はじめに
脳卒中での死亡者数は、毎年約12万人。幸いなことに、現在は医療技術が進み命を落とす人は、過去に比べて少なくなってきています。
TAP(血栓溶解療法)や血管内の血栓を取り除くカテーテル治療などで、脳梗塞を発症しても、早い段階での、こうした治療やリハビリで、ほとんど後遺症が無く、済む人も増えてきているようです。
しかし、脳卒中発症者の約半数の、毎年10~15万人の方は、何らかの後遺症が残ってしまうのが現実です。高齢者の病気というイメージですが、私も含め30~60代の働き盛りの世代にも、少なくありません。
ある日突然、当事者になってしまうと、いろいろな困難が襲い掛かってきて、人生を絶ちふさいでしまい、それをどけようとしても、その術を見つけられないという絶望感に、絶句しました。もがき苦しみながら、いろいろと私が経験したことが、誰かの参考に少しでもなればいいと思い記してみます。
人それぞれの苦しさには違いがあると思いますが、希望は捨てず、諦めないでほしいと願っております。
回復のメカニズム
急性期
脳卒中発症直後の、ドラマチックな機能回復は、数週間以内に起こり、脳浮腫による錐体路の圧迫の改善、血流再開、代謝の改善などによって起こります。病変部位や大きさ、急性期治療の成否の影響が大きい。一か月位で神経症状は消失し、日常生活は完全に自立する。脳卒中発症者の、約3割位の方が体験します。
回復期
発症から1ヶ月~6ヶ月位の期間に、リハビリ病院などで行われるリハビリは、まったく知識を持たない患者にとって不可欠、とても有効です。
この時期は脳卒中を起こすと、脳が腫れ、壊死した神経の周辺にある神経も気絶状態になり、いろいろな障害を起こします。気絶状態が収まれば、自然治癒的に回復する、機能の回復が急速に進むこともあり、リハビリは麻痺の自然回復を促進する効果もあります。「最初は、自力で立てなかった人が、杖で歩けるようになった。」などリハビリ効果を実感しやすい。
しかし、この回復は、6ヶ月が限界と、リハビリ界の常識になっているようで、私も「これ以上良くならない、麻痺は残る。」と宣告されました。残った障害を後遺症と言います。
損傷した脳神経は、固有の役割を持っているため、皮膚のように自然治癒的には再生しない。そのため、脳神経の損傷によって起こった麻痺は、基本的に治らないと考えられ、療法士の養成機関でも、そのように教育しているようです。
私の「麻痺を治したい。」という目的と、嚙み合わないことが多々あったのは、当然だったと思います。
しかし、自宅に帰ってから長く、本当のリハビリが始まるのに、患者の希望まで、打ち砕くことは無く、「後は、本人の努力次第です。」位の言葉は欲しかったと思います。
脳神経学を根拠とする回復
脳卒中によって壊死した脳神経は、特有の役割を持っているため、皮膚のように自然治癒的に再生することはないが、自分にとって意味のあることを、脳と身体に運動を再学習させることを心掛ければ、生き残っている脳神経で、代替え神経ネットワークを再構築し、脳地図も変化する。眠っている時でさえも脳は活動し、一生を通じていつでも大きく改変できる。
脳が学習する仕組みのことで、神経可塑性です。
近年、脳科学の進歩によって脳は、考えられた以上に可塑性を備えており、これを促す適切なリハビリを行えば、特に重篤な場合を除き、回復や改善に限界はないということです。
神経可塑性
人間は生涯にわたって、絶えず環境に適応しようと、脳は新しい神経回路網が形成され、必要なくなった神経回路の機能は、失われていくようになっています。
脳科学の進歩によって、脳卒中で脳の一部が損傷されても、他の部位で役割を代替えする仕組みも、明らかになりました。
患者本人にとって意味のある動きを、反復練習する質と量で強化できますが、神経可塑性を活用するには、プロのミュージシャンやアスリートのような努力や訓練を、長期にわたり続ける必要があります。
しかし、麻痺した体を思い通りに動かすことは容易ではなく、本人の意思とは異なる片麻痺独特の動きなどを、癖として学習してしまう不本意なことや、使おうと努力しない場合は、学習性不使用となり、神経回路網の機能は失われることになります。
又、脳卒中患者の中には、認知機能が十分でない人もいるし、やろうとするモチベーションを、失っている人もいます。
