、私のように重い麻痺がある人が、使う四点杖は、まったく意味が違いました。
装具を付けて麻痺足を補助したとしても、姿勢調整能力も障害されているので、立つことが不安定で、どこかにつかまりたい状態。それを助けるのが、小さい机のような四点杖でした。
その当時は、脳卒中の後遺症についての知識は乏しく、なぜそうするのか理解出来ないまま、セラピストの言う通りに頑張るだけでした。
四点杖を含め三本足で立って、四点杖を一歩前へ出してから、右足、左足とついていくのが、三拍子の歩き。
四点杖と右足を同時に出して、左足がついていくのが二拍子の歩き。
ややこしい使い方の上、四点杖は重く、左腕や背中が凝って、どうにもならなくなってしまいました。
それは、バランスを四点杖と左足だけでとっていて、右側の体は荷物のように、付いていたという感じで、無理に歩き、効率が悪かったと思います。でもその時は、他の術も知らず、無我夢中で取り組みました。
左右の足が交互に前へ出せば歩けるのではなく、姿勢調整など、歩くためには無意識のうちに色々な能力を使い、歩行は成り立っていました。

T字杖

四点杖でのバランス感覚の再学習も進み、四点杖の重さにギブアップしていたこともあり、T字杖にステップアップしました。
二拍子の歩きで、本人は上手く歩いているつもりでしたが、麻痺側の右足の歩幅が、左足の1.5倍くらい広いことに気付きました。他の片麻痺患者も杖を使っての歩きは、麻痺側の歩幅が広いことは共通でした。きっと麻痺足には荷重が掛かっておらず、ブラっと体に付いているだけで、杖のお陰で、楽していたからだと思います。
右の歩幅を意識的に狭くしたりしましたが、違和感は変わりません。杖に頼った歩きを捨てないかぎり、解決しなそうでした。
杖をつかないように、廊下で自主練をしていると、セラピストや看護師から注意をされ続けました。院内での転倒事故を心配し、私のためにしてくれたはずです。

杖なし歩行

転倒事故は、本人もセラピストも絶対してはならないと考えているはずです。転倒しないために杖が必要なのです。本来は、セラピストはリスクを取りません。
女性PTが、最初に杖なし歩行のリハビリに取り組んでくれ、少しずつ距離を伸ばすと同時に、転倒の仕方も、リハビリして頂きました。本当に感謝いたします。

My装具

発症3ヶ月頃、私の足の型を取り、オリジナルの装具とその上に履くシューズが出来ました。
歩きやすさに感激した私は、病院の外を、上り下りの坂道を、6000歩くらい歩いてしまいました。翌日、健足と思っていた左足に激痛が走り、寝たきり生活に逆戻りになり、リハビリも出来なくなってしまったので、退院を申し入れました。
健足と思っていた足は、非麻痺側と言い、何らかの麻痺の影響を受けているうえ、ベッドや車椅子生活により筋肉自体弱っていた。そういった知識を持たない私は、無理な事を左足にしてしまって、壊してしまいました。

装具を外す

退院後も同病院の通院リハビリに通っていましたが、リハビリの頻度も減り、発症七か月過ぎには、「障害は良くなりません。」と言い渡され、リハビリは終了になってしまいました。
頼りにしていたリハビリを失ってしまって、途方に暮れてしまいましたが、自分の人生は自分で責任を取るしかないと思いました。
不快感や格好悪さで、何とかしたいと思っていた装具を外す、無謀な判断をしました。
その当時は、無知過ぎたと反省していますが、本来は筋肉や骨格のアライメントを直し、全身の協調運動や姿勢調整の再獲得、全身の機能を取り戻しながら、その時の能力に合った装具を、徐々に小さな物からサポーターなどに変え、安全を確保し、時間をかけて進むべきでした。

装具のデメリット

立つこと出来ないほど障害を負ってしまった私が、装具を付ければ歩けるようになったというのは、大きなメリットでしかありません。
しかし、装具に依存し過ぎることの、デメリットも理解したうえで、使いこなした方が良いはずです。
私の場合は、麻痺して自由にならない足首を装具は制限し、補助してくれていますが、動かせない筋肉は不使用のままで、再学習する機会を無くしてしまいます。脳のその筋の領域は縮小あるいは、廃用してしまう危険があります。
装具の平らな丈夫な底は、感覚が伝わりにくく、足のロッカー機能など、本来の自然な歩容を取り戻しにくい。
安全も大切ですし割り切りは必要ですが、メリットもデメリットも、自分にとって適切なものか、自分の人生の中でどう付き合っていくか、長い目で見た判断が、大事ではないでしょうか。

