運動麻痺克服 下肢

はじめに

運動麻痺克服上肢に書いた「はじめに」の先に下肢は、付け足したい事があります。
上肢は、体からぶら下がっているようなもので、腕立て伏せや四つん這いなどをしようとする以外は、自分の体を支えるということを、積極的にこなす部位ではありませんが、下肢は体重を支え、時には荷物を運んだり、ジャンプしたりと体重以上の負荷に応える能力を有していないとならず、歩行するには左右の足が必要です。車椅子生活をした経験から、バリアフリーに社会がなりつつあるが、健常者中心であることは否めず、車椅子だけで、どこへでも行けるというのは、敷居が高いことがわかりました。
医療機器を扱っている友人から、電動車椅子を私のために、持って来てくれると温かい申し出があった時も、「自分の足で歩けるようにするから、私には、必要でない。」と丁重にお断りしたぐらい、歩くということは、生活する上で重要な事だと思います。
同時に、もしどんなに手を尽くしても機能が戻らない時は、潔く受け入れようとも考えていました。それは、車椅子になっても、自分のしたい事を手に入れ、力強く、明るく生きている人を大勢見ていたからです。
歩くトレーニングの中で、どうしてこのような結果になってしまったかという問題にぶつかるたび、メカニズムを調べることとなり、課題がたくさんあることに気付き、それをいくつか同時に意識するポイントとし、トレーニングを繰り返す流れで、身に付くには、ものすごい回数が必要でしたが、そんなに大変な事とは考えていません。
なぜなら、健康な人だって散歩は毎日のようにするし、働くという事は、歩数も凄まじい数ですが、そこに意識をしながら行うだけと思っているからです。
コツを掴んでくると、今、自分の歩行にとって重要な意識ポイントや、問題点がハッキリしだす。段々と向上していくのが、自分や他人からも見えるようになりだします。
少しでも向上したら、うれしく感じる。それは、スポーツを楽しんでいる時の高揚感と、同じではないでしょうか。
気長に楽しみながら、回復していく事を自覚できたら、やめられなくなるのは、当たり前だと思います。

急性期病院

救急搬送されてから、二週間位は、点滴がつながっていた。食事も出てこない。
気が付くと、寝ているという感じだった。ただ、足は一日中ユラユラと勝手に動き続けていたのを覚えている。ペースト状の食事が出てきて、点滴が取れて、すぐにPTさんが病室にやってきて、起き上がりの仕方、ベットから車椅子への移り方、車椅子の動かし方を教えてくれた。廊下に出て、手すりにつかまって立った時、「何だ これは。」と右足の異様さに気が付いた。両足で立とうと試みても、右足は、左足の外側にしかつけない。
その時点で、頭の中はパニック寸前。その日は、それでお終い。
そんな事より、ベットに戻ると点滴が外れて自由になった事、車椅子に乗れる喜びが勝り、病院内に、探検に出る事の方が、自分にとっては興味が強く、すぐ実行。
車椅子で、廊下に出ていても看護師さんが咎める事なく、「いってらっしゃい。」と手を振ってくれたのに気を良くして、自由の素晴らしさを満喫していた。
この時は、脳卒中に対する、病識も乏しく、根拠の無い「何とかなるさ。」と思っていたが、それが、もしかしたら良かったのかもしれない。
ここでは、PTさんとのセラピーは、2~3回各20分ずつだったが、装具と杖を使えば歩けそうだと、ポジティブなイメージを頂けた。
転院を翌日に控えていた日、看護師さんが「お風呂に三週間入ってないので、どうしますか?」と言われ、即答で「入りたい。」と言うと、色々な手続きを取ってくれて、OTさんから許可が出たら可能という事で、80cmをどうにか跨げた事、妻の見守りがある事でOKが出た。
こんなに、簡単なんだと思いながら、お風呂をいただきました。それまでは、妻にドライシャンプーをしてもらい、看護婦さんに無理を言って、二日に一度、点滴を管理している機械を外してもらって、上着を着替えていたが、風呂の中に垢がいっぱい出て、一皮むけたとはこの事だと、爽快感とありがたさを満喫しました。
私の小さい頃の病院のイメージは、消毒の匂いがして、看護師さんやお医者さんには、迷惑をかけないよう、必要なこと以外は口を利かず、身動きしてはいけないという、暗いイメージだったが、色んな意味で、病院に対する私のイメージは180度良い方に変わりました。