そして、健康面を考慮しなければいけないのは、言うまでもないことです。
その人に合った形で、情熱をもって気長に、誰でも持っている能力を引き出すリハビリを、続けられることが大切だと思います。
神経ネットワークの効率化
神経可塑性によって、再構築された新しい代替神経回路網は、最初は弱い結合しか持っていない。そのため大変効率が悪く、本当は動かしたい形と別の形になってしまったり、動きが鈍い、疲れやすいなど、リハビリの努力のわりに、効果が実感出来ないため、やる気を失ってしまいやすいと思います。
しかし、繰り返し使っているうちに、結びつきを強めて、正確で素早く思い通りの動きになってきます。脳の命令に対して、その行動が実現するという、経験をどれだけ積めるかが、機能回復にとって大事なことだと思います。
全然出来ないことに挑戦するより、今、少し努力すれば楽にできるようになることに、リハビリで取り組んだ方が、神経ネットワークの強化には良さそうです。
強い意志と努力によって、自分自身の脳を、作り変えて行くことができます。
ポジティブ思考
ネガティブ思考
突然脳梗塞に襲われて、何をやっても上手く行かず自信を無くし、将来に対して不安になったり、自分を情けなく思ったり、マイナス思考を続けていると、負のスパイラルへ陥り、使えば使うほど、脳神経回路は強化されていき、ネガティブな感情から、逃げられなくなってしまいます。
思い悩んで良くなるなら、私も思いっきり悩んだと思いますが、悩むだけ無駄です。それを見ている家族は、もっと辛くなるでしょう。
病気になったということはどうにもならないが、それなら、現状を受け入れ、今、自分に出来ることを、一生懸命にやるしかない。こうすることが本人、家族を楽な気持ちにするよい方法だと思います。
誰でも、ネガティブな思いが起こらなくするのは無理でも、心を早く切り替える努力は必要で、負のイメージよりポジティブに考えることを、多く持つ癖をつけた方が、人生には得なような気がします。
やる気
私は、後遺症の影響で体調が悪く、朝起きたばかりは、何もやる気が起きない日が多々あります。脳活動は、身体が整ってこそ成り立っていると感じますが、とりあえず、散歩でもしてみると、段々と快調になって、普段通りのリハビリをしようとやる気まで出てきて、のめり込んでいくようになります。
そして私は、リトルサクセスを心掛けていますが、目標を高くし過ぎると達成出来ずに、むしろ、挫折感を味わうことになるのを嫌い、達成出来そうな小さな目標を掲げて、やり遂げた感激を何度も味わうことで、自分のやる気スイッチを入れています。
何の根拠もなくても「やればできる」と思い込むと、結果も付いてくるように思います。
人生は自分しだい
脳卒中の後遺症を抱え、リハビリを頑張っても大きな成果は見られず、半年を過ぎると、「もうこれ以上良くならない。」と、セラピストから宣告されてしまいます。
障害を抱え、将来を悲観し、鬱に陥ってしまう方が、約7割もいるそうです。
その後もいろんな場面で、回復に否定的な言葉を聞かざるを得ないのも、本人にとって辛い出来事です。医療とは関係がない知人から、「脳卒中をしたらもうダメだ。」などと、雄弁に語られることもありました。
そうゆう本当の事実では無い言葉に、心が折れてしまい、本人が回復を諦めてしまったとたん、今まで積み上げてきて身体の中に蓄えているが、まだ効果を実感できていないトレーニングなどが、無駄になってしまい、回復は終わってしまいます。
自分のモチベーションを下げる、回復にネガティブな言葉や環境から遠ざかり、自分自身を信じて、リハビリに取り組んでいれば、必ず少しずつ改善します。
常に意欲と希望を持ち続けて、前向きに人生を送ることが、その人が輝く秘訣だと思います。
笑顔
人はプラス思考が良いことはわかっていても、突然の脳卒中の後遺症で、先が見えない中、不安になるのは仕方ないと思います。
そんな時は、無理をしても笑顔を作る方が、いろいろと良さそうです。人はなかなか笑いながら、同時に、怒ったり、悲しんだりできないものだし、リラックスや前向きの心、冷静さなどを、引き出してくれる効果があるそうです。
笑顔を作る表情筋が、発達しているのは人間だけで、楽しい気持ちを他人に伝えることや、笑顔を作るだけで、自分自身も楽しくなるものです。
