リハビリに疲れた

私は幾度もリハビリに疲れ、何のためにするのか見失い挫折しました。その都度、なんとも言えない虚しさが身に充満し、途方にくれました。
何もあがかなければ、何も変わらないことに、自分を取り戻し、再び動き出し、何かを改善すると、リハビリの意味を自覚することが出来ました。
その繰り返しを、わかっていてもしてしまう、私は弱い人間だとつくづく思います。
自分のことを、冷静に見ることが出来れば、迷いも減ると思い記してみます。

思うように動かない苛立ち

健康な頃は、自分のことは何の疑いも無く信じていて、新しいことを取得する訓練も、努力した分納得いく成果も得ました。「特殊な技術でも、普通の人が持っている能力なら、私にも出来ないわけがない。」人間は大きな差などなく、興味や努力が得意、不得意になるだけだと考えていました。
しかし、自分の体が、麻痺するということは、今までの価値観や成功体験は通用しない。
どう対処していいのか。何もかもが空回りしてしまい、闇の中へ落ちてしまった。
自分、セラピスト、医師、看護師や全ての人が頑張っているのに、思うように動けなく、怒りをぶつける所すらわからない。
心はいつも苛立っていました。

学んだこと

ただがむしゃらに頑張り続けるだけでは、道が開けるどころか麻痺の前では、挫折や無力感しかありませんでした。
私は書籍を読み漁り、発症2年以上かかったころから、少しずつ見えてきました。麻痺を改善させるための方法が、理解出来だすことによって、自分自身を信じて、正しいトレーニングを反復し、努力し続ける限り、一生改善し続けるということです。
こうすれば改善するという単純な話ではなく、鍵を握るのは、自分であるということがわかりました。
ただしい知識を得ながら、人間が環境に適合しようとする時に、発起する脳の可塑性を引き出せば、改善できるという確信が、迷いを無くしてくれました。

治るのか?

誰だって、治るものなら治したいはずです。しかし、本人が無理だと諦めたとたん、リハビリに意味を失くしてしまうでしょう。
現在は、ネガティブな情報が多すぎて、身動きが出来ずにいると、「あの人はやる気がないからダメだ。」と決めつけられて、自分の人生は終わったと感じてしまう。
悪循環に陥ってしまうと、抜け出すのは至難の業です。

学んだこと

治るということは、一般の人は風邪をひいたとき、切り傷を負った時など、安静にしていれば、自然治癒するイメージだと思いますが、脳卒中の後遺症に対しては、そのイメージから脱却しないと、リハビリの本当の意味が、理解しにくいと思います。
元の体に回復するというより、新しい体に生まれ変わるようなことで、脳卒中で壊れた脳細胞は再生しないようですが、リハビリによって、使える所で新しい神経ネットワークを再構築することで、機能を取り戻します。詳しくは「克服の術」を参考にして下さい。
「治らないから、麻痺って言うのです。」と説教されたことがありますが、やり方が分かれば、改善するのは事実でした。もしかしたら、研究が進み、治る時代が来るかもしれない。
私は脳卒中で失ったものを、後遺症を改善させることで、一つずつ取り返していく目標が、確実に達成できています。
希望やメリットを感じなければ、人間は苦労などしたくないはずです。

強迫観念で休めない

発症2~3年はリハビリをしないと、動けなくなり寝たきりになってしまうという恐怖が強く、心や体が疲れ切っているのに、休むことに罪悪感があり、いつも緊張状態でした。
確かに体調が悪く、動く気にならない時も、無理に動いた方が楽になりました。
私は後遺症だと思いますが、霧がかかったように知考や判断力など、正常に働いてなかったし、他人のアドバイスにも、過剰反応していたと思います。
気力や体力も弱ってしまっていると、ネガティブに傾向してしまい、何もかもが辛く感じてしまって、自分を上手くコントロールすることが難しかった。
リハビリに救いを、求めていたと思います。

