はじめに
突然脳卒中を起こして、自分の体が自由に動かないという現実をどう捉えてよいか、これからどうしたらよいのか、考える余裕もないまま、日々がリハビリの世界へ放り込まれてしまい、自分なりに頑張って進むしかありませんでした。
しかし、脳卒中前は大病や大ケガの経験は無く、比較的丈夫で故障知らず、健康には自信を持っていて、ちょっとやそっと無理したって大丈夫、むしろ人の何倍も努力した分、得るものは大きいという気持ちが仇となって、色々と体を故障させることになりました。
その都度、自分の体の信用を失い、なぜそうなったのか?反省と理解をせざるを得なくなりました。
私特有の部分もあると思いますが、麻痺した体に対する無知から起こしてしまったと、大反省しながら、理解する努力や自分なりの対処方法を、模索し続けています。
貧弱になってしまった体は、自分ではトレーニングし過ぎたと思っていなくとも、悲鳴をすぐ上げるので、思っていた以上に、回復には時間がかかります。
それでも、少しでも前へ進もうとしている限り、確実に改善していくことを喜びに変え、楽しんでいる私がいます。
本来人間は、体をどこか故障し痛みがあるうちは、安静にして自然治癒するのを、待つというのが当たり前だと思いますが、脳卒中の後遺症の回復のメカニズムからすると、自分の動きから、脳を再構築することで、改善していくことからすると、脳卒中の後遺症で思うように動けない、痛む、痺れるなどで運動意欲がなくなり、安静を心掛けているため、廃用性症候群を引き起こし、段々と状態が悪くなっていった方を、多く見てきました。
故障とどう付き合うかは、後遺症を克服するプロセスで、避けて通れないことだと思います。
装具
発症から3ヶ月過ぎに、私の足の型を元に装具が出来上がってきました。それまではリハビリ病院の備品にS、Ⅿ、Ⅼの装具が1足ずつあり、私にはⅯサイズが良さそうでしたが、先に使用している方がいたため、Ⅼサイズをお借りしていました。つま先が2~3cm大きいので床に、装具の先が接触しないよう注意しながら、歩行練習していました。
内反尖足や下垂足が酷く、装具無しで立つことすら出来なかったので、私にとってはサイズが大きすぎることは、たいした問題に感じられませんでした。
しかし、私オリジナルの装具とその上に履くシューズを履くと、今まで使っていた装具と比較出来ない程、私の足にフィットし、クッション性や滑りにくさが私を安心させて、本当に歩きやすそうで嬉しくてたまらず、セラピスト2人と病院外の路上に出て試してみました。「わぁ~歩きやすい」セラピストを引き連れ夢中で感触を味わっていました。
リハビリ病院は丘の頂上に立地していたので、道は全て坂道で、下ったら帰り道は上って帰ること6000歩位、あっという間に気持ちよく歩きました。「よし、これであっという間に歩けるようになる。」と確信し、未来に日が差したように感じられました。
翌日、My装具を付けリハビリに意気揚々と行こうとしたら、健足と思っていた左足に激痛が走り、ベッドに逆戻り、あまりの痛さに、それからリハビリすらまともに受けられなくなってしまいました。
主治医が血液検査をしてくれると「あなたは歯が痛いのでしょう。」と言われるしまつでした。左足のアキレス腱が3倍位に膨れ上がり、ふくらはぎ、スネ、太ももの外側、左尻の内側、腰などが、激しく痛み車椅子生活に逆戻りになり、リハビリに救いを求めていたのに、そのリハビリもこなせなくなってしまい、リハビリ病院にいる意味も無いと感じ、退院させて頂きました。
非麻痺側
退院後、同病院の通所リハビリのセラピストから、私は右片麻痺なので、左は何ともないと思っていたのを「左は非麻痺側と言います。」と一言。訳が分からず、自宅でネットや本から知識を得ると、ケガや骨折などの場合などは、良い側は健足と言いますが、脳卒中は非麻痺側と言うことがわかりました。麻痺していないと思っていた側も、何らかの麻痺の影響を受けているからだそうです。
脳から神経は脳幹の延髄で交差し、手足へと繋がるものと、15%位は交差せず、真っ直ぐおりる姿勢に関わる神経がある。つまり、左側にも麻痺が入っているということ。
そして、麻痺側をかばうため、過剰な努力運動を強いられ、筋が硬く緊張状態になり、血流などにも影響が出て痛む。
ベッド・車椅子生活
発症から3ヶ月近くは、ベッドと車椅子生活によって、体の筋肉量が減退していた。それに気付かず坂道を嬉しさのあまり、大げさに言うと左足だけで、急に6000歩位歩いてしまった。
スポーツ界的ノリ
私はスポーツや仕事など、人の何倍か努力をすれば、上達し自己実現出来るとか、疲れてから勝負など、自分の体にとっては迷惑な成功体験を持っていたため、それをリハビリでも通用させようとした思い上がりが、遅かれ早かれこのような状況を生んだと思います。
過去の成功体験そのものが、負になったと反省致しました。
反省