又、後遺症の回復には必須な、脳の可塑性にもプラスに働きます。
『笑う門には福来る!』
脳を再構築するリハビリ
はじめに
「脳卒中前と変わらないような、生活を送れるようになる。」というのをゴールとするならば、自分にとって不都合な、障害を改善することを積み重ねていけば、いつかは必ずゴールできると、信じて疑わない強い意志を持つ限り、回復に限界は無いと思います。
しかし、脳の可塑性を引き出す回復は、ただ思っているだけでは進展することは無く、具体的にこうゆう方法で、この部位の機能を取り戻す。十分でなかったら、別の方法で工夫しながら、改善していく自分を、楽しみながら達成感を味わい、自分の生きる目的とするぐらいの、情熱が欲しいと思います。
このことは、私が抱いている志で、脳卒中患者でも、価値観や希望、環境など、皆違うのは当たり前で、人生の質を高めるための目標も異なるのも当然です。その人なりの心情は尊重されるべきだと思います。
その方の考えるゴールに対して、少しでもお役に立てることがあったら幸いです。
リハビリに対する認識
私もそうでしたが、多くの患者は、リハビリはしてもらうもの、受けるものという感覚だと思いますが、受け身のリハビリでは、十分な麻痺の回復は、得られないはずです。
担当してくれるセラピストは、良くなって頂こうと、一生懸命にリハビリをしてくれることには、感謝や有難い気持ちでいっぱいです。しかし、いったん失われた機能は、元に戻らないことを前提として、利き手変換などのように、良い方の手で生活が出来るようになることの獲得が、中心のセラピーです。麻痺した手を使わず、生活が成り立っていくことを優先した結果、学習性不使用となり、麻痺の回復の可能性があっても、廃用手になってしまうでしょう。
代替神経ネットワークの再構築によって、運動を取り戻すのですが、本人がその気になって、脳と身体に再学習させるしかないと思います。常に脳を意識してするトレーニングの質と量を、反復練習し続けることで、障害が生じた部位の、働きを補おうと脳が変化し、機能が改善するようです。
本人が主体となって、セラピストの指導やアドバイスでも、自分にとってあっているか判断しながら、自分自身も効果のありそうな運動を意識して、コツを覚えるように運動感覚を、脳や身体に覚えさせる必要があると思います。
本人が、リハビリの意味を理解出来ないまま、ただ繰り返していても、脳には響かないと思います。
痙性
はじめに
脳卒中で倒れて、右半身に力が入らず、ダラッと体に付いている手足は、紫色で血の気が無く冷たく、骨と皮になり、まるで死人のようで、自分のものと思うのも嫌悪感があり、この先どうなるのか想像も出来ず、病院のベッドで思考停止状態でした。
発症から1ヶ月ちょっと過ぎに、ピックっと一瞬動きはじめ、大喜びしたのも束の間で、元通りになるどころか、どんどん自分の意志が通じなく、硬く障害者としての動きになっていく右半身と、それでも何とかしようとする左半身が、自分の中に存在する不思議な感じで、理解を超えてしまって、とにかく怖くてたまらなかった。リハビリに救いを求めてがむしゃらに取り組んだが、期待を裏切られ続けて気持ちが保てなく、生きる気力も無くなってしまった。
発症から2年位は脳のダメージが酷く、思考すら霧がかかったようで、辛く暗い日々をただ受け入れることしか、選択肢が無かったのを思い出します。
病気は医師に治してもらうものという常識でいる限り、脳卒中の後遺症の前では、無力でなす術がないというのが、現在は当たり前(将来は良い治療法が生み出されるはずです。)だと思います。自分の身体で何が起きているのか。どうしたら対処できるのかを、最低限知らない限り、現状の障害と共に生きていくしかないから、その中でより良い生き方を探すという方法のみだと思いますが、原因を理解し、改善するためのトレーニングを続ければ、現在の脳神経の常識では、障害は改善するということです。
私自身は発症から8年経った今も、痙性は大きな問題として残っていますが、徐々に弱くなっていき、自分のしたい運動もますます出来るようになっています。
痙性は本人の身体内部の問題から生じている以上、本人だけが痙性を弱めることが、出来ると思います。
痙性は、なぜ?