学んだこと

リフレッシュやリセットすることは、誰でも必要なのは当たり前です。
大病から立ち直り、生活を再建するだけでも、物凄いエネルギーを使う。
その上、リハビリを休みなく頑張るなんて、正気ではありませんでした。
バランスの取れた良いリハビリをするために、心や体を開放し、エネルギーを蓄え、自分のペースやリズムを守ることも、リハビリだと思います。
2~3日ボーっとしていたって、動けなくなることなどないし、リハビリよりも自分のやりたいことがあって、何年もリハビリをしなくても、問題ないはずです。
自分らしく生きる為の手段や、幸せになるための方法、やりたいことを実現するためのトレーニング、脳卒中で失ったものを取り返す喜びなど、自分にとって意味があることでなければ、リハビリを頑張る力にはならないと思います。
視野を広げ人生を築き上げていくために、立ち止まって休みながら、周りを見渡す余裕が、必要だと思います。

頑張ったのに成果がない

自分なりに頑張っているのに手ごたえが感じられず、自分だけが取り残されていく虚しさで、心がいっぱいでした。
少しやり過ぎると動けなくなったり、故障してしまったり、前に進もうともがけばもがくほど、泥沼にはまっていき、挫折感で無気力になってしまいました。
健康な頃は、鍛えれば応えてくれた体や強くなる心を無くし、過去の積み上げた経験は、何の役にもたたず支えすら失って、これからどう生きたらよいか、迷子になったような気弱さになっていました。リハビリに違和感がありながら、他の選択肢もありませんでした。

学んだこと

脳卒中後の自分の心や体、脳のことなど、なぜ?どうして?という疑問に、答えを見つけ出さないと、どのようなリハビリが効果的で、私に合ったリハビリなのかさえわかりませんでした。リハビリという響きに、盲目的に身を任せていただけでは、何かを期待する方が、虫が良すぎました。
後遺症を理解すればするほどとても厄介で、戦略的なトレーニングが必須で、努力するだけでなく、脳を再構築するには、トライの回数や時間が掛かり、それに対する対価は必要でした。
私の場合、改善を感じるまで発症2年以上は掛かってしまいましたが、何もわからず頑張ったことは無駄ではなく、運動の蓄積や色々な気付きをもたらしたと思います。
人生の中で起こる全てのことに、無駄なことは無いと思います。

体調

発症2年間位は、廃人のような人間活動しか出来ない、自分に対して嫌気を抱いていました。普段から低調な中、日々、不安定で不眠や易疲労性などで、どん底に落ちてしまう。明日の約束すら出来ない、自分でも信用ならない私でした。
そんな時は、気力や体力すらなくし、リハビリはおろか、生きるのもやっとでした。

学んだこと

主治医から「自分の取り扱い説明書を、早く作りなさい。」と助言され、薬の処方や、書籍の紹介など、助けて頂きました。
脳卒中患者は色々な症状があるのは、入院中に理解していましたが、私は生きるのに必要な、体調を維持する脳の活動に、ダメージを負ったようでした。
不眠は易疲労性を憎悪し、易疲労性は不眠を酷くする。
まるで赤ちゃんが、ストレスに弱く耐久力が無く、夜泣きをする感覚がわかりました。何気ない刺激が、本人の消化能力を超えてしまい、不快感であふれかえって、耐えがたくなってしまう。
あまりにも辛い時は、遠ざけたりしましたが、少しずつ身をならしていくしか、なさそうでした。苦しくどうにもならない時は、通り過ぎるまで耐えるだけで、何も考えないように致しました。
リハビリの意味は、生き抜くための、必要な時間や行為は全て当てはまり、自分らしい人生を築く、一つの術だと思います。

いつになったら終わるのか

長い間、モチベーションを維持し続けるのは、無理なことかもしれません。
日常生活の中にも、色々な出来事があり、影響され心は一喜一憂します。
改善がなかなか進まない現実に、心は揺れたりしました。そうとうの努力で、麻痺は改善しますが、そこまでした自分は、今の自分であって、本当は凄いことなのに、当たり前になってしまう。そもそも、脳卒中前と変わらないように、回復出来たとしても、普通の人になるだけで、誰も褒めてくれないでしょう。
本当は、命が助かったことに、感謝を忘れてはならないが、長くなると、自分の記憶が上書きされていき、良い思い出に変わっていって、しまうと思います。
自分のゴールはあるのか、分からなくなります。

