運動麻痺克服 上肢

はじめに

脳卒中の後遺症は、それぞれ皆違うものなので、私がしたやり方、考え方、道具などすべての方に通用するとは考えていません。本来であれば、歩くとか物を取るとか、日常で普通にする動作のほとんどは、全身をバランスよく使っているのが当たり前で、上肢や下肢だけと動きを分けて考えるのは、不十分でしょうが、上肢と下肢に分け、両方とも回復していった順に、その当時のことを振り返りながら少しでも誰かの役に立つヒントになればという一念で、なるべく私がよかったことを細かく書きます。
発症当時のわたしを振り返ると、突然脳梗塞になって麻痺したという事すら受け止められずにいたというのが本当だった。この変な体は「おれの体じゃない。きっと長い夢を見ているのだ。」と現実逃避していました。
多少の差はあれど、誰もが心が混乱するのが当たり前でしょう。
しかし長い人生の中で、自分像を作り上げてきて、他人から見たら、「ちょっと病気をしただけなのに、人が変わってしまった。」などと思われる事すら心外です。だから、冷静にふるまっていただけだと思います。又その方が自分にとっても良いと思っていました。
しかし今は、そんな重い鎧をまとっていても、身動きできない。もっと自分を軽くしてから、立て直そうと思い直し、置かれている状態を率直に受け入れ、失くしたものの大きさを理解し、どのようにしたら、前向きな生き方を取り戻せるか奮闘中です。
自分の人生において、一大事な場面であることは間違いない。そこから脱出する術が一つでもあったならラッキーな事です。
一つの考え方として、誰でも初めてするスポーツや楽器など、自分の思いどおりに扱えるまでには、物凄く情熱を傾けたトレーニングをしなくては、納得できるようにならないし、ましてプロを目指そうとしただけでも、桁外れな思いがないと、達成すらむづかしいのは、当たり前のことです。脳卒中の後遺症を克服するということも、それに近いことだそうです。ごく普通の人が突然そんなところへ追い込まれても、受け入れがたいのは当然です。
ここでこう考えてはいかがでしょうか。トレーニングといっても、物凄い鍛錬を積むのではなく、ちょっと体の動きの意識に注意してリハビリをするということです。具体的に書くと。
①何もわからず、ただ何とかしたい。=出来ない
②意識し始める。         =出来ない
③意識していれば。        =出来る
④意識しなくても。        =出来る
⑤普通にできている。
①、②の段階だと挫折しか味わえないが、③の段階よりは、達成感を味わえる上、自分の力で何とか出来ることを確信できると思います。どうか勇気を出して、前に進んだら如何でしょう。