脳は運動をコントロールするため、筋肉に収縮とリラックスを、適切なタイミングで切り替えることで、滑らかな運動を作っています。
脳卒中によって、筋肉をコントロールする脳領域が損傷することによって、指令が出せなくなり、同時に筋肉から送られてくるメッセージも、届かなくなってしまう。
筋肉は過剰に引き伸ばされると、傷つく恐れがあるため、すぐに収縮し損傷を防ぐように、脳に保護されていたが、出来なくなると脊髄に引き継がれる。
脊髄は筋肉を硬い状態にし、損傷から守ろうとする。
硬く縮こまった筋肉は、いろんな刺激に過敏になり、「引き伸ばされて、壊れる。」というメッセージを出し続けるようになり、脊髄は筋肉を守るため硬くするように、筋肉に命令し続けるという状態になる。
痙性は、脳卒中によって脳の一部が壊れたことによって、人間に備わっていた保護的な生態メカニズムが、制御できなくなったため起こっているようです。
私の痙性
〇筋肉や腱などが硬い・短縮・関節が異常な位置。
手がグーのまま開かない・手首や肘が曲がり・肩が前方へ巻き込み・内反尖足・骨盤、股関節の変位・麻痺側の色々な筋肉に問題あり。
〇寒さ・緊張や興奮・不整地・下り坂や階段・荷重・早く動く・マッサージなどで、手足の伸長反射(クローヌス)・麻痺側の筋緊張が余計に酷くなる。
〇痙性が緩まず入眠できない。
〇短縮した筋からの痛み。
〇体の動きが硬く、不自然で誤魔化すことなど出来ない。麻痺側の手足は使い物にならない。
自分の体を情けなく感じ、未来は苦しみ以外ないとしか思えない。他人の目が気になり恥ずかしい。生きる意味が持てない。私にとってどんなことをしても治したいと、願わずにいられませんでした。
痙性を弱める
痙性は脳卒中により、脳がダメージを負ったため起こっているのだから、反復練習によって筋肉をコントロール出来るような、代替え神経ネットワークを再構築すればよいというのが、結論かもしれないが、その道のりは相当に険しいと、私は実感しています。
私は脳梗塞で倒れて、1ヶ月以上は弛緩性麻痺で、筋収縮がまったく動かせない状態でしたが、1ヶ月以上たった頃、ピックっと動き出してから、あっという間に痙性麻痺に変わり筋が硬くなり、動かすことが出来ない状態になりました。どっちも困った状態ですが「まったく動かない。」のと「少し動く。」のは回復の可能性としては大違いです。
しかし、本人からすると少し動く程度では、使い物にならないうえ、動かす努力をすると体中に緊張が走り、顔がひん曲がったり、無駄に肩が上がったりしました。
リハビリをハードにこなしても、期待する成果は上がらない。この時点で回復を諦めてしまう人が、ほとんどではないかと思います。
私も発症から2~3年位は、はっきりと改善させる方法がわからないまま、障害は思ったように改善せず、心が何度も折れました。
痙性を弱めるための神経再接合を、促進させるには運動が重要で、痙性が弱まるにつれて動けるようになる。改善した運動は痙性を弱めるというように、ゆっくりと着実に改善するものです。
強い信念や努力を継続させる忍耐が必要になりますが、脳が再び筋肉をコントロール出来るようになった時こそ、痙性は弱まると思います。
発症から8年経った現在でも、私の体から痙性は全て無くなってなく、色々なときに、体の中から出現したいと言ってきますが、確実に弱くなってきているし、私のしたい事に対して邪魔をすることも減ってきています。
もしかしたら、そのことを楽しんでいて、私の生きる意味に、なってしまっているかもしれません。
私の具体的な体験は、「運動麻痺克服 上肢」「運動麻痺克服 下肢」「全身運動を結びつける」「ゴルフの壁」「脳卒中克服の手がかり」などに、記してあります。ご参考になれば幸いです。