リハビリ病院へ転院

妻の運転で、40分位離れたリハビリ病院へ、希望をいっぱいにして転院致しました。
三日間位は、リハビリのスケジュールに入れず、皆さんの取り組みの様子を、リハビリ室の端で、観察していましたが、平行棒の中なら歩けそうだと、試しだすと、セラピストがやってきて「勝手にやらないで。」と一喝されシュンとしたのを思い出しました。
それから、リハビリが始まり、私の担当セラピストはPT2名、OT1名、ST1名だったが、PTさんに関しては、担当者以外の数人の方にも付きました。
皆さん、基本は同じように見えるが、評価や施術の仕方etcは個人差が大きく、わたしの症状に対しても、少しづつ違う考え方を聞かされて、まったく知識のなかった私は、混乱するより、まず何が正しくて、なにが間違っているのか、判断できない以上、全部吸収してやると、心に決めました。どうもPTさん達の関心は足首だと感じ、取りあえず、言われる通り身を任せていると、足首がまったく動かないと言うPTさんが多い中、寝た状態で、正常な足首の角度から、つま先を上げようとしてもピクッともしないが、ダラッとさせた所から上げようとすると、微かに動くように見える。
なるほど、確かに能力を失ったとしか思えないより、望みは残っていると考えた方が、絶対に私にとって良い情報だ。皆さんの言っている事は、どれも本当の事なんだろうが、誰の情報を選択するのかは、私は自由だということだ。
回復というのは、自分自身が諦めた瞬間、同時に終わるものだと思う。
ネガティブな事を、すぐ口にする人には気をつけよう。よっぽどの根拠がない限り、言ってはいけない事があると思うのだが、絶対的な優位意識があると、そのタガが外れてしまうと思う。そこに、飲み込まれてしまうのは、自分の責任でもあると思います。

装具と杖

急性期病院で、装具と杖さえあれば、歩ける事を確認していたので、リハビリ病院でも早く使って歩きたかったが、その時が来て、心が躍ったのを覚えてます。
貸出用の物は、Ⅼサイズしか残っておらず、私のつま先より2cm位大きい物でしたが、そんな事は気にならない。杖は、スチールで出来た四点杖。
早速、歩くと思ったら、杖の使い方や、つくタイミングなど、慎重な感じ。歩き始めたのはいいが2~3日で四点杖の重さのせいか、左の背中がゴリゴリにこってしまって、マッサージしてもらわないと、どうにもならなくなった時、気付いたのは、PTさんは、得意、不得意があって、意外とマッサージが上手な人は少数な事がわかった。
国家資格を取得してからの年数というよりも、個人の持つ、スキルや人間力のような差を感じるきっかけとなりました。
次に一点杖の方が軽いという理由で変えてもらいましたが、杖を使うのは転倒を防ぐという事が必須であると同時に、杖に頼った歩き方を、身に付けてしまうことでもあると思います。当然、ケガを防ぐというのは、絶対条件です。
そのうえで、私は、杖の長さやつく位置を、いろいろ変えてみて感じたのは、健康な人が杖をつくのと、障害者が杖をつく姿勢は、全く別で、余計ぎこちない動きやバランスを、獲得している方向にトレーニングしているように見えてしかたなかった。
杖ありきの歩行練習が、ゴールとしてはいけないと思っていました。
退院するには、杖の購入は、条件の一つだったので、1本持っていますが、退院してからは一回も使っていません。自己責任に基づき、杖なしの歩行を取り戻したかったのです。
杖を使って歩くときは、杖と左足に重心があり、右足は形ばかりの動き。
特に右足の歩幅は、左足より広く、あきらかに体からぶら下がっているようで、体重を支えていない。杖なしの歩行でも左足を頼っているのは、変わらないが、右足への依存度が少し増している。今の段階で右足へ重心を、少しでも余計にかければ、右側へ転倒することを脳は分かっていて、バランスを崩しそうになると、左足への依存が急に増す。
脳は、異変を敏感に感じ、自分にとって楽な状態にしているようだ。
その事に抗えないが、トレーニングの一つの目的に、人間工学的に効率の悪い自分の運動を、良くしていくという事もあると思う。
自分の動き方が、本来の動きとずれている違和感を感じるというのは、脳=自分が発しているズレなので、認知できないのが、普通だと思いますが、他人に見てもらったり、鏡に映る自分の姿を見たり、客観的に自分を評価できないと、修正するのは難しい事だと思います。