上肢

リハビリ病院に転院

突然脳梗塞になって、麻痺してしまった手。毎日思い立っては「動け」と念を送るが微動だにしない右手、それに比べ変わらず便利な左手。どうやったら元に戻るんだろうと考えても頭の中は真っ白。
それどころか、体からダラッと下がった手は紫色で冷たく骨と皮、まるで死人のよう。
寝返りを打つ時も、背中にまわってしまって邪魔なものでしかない。
約3週間で急性期の病院からリハビリ病院に転院し、それからOTさんからのアプローチが始まった。
机の上にタオルを置いて、その上に右手をのせて左手でグルグル動かすという、施術の仕方が初めてわかった。麻痺の治し方、目から鱗とはこのことだ。
動けと念ずることは、脳から手へ指令を出すアウトプット。
動かない手をマッサージしたり、動かすということは、手から脳へと感じを送るインプット。
そうか、アウトプットができない以上、インプットするということだ。
1~2日すると親指がピクッと動いて見えた。もう一度しようとすると動かない。
次の日、また1回動くとその日はそれだけなので、妻やOTさんに見せようとリハビリの時間まで動けと念ずるのを我慢して、2人の前でやると「ピクッ」と動いた。
3人ともに大喜びしたのが未だに忘れられない。
それからOTさんと私は大汗をかきながらリハビリに励んだ。
徐々に動き出したが、ダラッとしていた上肢は、手はグーでひじは体の前でくの字に少しづつなっていく。それと同時に、左手で触れただけなのに、すごく痛く感じる部位が増えだした。神経が通いだせば、元の手にもどっていくと思っていたが、まったく自分のゆうことを聞かない勝手なことをする手になっていく。
その当時は、マッサージをして痛みを取るようにOTさんから言われ、時間があれば自分で手をもんでいた。その行為は大事な動かすという意味があった。
ある日、担当のOTさんが休みで、別のOTさんに付いた。その方は、担当の方とはまったく別の施術だった。
1時間中わたしを寝かせて、座ってのんびりと世間話をしながら麻痺した手をソフトに揉み続けることだった。
いつもは大汗をかくほどハードなリハビリだったのに、まったく新しい体験でこれでいいのか面食らった。しかしリハビリが終わってから1~2日は、手が楽になって、動きがなんとなく軽くなったように感じました。
2~3年してわかった事は、両者の方々はどちらも正しく理にかなっていて、両方をバランス良く気長に続けられれば、ただ動く手にするだけでも大変重要な施術でした。
しかしそのメカニズムを本人が理解して、日常の中に取り入れる事が出来ると、効果は絶大になると思います。
メカニズム
①脳から手へ指令を伝える手段を失ったのを再構築する目的で、インプットを積極的に行い、アウトプット出来るようになるまでトレーニングを行う。この時、目から入る情報も、脳は学習するので、左手で動かしているが、右手を動かしているイメージをもつこと。
②この時期の痛みを発している所は、概ね筋群(グーを握る、ひじを曲げるetc)が多くそれらが暴走し、縮こまったままになっていて、本来の手の動きを邪魔している。ほっておくと廃用手になる。
しかも縮こまり固まって、反対の役目になっている伸筋(パーをする、ひじを伸ばすetc)を邪魔してしまっている。マッサージによって、筋肉本来の機能を取戻してあげると、伸びきって動きを失くしている伸筋にもトレーニングする準備が整うということ。
③もともと体の中に備わっている、色々な反射機能も制御機能を失っているので、必要でもない時に出てしまう(ウェルニッケ・マン肢位、あくびやくしゃみetc)

全て理解するには、私の記では不十分ですが興味を持った事についてだけでも良いので、調べてみて下さい。ただやらされているリハビリと、自分が理解して意図的にやっているリハビリでは、楽しさや成果がまったく違ったものになってしまうと思います。

リハビリ病院退院

私の場合は、多くの問題をかかえたままで、主治医に退院を申し出たという(「自分の体の良き理解者になる。体の仕組みを理解することは改善の鍵」で書いたエピソード)不本意な形になってしまった。
実生活に戻るということは、最低限自分の名前や住所が普通に書けなくてはいけないと思い、左手で文字を書く練習を一人で消灯までの時間を利用して始めました。
食事や着替えなど何でも左手だけでこなしていたので、すぐに書けるようになりましたが、自分の筆跡にならないのです。
練習を繰り返せば、上手くなっていくが、私の字だとわかる特徴を出せないことが不思議に思いました。
利き手を失うということは、今まで生きてきたという私の証すら失くすということなんだと私は考え、何としても右手を復活させる決心をしました。
右手でしかも人前で、サインが出来るようになるまで三年以上かかりましたが、私の字だという満足の方が大きく、多少の下手さやゆっくりにしか書けないことや、すぐに疲れてしまうことにイライラすることがなかった。
価値観は、人によってさまざまだと思いますが、私にとって私らしさのようなものを取り返していく方が、向いている事を自覚しています。
いろいろな困難にぶつかり、しかもあきらめたって誰も批判しないくらい長い月日をかけても、自分のやりたい事を見失わないコツのようなものを見つけ出した人は、今何をする事が一番自分や家族の為になるか、見失わない強い味方を得たようなものだと思います。