私の取り扱い
例えば、痙性が強く手が握ったまま開けない場合などは、手のひらの中へ良い方の手をねじ込んで、痛みのある所を押したり揉んだりしてみて下さい。痛い所は筋肉が縮こまって、動くことが出来なくなった筋などで、揉みほぐし筋肉が伸びられるようになるイメージで、時間がある時は必ず続けてみて下さい。痛みが弱まると、硬く握った手も緩むはずです。
この作業をしたうえで、リハビリに取り組む方が、ただ開けと念じ、力むだけのリハビリより、はるかに効率よく動かせるはずです。
ストレッチは必要ですが、痙性には逆効果になることが、多々あると思います。私はゆっくりと自分の体重を利用して、手や足全体の緩みを感じながら、心もリラックスするように行いました。反動を付けたり急激なストレッチは、しない方が良さそうでした。
動きはじめや緊張を強いられる時、気温が低い日など動きが悪い時は、体を緩めるという対処法を意識していて、月日を重ねるうちに、自分の取り扱い説明書が出来てきたという感じです。
筋肉が硬いまま動かそうとするよりも、緩めては動かすということを、繰り返す方が楽に動けました。
改善が起こりにくく、心が折れそうになった時は、去年の今頃の自分を思い出しては、「かなり良くなった。」と自分を納得させていましたが、改善のペースは年を追うごとに加速していくようです。
焦る必要は無い。なぜなら、確実に良くなっていくから!
発症8年たった私
私は、超音波治療器やパワープレートを使い、マッサージによって、痙性で硬く短縮した筋肉を緩めた分、ストレッチが可能になり、その分、運動をトレーニングすることができました。
筋肉の痙性を弱めるには、筋肉を動かすことだと思います。
その結果、脳の神経ネットワークが再構築され、脳から筋肉へ指令が出せるようになり、筋肉からの感覚も脳に届き、脊髄から脳の制御が始まり、痙性が弱められるのだと思います。
しかし、それはそれほど単純なことではなく、個人差は大きいと思いますが、私の痙性は全身の狂いを引き起こしていたので、右半身と左半身のバランスや、右半身の各関節や骨格、姿勢なども狂い、各筋肉も力を出せないと、そのつながりの筋肉は、それを何とかしようと緊張を強いられる。その結果しょっちゅう故障するなど。
そういった、ほつれた糸を解きほぐすようにするには、知識を獲得し、工夫や努力などで、少しずつ動きを取り戻しては、又、他の所を直すと、動きが修正するという試行錯誤を、発症から8年たった現在も、続けているのも事実です。
その上、老化との戦いもあるので、本当の意味では、発症前と同じ体になるのは無理だとも思います。
多数のセラピストに、どうしたらいいかお聞きしましたが、痙性になったことが無いので、本当はどういう状態なのか、イメージ出来ないというような、答えしか得られないのも、納得いく面もありますが、それでは自分で、何とかするしかないと考えました。
現在は、自分の体、手、足になってきているという実感は、十分にあります。
何より、自分なりに納得いくかが、大事だと思います。
感覚
はじめに
発症前まで感覚に対する考えは、仕事などは、他人には言葉では伝えることが出来ない、熟練技術者として長年かかって磨いて、お客様を感動させる技のようなことや、スポーツでは機敏な動きやバランス感覚を磨くという感性はありました。
しかし、日常生活において感覚を意識しながら、生活を送っている認識は、ほとんどありませんでした。それでも、全身から色々な感覚情報が入り、安心安全に行動することが当たり前に出来る。本当に素晴らしい能力に、守られていたと思います。