椅子に座っていられない

退院してから、妻と脳卒中で、メチャクチャになった自分との闘いが始まった。
とりあえず、昨日と同じ生活を送りたいのだが、体調が安定せず、朝起きてみないと、その日の具合がわからない。最小限リビングで、日中は過ごそうと決めていたが、ソファーで寝ているのが、大半になってしまう日が多かった。なるべく座っていようとするのだが、辛くて続かない。
主治医から「あなたの取り扱い説明書みたいなものを、早く作りなさい。」と言われていた意味を、ヒシヒシと感じ始め、人間として、心や体を保つことの難しさを痛感していました。
きっと、椅子に座っていられないのも、体調がひどく悪いせいで、今は、しかたないと思っていました。
だんだん、いくつかそうなってしまう原因があるという事が、わかりました。
運動麻痺からのものは、シンプルに言うと、片尻で座っているという事。健康な人でも、片尻を浮かせながら椅子に座ろうとすると、一分もしないうちに、辛くなると思いますが、気が付かないうちに、そういう姿勢になってしまっていた。
①背骨まわりに、骨盤まわり、足まわりの筋肉が麻痺してしまって、適切な姿勢が作れない。
②楽に座るには、体を、お尻と足で安定させる必要があり、背もたれや肘かけに頼ればもっと楽。
③そして、おおざっぱな言い方になってしまうが、体を支える、感覚自体を失ってしまった。
それらを、修正するトレーニングを、ご紹介いたします。
まず、椅子に座って、麻痺していない手を、左右のお尻の下に滑り込ませると、麻痺した側のお尻が浮いていることを、自分で感じて下さい。
次に、上半身の椅子に座る姿勢を、鏡に映したり、他人から指摘してもらったり、工夫をして直して下さい。次に、両足でも姿勢を支えるよう意識して下さい。
これらを、意識しながら座る事で、徐々に座るという大事な機能を取り戻していきます。
まず自分自身が感じることが重要で、納得するまで気長に取り組んで欲しいと思います。
椅子に座るのが、辛いという方は、意外と多いと聞きますが、体幹が弱いせいになっている場合が多いです。私もそう考えていた時がありました。
麻痺した体幹を鍛えるのは、長い目では必要ですが、辛く、苦しい、そんなトレーニングをしなくても、椅子に楽に座る事は出来ます。ただ、やり方を知らないだけです。
椅子に、楽に座る感覚を取り戻すという事が、立つ、歩く、走るに繋がっていきます。
当たり前だった事が、出来なくなってしまって、簡単な方法を分かっただけでも、実生活にプラスになる。知ると知らないには、大差があると思います。