学んだこと

自分が納得すれば、いつでも終りに出来ることだと思います。
自己実現のために、こうするや、こうしたいとの、実現の手段で、しなければいけないなどと、他人に強制されるものではないはずです。
私は発症9年経った今も、リハビリを続けていますが、どこまで改善するのか、真実を見てみたいという探求心が、楽しみになっています。
しかし、人は考え方や思いも違い、価値観や幸せの形も様々です。人生は自己責任である以上、答えも本人が出すべきです。
あまりがんじがらめに考えず、程よい関わりを持つべきことだと思います。

ダメ出しばかり

脳卒中患者なら、同じような体験があると思います。あなたは、麻痺しているから、こんなこともあんなことも出来ないと、雄弁に指摘し、どう治すのか聞くと、無言で微笑むだけ。出来なくなったことなど、本人の方がはるかに自覚している。どうやって治すか、知りたいだけです。
やっと苦労し、自分なりに改善していると思っているのに、ロボットのような動きだとか、ここがダメだ、こんなことも出来ないと言われる。
絶対に今より良くなると、心を燃やしていると、無駄なことだと、私のモチベーションすら、消そうとする。言い出したらキリがないですが、少しくらいは、褒めてくれた方が、やる気が出ると思います。
真面目な行為で、そこには悪意などないのは分かっていますが、ネガティブしかない生活は厳しすぎて、リハビリどころか、生きる気力さえ失ってしまいます。

学んだこと

ダメ出しも私は、素直に受け入れ、改善のヒントにしています。真剣に私を良くしようと、関わってくれていることに、感謝しています。
真面目で、誠実な方ばかりですが、改善させるための方法や術を、知らないだけだと思います。リハビリが、発展途上なので、仕方ないことだと思いますが、色々な研究も進んでいるようなので、期待しています。
悪意がある人は、脳卒中をした人は、「人間として、何か悪いことをしたからだ。」「何をしたって、良くなるはずはない。」などと、不定的な関わりしか、持ってくれません。
私は、否定的な人は遠ざけ、なるべく関わらないようにしています。モチベーションまで奪い取られないようにすることが、何よりも大事だと思います。自分がやる気を失うのが、リハビリには、一番のマイナスになるからです。
脳卒中によって、人生にアゲインストの風が吹き荒れて、心がネガティブになってしまうのは、仕方ないことです。それを立て直せるのは、本人しかないはずです。本当に大切なことに、力を集中させれば、細かいことは、気にならなくなると思います。
誰も褒めてくれなければ、自分で自分を褒めてあげて下さい。

費用や時間

脳卒中で、働けない体となって、収入を失ったのが、全ての基になっています。無駄使いが許されないと思うと、今必要なことに対して、お金を使うことに、ためらうようになりました。後の生活への不安は、自由にならない体だけでなく経済も、重要な問題でした。
一般的に50歳は働き盛りで、年金ももらえるまではまだ長く、入院費用などは保険で賄えても、その後の生活費、医療費、その他モロモロ。特に自分の身を直すために、投資する費用も、やってみなければ、効果があるのか、無駄なものになってしまうのか?判断に苦慮しました。

学んだこと

私は、とにかく生きている以上、毎日夢中で、何とかしている感じなので、学びながら進んでいると言った方が、いいと思います。
しかし、どんなに苦しくとも、自分らしさや希望は無くさないように、心がけています。
きっと他人は、勝手なことをいろいろと、言っているかもしれませんが、そんなくだらないことを、気にする余裕はないです。
脳卒中後は、生き抜くことや体を治すこと、全てが挑戦です。自分の残った能力を活かし、挑み続ける方が、指をくわえて見ているよりも、私らしい生き方のようです。成功も失敗も、何もしなければ、結果を手に出来ない以上、どう戦ったら良いかもわからないと、思うからです。
しかし、手も足も出ない時は、ジッとして、通り過ぎるのを待つことも学びました。
「何とかなるさ。」と何の根拠もない言葉に、助けられた日も、多々ありました。
とにかく人生は、やり直しが効かず、前にしか進めない一方通行なので、時は待ってくれず、だけど必ず明日は、来るはずだと思います。
ここに記した私の心の動きは、たった一つの事例に過ぎません。人それぞれに、多様な考えがあると思いますが、参考になれば幸いです。

タイトルとURLをコピーしました