発症後は、ただ普通に歩きたいとトレーニングしたとしても、麻痺の影響でつま先が上がらず、床に引っ掛かってしまう。そこを改善すれば歩けるかという単純なことではなかった。色々な感覚情報を、感じ無くなっていたため、歩くという運動が成り立たず「こわい」という、よくわからない感じに支配されていました。
ふかふかの布団の上や、雨で足元が滑りやすい、風が強くて姿勢を保てない。目で見ればどういう状態なのかわかっても、体から感覚情報が足りないため、どう動いたら良いのかわからないため「こわい」と、感じていたと思います。そのため、体中に余計な力が入り、障害者独特の動きになってしまっていた、一つの要因だったと思います。
発症後2~3年は、麻痺した体をただ治したいと、麻痺した手や足を動かすことに、がむしゃらに取り組んでいましたが、なかなか思い通りにならない中、感覚を体に入れることに、注意を向けることが、重要だということがわかりました。
運動と感覚は密接に関係していて、感覚が良くなれば運動機能も高まるし、運動機能が良くなれば感覚が刺激され、反応が良くなってくということです。自分の体がどんな環境にいて、どのように動いているのか意識することで、運動の学習においては、大事なことだと思います。
感覚とは
体性感覚(身体の運動や位置についての情報)
①表在感覚(皮膚の受容器を通して外界からの情報を感じる)
②深部感覚(筋、腱、関節、靭帯などの受容器を通して、身体の位置や運動の状態を理解する)
特殊感覚(臭覚、視覚、味覚、聴覚、平衡感覚)
内臓感覚(空腹、吐き気、渇き、痛みなど)
生活を送るには無くてはならないものです。又、身体を守るためにも大変重要です。
感覚→知覚(学習や体験を通して感覚の種類、その質や程度、時間的経過などを認める働き)→認知(知覚を判断し理解する働き)→感覚情報を通して動作を重ねて行いながら、最適な運動へと修正、記憶することで、効率的な動作の学習が起きている。
私のリハビリ
麻痺した右側からの感覚情報が鈍く、自分の体がどのような動きをしているか、足元が滑りやすいとか、少し傾いているとか、よく分からなく、どう動いたら良いかわからず困っていました。
それを補うのは視覚に頼っていました。目で、足や手、体幹の動き、足元の状態など、見ないと行動したくても危険を感じ、余計に体がこわばり、自分ではそんな動きをしたいわけではないが、どうにもなりませんでした。
自分の思い通りにならない動きに、注意を集中するだけでなく、発症前はどんな感じで動いていたか、他人を観察して学んだり、右足から伝わってくる感覚がよくわからないなら、そこへ注意を向けてみるなど、感覚を感じる努力を加えました。
ただ動こうと頑張るだけより、こういう感じで動いた方が上手くいくという感じをトレーニングすると、動きやすさが改善することが、多かったと思います。
例えば、曲がったまま自由にならない手を、揉んだりさすったり、良い方の手で動かしたりすることでも、麻痺手の運動感覚には良いリハビリになることや、投球をトレーニングする時は、肩より肘が上がらないで苦戦していて、手首から上げようと意識したら解決したりと、運動と感覚は必ずセットで機能していると思います。
リハビリで動けと頑張るなか、自分の体がどんな風に動いているかを、積極的に意識することで、運動の再学習にはプラスに働くと思います。
麻痺した体でも、生きるために、獲得した代償運動で、脳の可塑性によって、異常な感覚が記憶されてしまうはずですが、正常な運動を意識したリハビリによって、徐々に修正されます。
発症から8年経った私の実感ですが、自分の体になってきたと、納得できるようになりつつあります。