装具を外す

発症から一年以上過ぎてから、まともに歩けないのに、いつか装具無しで歩くと心に誓っていたので、自分の責任のもと、外すと決意しました。それまでも、室内は、壁、机、椅子、手すりetc、摑まる所が2~3歩の間には、必ずあるので、装具をつけずに、なんとかしていました。その頃は、知識などほとんど無く、根拠もまったく無く、ただ恰好が悪いというのが、私を突き動かしていただけでした。
体調のいい日に、外して歩くことから始めたが、右足に体重をかけようとすると、足首がカクンと折れてしまって、摑まる所のない室外は、まったく歩ける気がしません。
気合で乗り越えるしか方法が、ありませんでした。この頃の転倒は、50回近くあったと思いますが、ただ棒のように、何の立ち直り動作や受け身も取れず、ただ右手を骨折しないように、左手で、体に巻き付けるしか出来なかった。あまりの痛さに15分位、身動きができない位ひどい転倒も4~5回あったが、ただのラッキーでしかなかったが、骨折することはなかった。今考えると、無謀な事だったし、その時期でなくとも、良かったと思います。もっと歩行が安定してからするべきだったと思います。
その頃、別の報告をするため、半年以上前に退院したリハビリ病院で、セラピストと話をしている時、私の装具を付けていない足を見て、看護師さんから、「誰の許可があって、装具を外したんだ。」とすごい剣幕で叱られました。
患者の安全を第一に考えてくれている事に、本当に感謝いたしました。退院して妻と二人で、心細く感じていたが、何か大きく温かいものにてらされた、安心感を下さいました。
その後、装具なしで、何とか歩けるようになった時、装具をつけると、どんな感じだろとつけてみると、足が型を取った時よりも太くなっていてキツイ。
しかも歩いてみると、ふくらはぎの上部を押される感じが強く、歩きにくく感じました。
装具を外すという出発点は、バカな軽率な行動でしかなく、そのこと自体が、誰の役にも立たないと確信しております。そんなリスクを冒す必要はないはずです。ただ、私の体験談として聞き流して下さい。

らくちんボード

発症から二年程過ぎた頃、歩行機能を改善するには、内反尖足をどうにかする事が、必須と私とPTさんとの共通認識でした。
足の組織は、自分の体重以上を支える役目を担うため、頑丈にできていて、腕の力ぐらいで、修正出来るはずもなく、元の形状を維持しようとしてしまう。狂いが起こった私の足は、そう簡単に、思い通りにならず、一番効くのは、自分の体重をかけて伸ばすのが、一番理にかなって良いと感じていた。
しかし健康な頃は、スの字になって、アキレス腱の伸ばしなどの姿勢を取ることは、簡単に出来たが、今の私は、姿勢を取ろうとしただけで、緊張が高まり伸ばすどころではなく、転倒しないように、どこか頼る所につかまって、体を安定させなければ、逆効果になってしまうのが、常日頃だった。
歩く時には、電信柱ごとに、体を預けながら、ストレッチをしなければ、歩き続けられないほど、私にとって重要なことでした。PTさんから提案されるストレッチは、私にとって、その姿勢を作るだけでも、難しく、PTさんからの私の能力の評価と、私の現状のギャップを感じ何とか追いつこうと思うが、そんなに簡単には出来なかった。
私なりに、自分を観察すると、他人に見られているとか、足元が不安定だと思うと、緊張が高くなる。リラックスして座っている時は、ひどく余分な力が入っておらず、そういう時に、ストレッチ出来ないかと考え、らくちんボードを作りました。
調べ物をしている時や食事、テレビを観ている時など、座っている時間が、結構あるが、足そのものは、リラックスしているので、きっと良いストレッチが出来ると考えました。
内反尖足と逆になる角度を付けて、指と足底を伸ばすように、工夫しています。
又、スネもちょっと内側にねじれているようなので、ボードをつま先が外に向くように置いて、これだけでもゆっくりと、解決していくと自分に暗示をかけ、しかも何かをしながらストレッチが出来るという一石二鳥も三鳥もありそうな、納得がいく物になりました。
効果は、やらないよりは、あったと思います。
自分で、工夫しながら、リハビリに取り組むという事は、試してみたいという欲求も、楽しさも倍増し、良い結果に繋がるはずです。ダメで元々と考えれば、失敗知らず。
もし困っても自分に返ってくるだけで、他人には迷惑をかけない。
自分で実験をしているだけと、割り切って、遊び心も必要だと思います。