脳卒中の後遺症を甘く考えていたため、起こるべくして起きたことです。左足の痛みや痺れは2年位かけて治まりましたが、その間はリハビリに大きなマイナスになってしまいました。50年以上生きた色々な経験が、脳卒中の前では役に立たないと自覚しました。謙虚な姿勢で改めて学ばざるを得ないことに気付く、良い経験だったと思います。
一日4000歩
リハビリ病院退院時にセラピストから「一日4000歩以上歩かないと、寝たきりになりますよ。」と念を押されました。知識のない私は、信じざるを得なく、万歩計をスニーカーに付け、私にとっては毎日が、4000歩の恐怖との、戦いになってしまいました。
その当時の私は、易疲労性のためか、すぐに思考停止したように、脳や体がうまく機能しないばかりか、音や光に過剰反応し、辛く、生きるのも苦しく、人間的生活など成り立たず、ほとんど廃人のようでした。その上、夏期だったので、入院生活で痩せた体には、体力も残っておらず、太陽の強い光や熱に耐えられなかった。
車椅子で退院せざるを得ない位、歩くそのことが大きなストレスになりました。
玄関の椅子に座り、装具とスニーカーを履き、10m位歩くと、限界を迎えてしまうので、エアコンの効いた部屋へ戻り、ソファーに横になって休むことを、一日に20回前後繰り返すのがやっとでした。そんなに苦しいことをしても、一日1000歩前後がやっとで、めげそうになりましたが、寝たきりになる恐怖が、私を突き動かしてくれました。
100mを往復出来るには、一年近くかかりましたが、その頃になると4000歩は達成出来るようになり、もう少し見える所まで歩いて行きたいという意欲も湧いてきましたが、その間も、色々な故障が起こりました。
両足のスネ
100歩や200歩、歩くだけで両足のスネが火照り、痛みが出てしまったのです。
ソファーに寝ながら両スネを濡れタオルで冷やし、スネの熱を下げるために、歩くときは短パンを履きたいと、妻に頼んだ時「短パンなんて履いたことが無い、お父さんが珍しい。それに装具が丸見えになっちゃうよ。」と驚いていました。「今は恰好を気にするよりも、歩けることが優先だから、短パンを買ってください。」とお願いし愛用致しました。
装具を作るときは、なるべく目立たないように黒色にし、長ズボンから靴下が見えているように考えたのですが、他人から装具を着けている障害者と、見られることにコンプレックスを感じていた私が、本の中に「老眼鏡は歳をとって近くが見えづらくなったので、それを補うため誰でも当たり前に付けている。装具もそれと同じ。」と書いてあったのを読んで、コンプレックスは、その人が勝手に抱くもので、歩くために私に必要なものという認識になってから、あまり恥ずかしくなくなりました。
麻痺側股関節前面
私は少し歩きすぎたなと感じると、右股関節前面が出っ張り痛みました。麻痺の影響で右股関節が変位してしまって、アライメントが狂い十分に機能していないようです。私が仰向けに寝て、妻に大腿骨上方を、押してもらうと簡単に股関節が押し込まれますが、押すのを止めるとプニッと元に戻ってしまいます。多くのセラピストに改善方法を相談しても、答えらしきものも引き出せないので、私の歩く限度として付き合ってきました。
発症から8年経った現在は、あまりその部分は気にならなくなってきました。歩行が改善することと比例して良くなっています。
私の気付き
「一日4000歩以上歩かないと、寝たきりになりますよ。」というようなことは、本でも読んだこともあるので本当だと思います。しかし、健康な人の話で、運動能力、耐久力、麻痺した体を動かす運動負荷など、動くことが困難で体力を使う脳卒中患者に、すべてに当てはまることではないと思います。
一般的に脳卒中患者は、2,5倍位の運動負荷がかかるそうです。
4000歩×2.5=10,000歩、単純に分かりやすく表現していますが、私にとってはそれほど大事な数字(努力目標)ではなく、むしろなるべく正しい歩容に近づけることや、体を壊さないように無理をせず、しかし怠けてはいけない、安全を心掛ける。自然を愛でながら、生きていることに感謝するなど、歩くリハビリを成功させるためには、気持ちをノルマのようなことに向けるより、心地よく生きる為には、ということに集中することだと思います。
麻痺した体は、本人が思っている以上に、弱々しく簡単に壊れてしまうことがある。
しかし、ただ安静にしていても良くならないものだということを、正しく理解して、自分自身で責任を持つべきだと思います。
左手(良い方の手)のばね指
発症2年頃から、左手(良い方の手)の中指が朝起きると、曲がったままになって、無理に伸ばすと、痛みが伴うようになってしまいました。日を追うごとに悪くなっていき、日中の作業中も、たびたび起こるようになってしまいました。
麻痺した右手は、徐々に機能をリハビリによって、改善していたものの、発症から4~5年位は、あまり使い物にならない状態で、左手を頼りにする生活が続き、過剰に負担がかかり、なるべくしてなってしまいましたと思います。