安全

車椅子、装具、杖などを、使ってでも安全に移動し、自分の人生を楽しむ方が、正しい考え方だと思います。
私は幸いに大ケガをすることも無く、時間は掛かりましたが、補助具なしの歩行を再獲得出来ましたが、転倒やケガ、危険な思いなど、マイナスなことも多く乗り越えて、それなりの努力もしました。
本当に安全性は、一番に考えなければならない重要なことです。その意味では自分のした、リスクを駆け引きさせながらの挑戦は、まともとは言えません。
その中での学びは、いくらか脳卒中の後遺症を克服しようと思っている人の、お役に立てないかと願い記してみます。

二人で一人

私は発症4年位までは、常に妻と二人で生活しなければ、生活も困難でした。現在でも、やり慣れないことや、危険なことをする時は、妻に見てもらっています。
障害を負った体は、予想も出来ないような珍事が日常に起こり、笑ってしまうようなことが出来ずに、もがき苦しむことが多々ありました。
例えば、トラクターでフカフカに耕した畑を歩こうと、入った途端足が取られ転倒し、立ちあがりたくても、フカフカの畑の中ではどうにも身動き出来ず、妻に助けを求めたり、猫が親愛の行為で私の足をスリスリしただけでバランスを崩し、小さな猫でさえ、私を転ばせるには十分な存在になってしまったけど、どけることすら出来ないなど、一人では些細なことがリスクになって、前へ進めなかったのを、手助けしてもらうことによって生活してきました。
又、私が何らか大ケガを負った時などは、見ていて助けを呼んで欲しいと、お願いをしてあります。
一人では躊躇してしまうことでも、二人なら進む勇気が湧いたことは、人生において大きな経験になりました。
妻には、言葉では表せない感謝しかありません。

環境

健康なら気にならないことでも、危険を感じてしまうことが多くありました。想定出来る事は対処方法を考えておりますが、不意に起こった時は身動き出来ず、他人に迷惑を掛けてしまいました。
私は田舎暮らしなので、歩行コースは比較的安全な方だと思いますが、風だけでもバランスを崩す原因になりましたので、風向きによっては、土手が風よけになるコースに変えたり、歩くのを中止しました。
雨上がりは、水たまりの大きさや滑りやすさなどを考慮し、車があまり通らないコースを選びました。
慣れない人込みは、危険がいっぱいありました。人の流れに乗れる歩行力がないと、後ろから突き飛ばされる恐怖感。前から来る人とぶつからないように、身をかわすことも難しい。他人から足が不自由とわかるように、杖を持つ方もいらっしゃるようです。
階段は手すりに頼っていきますが、子供が前から来た時などは、手すりを譲るしかなかったなど、想定外のこともありました。なるべくエレベーターを使わせて頂くようにいたしました。
点字ブロックも、片麻痺者には歩きにくく、なるべく上を歩かないようにしました。
その他、エスカレーターや電車とホームとの隙間、バスのステップの高さなど、落ち着いて対応しないと、パニックになりました。
少なくとも携帯電話を持って、出掛けるようにする方が良いと思います。
環境に適応していかないと行動範囲も狭くなってしまいます。意識の向け方や対処手段を、事前に、自分の能力と折り合いをつけておいた方が、良いと思います。

歩きづらさ・つまずく

後遺症で歩けなくなると、どう歩いたら良いか、他人の歩きを観察するようになりました。
普通の人でも歩き方は個性があり、不自然な歩行バランスの方も多く、でも、その人にとっては、効率の良い歩行なのだと思います。
私は上手く歩けるように試行錯誤していますが、一つ直すと歩き方を変えなければならず、自分の身に付くには、いろいろなことを意識して歩くことに、長く取り組む根気も必要です。私の学習が足りないから、時間が掛かるのは仕方のないことだが、必ず出来ると思い込むようにしています。
その元になったのは、リハビリ病院で歩行練習を一生懸命に行っても、なかなか思い通りにならず、「格好悪くても、力ずくで歩いてやる。」と決心して挑んだ時、PTに言われた、「それじゃあ障害者だよ。」という戒めの一言です。もしも、力ずくで歩くことに固執していたら、改善はおろか、歩けなくなっていたかもしれません。
本来、歩行は全身が協調し、無意識でしているはずですが、私の場合は、体のあっちこっちがでたらめに動き、足を引っ張りあっている感じです。一度失うと再獲得するには、難儀なことです。

麻痺側の足

脳卒中で倒れたら、歩けなくなったので、麻痺した足が原因だと考えました。意志が伝わらず、グニャグニャで勝手な動きをする、自分の体とは思えないヤツ。でも、手なずけないと歩けるようにならない、困った存在でもある。私の麻痺足とのやり取りは「内反尖足・下垂足」に記してあります。
その他、麻痺足は荷重を掛け過ぎると、足首やヒザが砕けてしまう、弱さが常につきまとい、少しずつ荷重をかけ改善させてきました。
発症8年過ぎに気付いたのは、必要以上に荷重を掛け過ぎたため、麻痺足が重く動かしにくくなっていました。いつからかは分かりませんが、体の垂直軸も麻痺側へ傾いていました。片麻痺だというコンプレックスが、過剰に反応した結果かもしれません。