歩行の基本ポイント

発症から三年位すると、歩くまねをしているという程度まで回復してきたが、他人からは何か変とすぐに目に映るのは否めなく、私も何とか普通に歩いているように装いたかったが、努力目標という所だった。
歩ける距離の目標は、2km位で十分と思っていました。私の生活スタイルを考えると、それ位で十分だし、距離を歩けた方が良いには決まっているが、歩く距離を色々試しては故障を繰り返し続けていたから、望めないのも分かっていた。
歩くスピードの目標は、片側二車線の道路を、歩行者信号が青のうちに渡りきる事だった。
信号が変わってしまっても、誰が見ても障害者が渡っていると見えるので、クラクションを鳴らされることもなく待ってくれるが、本人は申し訳ない気持ちと、情けない気持ちで、何とかしようと強く考えていた。速く歩くためには、どうすればいいか、どういう機能の不全を直し、どんなトレーニングをすればよいか、私の取り組みについて触れます。
歩くといっても足の動きだけで成り立っているのではなく、全身運動で成立しているので、色々絡み合って複雑で、私の力では説明しきれないが、下肢だけで単純に役立つようにいたします。
どんなトレーニングをしようともそれまでは、左側しか筋肉痛にならず、ちっとも麻痺した右足にトレーニングがかからず困っていましたが、逆に痛み出して嬉しかったのを思い出します。
歩く姿勢に注意を払うと、股関節に真っ直ぐ上半身を乗せようと立たせるには、お尻の筋肉に負担がかかるのが分かりました。意識して出来るようになると、すぐにお尻の筋肉が痛くなりました。凝った筋肉をそのままにしていてはダメなので、妻に頼んで揉んでもらっては、トレーニングをすることを繰り返していました。
右側に何らかの手応えが出始めたことは大変嬉しいことで、きつく感じませんでした。
ヒザは前に出して、地面に着地する時など、伸びすぎに気を付けないと開帳ヒザになるので、ヒザの真下にスネが地面に対し直角になるように気を付けます。前に着地する際は、減速の役目があるのですが、スピードを上げたいのなら、あまり強く着地しないようにした方が良いです。
足首は、私の場合は一番苦労しています。足底からかかと、ふくらはぎが固く縮こまってしまっていて、距骨を弓のように前に押し出してしまっていて、本来なら後に滑り込んで足首をロックする大事な機能なのですが、足首が外側後方に逃げてしまって蹴れない。
推進力を出すのには、重要な機能ですが、力が逃げてしまって効率の悪い状態で、未だに試行錯誤しています。
足首の内くるぶしから踵の間、アキレス腱、ふくらはぎ、足底などが固く柔軟性が足りないということは、左足と比べればあきらかです。
マッサージ棒、超音波治療器、パワープレートを工夫しながら使い少しずつ、改善させる感じです。歩くときもストレッチが入るように、蹴る直前に、かかとを地面に押し付ける感じ
を意識しただけでも良いと思いますが、一瞬の動きなので、スローな動きにしないと感覚を感じにくい上、目で確認しにくい位置なので、気長にトライしてみて下さい。
右足が改善されていくと、左足も影響を受けるので、両足のバランスが変化し、いろいろな不調が出やすいと思います。私の場合は、パワープレートを上手く使い乗り切ってきました。
この項は重要なのですが、私の表現力が足りないので、伝わりにくいと思いますが、
色々なトレーニングの中で、基本的な考え方になると思います。

バランスボード

通所リハビリのPTさんに紹介して頂きました。
手すりにつかまり、バランスボードを水平に保つだけの単純なトレーニングですが、両足に均等に重心を乗せることが出来なくなった私には、大変複雑な難易度が高い良い方法でした。
地面の上では、左足に頼り切った状態でも、すべての動きが成立しているように、誤魔化していたという事が明るみになった。バランスボードの上では、そんな小手先なことは許してくれない。鬼コーチのような存在です。
バランスを取りたいのですが、右側の力の出し具合が乱暴で、釣り合った位置を探しきれな
いことも分かりました。人間は素晴らしく精密な機械のように、気が付かないうちに学習し、自分の制御機能を、構築したことすら意識していなかったが、それを失った50歳過ぎの自分に「本気で取り組まなくては、取り返せないぞ。」と葉っぱをかけ、夢中で取り組みました。
本当は50歳過ぎのおやじが、こんな事に真剣に取り組む姿は恰好悪すぎると思うが、こんな簡単なことが出来ないのも、恰好悪いのは同じだ。と心の葛藤もありましたが、セラピストから提案され、途中で投げ出す方が、人間的にマズイと私は考えました。
自宅でのトレーニングを黙々としたのですが、骨盤、肩、頭の位置も気にしながら、膝を軽く曲げて、バランス感覚を自分のものにする。思ったよりも時間がかかりましたが、習得出来ました。出来たからと言って、生活そのものの変化はないですが、その後失った物を取り戻す役にたったのは、間違いないと思います。
小さい頃は、初めて体験することに興味津々で、夢中になって疲れ知らずに楽しんでいたのを、思い出しました。