使い過ぎが原因で、指を曲げる筋肉の腱や、腱を包んでいる腱鞘が炎症を起こしている。指の付け根の手のひら側に、しこりを感じる所が腫れていて、腱と腱鞘が引っ掛かり、指を伸ばそうとしても、指が伸ばせないようです。
安静にしていれば良くなるようですが、左手しか頼りにならない中、生活が成り立たなくなってしまうので、無理だと思います。
私の対処の方法
いろいろな方法を調べ試した中で、指の付け根の手のひら側のしこりを、マッサージするのが私に合っていました。そして、超音波治療器をあてるのが、良く効きました。
最初のうちは揉むと痛みがありましたが、徐々に減っていきなくなると、一週間位でばね指は改善しました。
まだしばらくは、左手への負担は変わらないので、自分で対策できるのが、私にとって最良なのは間違いないことです。
腰・背中
発症4年過ぎになると、何とか両手で、15㎏ぐらいの農業資材の袋を、持ち上げることが出来るようになってきました。まだ、相当に無理をしての状態なので、不自然な格好で危なっかしそうで、妻が「私がやるから。」と心配そうに見ていましたが、ようやく手としての役目が少しずつ果たせるようになった喜びで、体に物を持つことを覚え込ませるトレーニングだと、前向きに取り組んでいました。
そんな中、持ち上げようとした時、腰と背中の間ぐらいに激痛がはしり、動けなくなりました。痛み止めとコルセット、安静1~2週間位で良くなると、また痛めてしまうことを、繰り返すようになってしまいました。
気を付けながら生活をして、調子の良い時期もありましたが、ひどい時は朝食を食べている時、パツンとこわれ、力が抜けた様になって激痛がはしるのを、毎日のように起こす時期もありました。少し動きすぎて疲れた時なども起こり、約4年間位私を悩ませることとなりました。
右片麻痺として学んだ癖
この頃は痛むのは左側(非麻痺側)がほとんどでした。右側(麻痺側)の弱さを助けるため、左側が過剰に努力していたために、いろいろな故障が起こっている、という自覚はすでにありました。このケースも腰と背中の中間ぐらいで、背骨の左側で起こりました。
右が荷重を支えられるように、機能の改善と共に、ガチガチに固まって、右片麻痺のバランスをとろうとしていた、左側も緩めてやらないと解決しないし、それなりに時間や努力が必要でした。
いろいろな動きも、体の中心に軸が無く、体の左側を軸とした不自然さがあります。
それは、脳卒中で倒れてから、生きる上でしなければならない行動を、動かすことが出来る筋肉で代償運動するしかなく、癖として身についてしまった部分が多いはずなので、少しでも正常に近づけるよう、自分自身が、注意を払わなければならないと思いました。麻痺しているから仕方ないと思っていると、どうにもならない上、どんどん悪い癖を学習してしまうはずだと思いました。
麻痺を改善させた分は、動きやすくなるはずなのに、癖が邪魔をして改善を感じられない側面もあると思います。根本原因は右側の機能が生きる上で、不十分なのですが、そこだけ直しても、自分の望む体には、ならないかもしれないと思います。
私の思い
細かい故障やケガ、転倒などは、書ききれないほどあります。その都度、自分の思い通りに動かなくなってしまった体に恐怖を感じ、痛みを抱えよけい動けなくなると後悔致しました。主治医に痛み止めや湿布を処方してもらおうと要望しましたが、「あなたは絶対に、体を壊してはいけない。アンダーアンダーで、行ってください。」と言われ、出してもらえないことも経験致しました。
こんな嫌な経験はしたくないから無理はせず、やりたいことも諦めるという、考えもあると思いますが、それでも私は、どんなに苦しい思いをしても、自分らしい生活を取り戻したいという目標は、家族のためにも諦めることは出来ません。
ただ、願っているだけでは実現は不可能と思い、原因や対処の仕方を学ぶしかないと取り組んでいます。
一般的には、健康に発達し、特別にストレスもなく身に付き、当たり前だと思っていた、ものすごい能力を、脳卒中によって失い、どうにもならないと思っていたが、抗う術がないわけでもなさそうだと、分かりました。
動作を繰り返し練習することは重要ですが、効率的に楽に進めるためには、必要な筋活動を意識して、代償的な運動を修正し、効率的な運動を、記憶する必要があります。
体の軸や運動感覚、バランスなどの獲得は、運動体験などを、意識的にトレーニングを繰り返すことで、対応する能力が身に付くものなので、自分から望んで取り組まなければ、再学習することは、出来ないと思います。
そこには、失敗や試行錯誤は、大切な経験になります。そして、ケガなどリスクには、十分注意しなければ、マイナスになってしまう危険性を、認識しています。
焦らず自分の体と相談しながら、休養を取ることも大事にしながら、自分のペースで進んでいますが、本当に、手強いと思っています。