非麻痺側の足

過剰に努力を常に強いられ、痛み続け、それでも休まなかった凄いヤツです。
すごく疲れているはずなのに、麻痺足ばかり関心がいってしまい、ほったらかしになりがちですが、重要に扱うべきです。
凝り固まった筋肉などのケアは、毎日いたしました。
歩き方を変えると筋肉痛以外にも、それまでとは違った、動きや感覚などを教えてくれます。又、麻痺足が引っ掛かって転倒してしまう場合など、非麻痺足の立脚域に、骨盤や重心を十分乗せていないことも、注意するべきだと思います。
麻痺足のヒザを上げてと、注意されることが多くありましたが、ヒザをあげようと努力するほど、変な歩き方が増々酷くなりました。むしろ、非麻痺足に重心を乗せ、麻痺足を楽に振り出すような意識をする方が、上手く歩けてつまずきにくくなりました。

体幹や麻痺手

入院中は、まったく動かず、寝返りする時も背中へ麻痺手が回ってしまうなど、邪魔で「こんなダメな使い物にならない手なら、切ってくれ。」と嘆いたら「手はそれなりの重さがあり、バランスが崩れ歩きにくくなってしまうよ。」といなされたのを思い出します。
リハビリ病院で歩行練習中、ダラッと動かせなかった麻痺手を、PTが歩きに合わせて振ってくれました。
歩行とは全身の動きが協調し、絶妙な姿勢調整などが、自然な動きとなって成り立っています。
片麻痺になってしまうと、動かない又は、動かしにくい体を、動かせるところで補って、力ずくで歩いているので、非常に効率が悪くなってしまいます。
生活するために、精一杯の努力でもありますが、体の機能は少しずつ改善し続けますので、それに伴ってリハビリを、見直しするべきですし、どこをどのように意識しながら歩くだけでも、良いリハビリになるはずです。
その他、麻痺側の尻が後ろに引け、脇腹がつぶれる、手が曲がるや体に当たる、姿勢や体軸が狂うなど、普通の歩きを失うと、再学習するのは大変困難です。
発症9年近くになった現在でも試行錯誤中です。しかし、自分の歩きに、なりつつあります。

求める歩行能力

障害の程度、生活環境、目的や目標、幸せの形、性格や考え方、習慣、職業、年齢、趣味、家族などで、求められる能力は全く違うはずです。
その中で、本人の割り切りや代替え策を、見つけ出さねばならないもので、答えは無数にあるし、時と共に変化すると思います。
私は車椅子生活も経験しましたが、幸いに歩くことが可能な程度の障害であったので、苦労しても歩行能力を取り戻そうとする中での、経験や思いを記してみます。

安定性

発症3~4年位は、体調が安定せず易疲労性、不眠、めまいなどの影響で、自立した生活は不安で、妻と行動を共にしていました。体調不良な日は、動きが鈍く、姿勢など保ちにくく、上手く歩けないが、歩けなくなるという強迫観念で、そうゆう日もあえて歩き、何とかしようと必死でした。
寒さや立ち話など、緊張すると体中が硬くなって、普段通りには歩けなくなる。
足元が滑る、傾く、不安定、梯子に上るなどバランス感覚がなく、怖くて身がすくむ。
色々な条件で安定性の確保は難しくなりますが、脳の中で修正が少しずつ起きており、安全を確保した上で、苦手なことへの挑戦は、再学習するために必要でした。
挑戦したらすぐ出来るようにはなりませんでしたが、体の中に少しずつ蓄積されていき、年単位で評価すると、進歩していくのが感じられました。
健康な時のような体には戻れないと思いますが、歩行やちょっとした作業なら、発症9年の現在は、安定性が出たと思います。

速さ

発症前のような機敏な動きは話にならない、普通に歩くだけでも難儀します。私が苦労するのは仕方がないが、他人の迷惑になるのは、心苦しい思いをしました。
横断歩道を歩行者信号が青のうちに渡りきる速さ。
人混みで、流れにのれる速さ。
友達と並走して歩く速さなど、しかも、安定的に違和感なく出来る能力が目標になりました。
発症8年過ぎになんとか、自分で納得できるような速さで、歩けるようになりましたが、足音は段々良くなっているものの、時々、麻痺足のソールとアスファルトに擦れる音が出てしまい、友人に心配をかけているようです。

歩き続けられる距離

健康な頃を思い出せば、10㎞位は文句を言いながらも歩けたと思いますが、1㎞以上歩くことはほとんど無かったと思います。
発症9年経った現在も、相当苦労しトレーニングし続けても、続けて歩けるのは2㎞位がせいぜいで、もっとも持久力は苦手です。
しかし、田舎暮らしでは自動車、タクシー、公共の電車やバスを上手く使いこなせば、そのくらい歩ければ問題ないと考えています。
むしろ長距離を歩けるより、50m走りたいと思っています。

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