下り坂・階段

発症4年頃、道路も階段も下りは、とても苦手でクローヌス(足がブルブルと震える)が出現してしまい右足に体重を乗せるのは、怖くて出来ないので、ゆっくりと慎重に小股で降りるようにしていた。下りで体が前に加速してしまうのを、減速する力が足りないと、脳が感じてしまい、右側の体が後ろに引けて、左側が頑張って前に出て、体重のつっかえ棒となって受け止めている。右足だって何とかしようとしている証拠なのだろうが、クローヌスが出てしまう。下りで転倒すると、大ケガ間違いないという感覚も腰が引けてしまう。
自費リハビリのセラピストが明確な答えを簡単に出してくれました。
「膝を曲げたままにして下りればいいのよ。」そんな単純なことで楽になるのが疑問に思いましたが、全ては解決したわけではなかったが、苦手意識は半減しました。
しかもその意識は、例えば反復横跳びのように、素早く移動する運動も楽になった。
そんな単純と思われる事も、私の中から無くなっていたし、気が付かないくらい、体の自由度が無くなっていたのを、再認識する事となりました。
健康な時、何かに身構える時は、膝を曲げ、低い姿勢を取っていたのに、いまは膝を突っ張り身が引けた。本質から遠ざかろうとしようという姿勢になっていた。
そんなことに気付いただけで、いろんな事の取り組みにも生かせる。私の失くした物を、取り返すという思いに、プラスに働いたというのは、言うまでもないと思います。
良い運動をするという事は、自分の重心を思い通りに、意識しなくとも適切な位置に移動出来ることによって、成立すると認識出来ました。

足首

足首の酷い内反が気になるので、何とかしたいと思って色々試してきた効果が、少しずつでて徐々に戻ってきたが、正常からはまだ遠く、足首はほとんど自分では動かせない状態でした。
ふくらはぎ、アキレス腱まわり、足底を手で毎日のように揉んだ。アキレス腱伸ばしに代表される「ス」の字の姿勢になって、自分の体重をかけるストレッチ。当たり前と言われるが動くことが、ストレッチ効果になることも意識しながら行うなど、その中で、格段に効果が出た方法がありました。
後脛骨筋
2年半ぐらい過ぎたころ、通所リハビリのPTさんからの提案で、「後脛骨筋が内反に強くかかわっているのは間違いないと思う。しかしふくらはぎの大きな筋肉の下で、直接触ることは出来ないが、足首の後ろ側だけ、足の表面からアプローチすることが出来る。しかし非常に痛みを伴いますが、やってみる価値があるがどうしますか?」と言われ早速お願いしますと返答し行った。うつ伏せだったので、どうやったかは見えませんでしたが、激痛で足がピクピクと痙攣していました。あまりの痛さで長く感じたが2~3分だったと思います。施術した直後は防御反応でよく分からなかったが、半日過ぎから、すごく歩きやすくなったのに驚きました。内反の角度も弱くなりました。
2ヶ月後にもう一度お願いしたところ、激痛は同じだったが、一回目程大きな差はなかったようですが、劇的に成果があったのは間違いありません。このようなことは、専門性の高い施術で、双方の信頼関係があって受けられたと、感謝しております。
踵骨
そして4年過ぎ、自費で行ったリハビリのセラピストから、踵が内側に引っ張られ過ぎているので、何とかしたいと言われました。手で効果を上げていた超音波治療器で、私がやってみますということで、足首の内くるぶしから踵の間を、緩める目的で毎日一か月ほど続けました。その部分に超音波治療器を当てると痛みを感じるので、効果が出ると直感しました。
自分でもだんだん改善するのが嬉しくて続けていると、痛みが減りながら、踵の方へ集まっていきました。
セラピストの評価は合格で、よく改善しているということでした。本人も歩きやすさは向上し、足首が外側にカクンと折れてしまうことが減りました。
そしてこの頃から足首を伸ばすことが少し出来るようになったため、長靴を着脱しにくかったのが、やりやすくなってきました。

非麻痺側

リハビリ病院からずっと痛むのは、なぜか左足ばかりだった。
脳卒中で麻痺した右足は、自分でやり過ぎたと感じるくらい歩いてしまたり、作業した時はたまに股関節の前面が出っ張って痛むことはあったが、一週間ぐらい穏やかに過ごせば、ただの麻痺した足に戻る。
左足は痛い日がないくらい、あっちこっちの張りが酷く、毎日のように妻にマッサージをしてもらって、なんとか歩けなくなるほどの故障は防いできました。
最初は片麻痺について無知だったので、左足には大変困難なことをしてしまい、完全に壊すことになって、大きなペナルティーを、自分の体から与えられて認識を変え、麻痺した足よりも大切に扱わないと、生活そのものも成り立たないと、脳卒中前は考えることすらなかった、左足への感謝の心を持っています。
左足への負担を少なくするには、右足の麻痺を治すことのみなので、時間がかかったとしても、実践していくしかないと考えています。これからは老化との闘いも加わってくるので、左足を強化するという方法もあるが、もし長生きしてしまったら必ず左足も老化は免れず、左足だけに頼っていては、最悪歩けなくなることは想像できてしまう。
先細りになるのがわかっていて、する人はいないでしょう。しかも今でも左足は悲鳴をあげているのに、これ以上頑張れといっても、無理なのは明白です。
色々な面で右足を少しでも回復させることの重要性があり、発症から年月が経つほど、足は二本揃っていなければ、機能の成立が出来ないことを痛感します。
脳卒中前の両足は意外とキレイで、肉体労働の仕事だったが、手足からその痕跡がないことが、私のステータスだった。
今は、右足は麻痺からの内反尖足、ハンマーツーによるタコや足爪の変形、左足は足の役目の大半を背負わされた為、深いタコや痛み、左足の靴の痛みが酷く左足だけがダメになってしまう。左足は何をするにも依存されてしまうが、何とか応えようとしてくれる。
今はどうにもならないが、いつかは元の両足に戻したいと、足を見るたびに心に誓っています。

骨盤・股関節

骨盤は右麻痺側が、上方が後ろに傾き左側へ片寄って、脇腹もつぶれた感じになっています。
股関節は右が前方に回転しているようです。
自分の体の崩れについて感じる事が大事です。しかし体の中心に近い所ほど自覚しにくい。
私は違和感が無く、セラピストから指摘をされて、そうなんだと思うくらいでしたが、色々な動きや姿勢は、正しい位置に安定させることが出来ると、全てにプラスに働く土台になると思います。
椅子に座って正しそうな姿勢に、自分で直せるかが重要だと思います。
私は鏡や茶箪笥のガラス扉に映る自分を見ながら、気が付くと必ず直す習慣になっています。そして体を揺さぶるように、片尻に交互に座るトレーニングをします。
最初は難しく、リズム良く行える頃には、だいぶ左右のバランスや使い方が、分かって来ていると思います。
最初は直そうとしても出来ないのが普通だと思いますが、めげないで続けていると少しずつ感じてくると思います。
椅子から立ち上がる時も、腕に頼らず上半身を前へ倒してからする意識も大事で、立ち上がる時に尻もちをつくという事は、骨盤や足でバランスを取ることが出来ないので、気長にトライしてみて下さい。
走るとかゴルフのようなスポーツを楽しむなど運動が高度になるほど、骨盤は土台として重要になって、上手く自分の望む動きをしたい時に、どう制御できるかで、しっくりといく動きを作れると思います。
大きく動く部位というより、体の中心でバランスを取っているような感じで、骨盤が狂えば全身がその影響を受ける。と言ってもいいと思います。
片麻痺によってすべての動きをスムーズに行えなくなった。しかも自分の体が、そうしたがっているので仕方ないように思え、受け入れざるを得ないと感じる。
無理となった動きでも、もつれた糸を解くような、地道な取り組みで立ち向かえば、どうにもならないというわけではないと思います。
自分では感じられないとしても、メカニズムをわかって、自分の状態を客観的に観察し、直す努力が必要だと思います。

全身運動を結びつける

 

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