手を開く

発症から七年たった今も私の右手は、体重を支えたりとっさの時などは、勝手に握ってしまい扱いにくいところが残っていますが、マラソンでいうと通過点の途中にいるだけで、ゴール出来ると信じています。
手が開かせられないということは、手としての役目にならないばかりか、寝ている時ですら握っている手は、イヤな臭いを放って不潔でイヤで、妻に日に何度か洗ってもらってました。そんな手に見切りをつけ、麻痺した手の事は、気にならないという方も多く見かけますが、自分の手なんだという事は、認識しておいてほしいとおもいます。そうだといつでも間に合う可能性があるからです。その件は次の項でふれさせてください。
原因は、切り口を変えればいくらでも付けられますが、シンプルに考えると、手の場合は肘より先の筋肉の屈筋群の緊張が高まりすぎて、握ったままになって手首は内側に曲がっている。
もう一つは手としての感覚を失っている。
それを再学習させれば良いということにした方が、問題を手を開かせるということに最初は絞った方が成功体験を積み上げやすいと思います。
私は、手のひらに爪が刺さって痛い事があったくらい、ものすごく力が強いのかと思い込んでいたが、その筋肉の一つ一つを観察すればすぐ、わかると思いますが、やせ細ってペタペタでたいしたした力など出せない。
握力計で測定したら2㎏もない。「ただ、筋肉としての役目を失っているだけ」と考えればやる事は単純で、誰でも出来ると飲み込む方が良いと思う
方法としては、良いほうの手で、痛みを感じる所を揉むという事だが、寝ているかリラクッスし、少々痛さを感じるくらいの力加減で同じところを揉み続けてはいけない。
疲れたら終りだが、ゆるんだ指とかその程度を確認しながら、どこをどのくらい揉んでどのくらいの痛さの後、手に変化は起きたか?日々観察しわずかな違いにも感謝しながら、やり続け少しづつ手の握りが緩んできたと感じたら、物をつかむ練習をする。
物は、なるべく弾力を感じる方が良いと思います。私は、テニスボールや少し大きめのゴムボールを色々工夫しながら使いました。
なるべく手より大きめのボールが最初のうちは、理にかなっているかもしれません。
手を開いたまま、少し握るとか、ボールを中心に前後左右に手を乗せて動かす。
又は、ボールを手のひらでたたくなど、自分でどこのストレッチになり、どんな感覚が蘇るのか感じながら、そのトレーニングの効果を自覚し、良くなっていくイメージを持って楽しくやってみて下さい。
手が自力で、パーを作れるようになってきたら、色々なトレーニングが出来るようになっていくばかりか、握手をしたり、法事の時手を合わせるetc生活を取り戻すことにもなります。

使わなければ機能を失う

麻痺した手は役に立たないだけでなく、自分の手だという概念すら失っている場合もあります。片手を失っても大抵のことは何とかなってしまうからです。
必要とされないと機能レベルは増々低下して、最悪廃用手となってしまいます。
少し動く程度では手としては全く役に立たず、イライラするばかりで邪魔なものでしかない。手は複雑に器用に動き、思い通りに目的をこなせないとならない。
本当は麻痺からの回復は、時間をかけ、徐々にしか起こらないのに、最初から高度な機能を求められるので、すぐに見捨てられてしまう傾向があると思います。
それが大きな落とし穴となって、麻痺した手は忘れ去られてしまい、使おうとすら思わないので、機能を失くしてしまう。
もっと恐ろしいのは、脳のネットワークは不使用に伴い減少してしまいます。
本人はなんの苦しみも無いので、その事に違和感がありません。自から回復を絶ってしまったことになります。
リハビリの考え方として、発症から半年も過ぎると麻痺は固定されてしまうので、残された機能の訓練で、日常生活を早く送れるよう患者も促され、麻痺手なしで生きていく事を選択し、なんの疑問も感じず多くの方が、生活を取り戻していきます。
その方が思うようにならない手に、いつまでも悩まされることから解放され、新しい生き方に向かっていけるという良い面もあると思います。しかしそこには、努力次第で使える手になる可能性の話は、されずにいることが残念だと思います。
私の体験では、麻痺手に積極的なトレーニングを行わなくても、自分の手だと当たり前に思い、少しでも動けば手の役立て方を考え、使う努力をしていれば、段々と便利な手へとなっていくはずです。
機能レベルに合わせて、無理なく出来る範囲で続けられることを、生活の中に取り入れていけば、日々の生活そのものがリハビリになると思います。今、少し頑張れば出来そうな課題に向かって、小さな成功体験をコツコツと積んでいくことが、生きる張りになっていくし、そんなに難しく考える必要はないと思います。

年齢や発症からの年月にこだわらない

私の叔母さん91歳の話をします。私が発症するより5年以上前に、脳梗塞で倒れて、特別養護老人ホームに入所していました。私が発症してから3年くらい経過した後、お見舞いに行ったときの話です。
車椅子で、右手はくの字に固く曲がり、手は固く握り込んでいましたが、すぐに私を見つけて話し出しました。構音性失語で少し言葉の発音が悪くわかりにくい所はあるが、頭の中は鮮明で、昔と変わらない気の利く、清潔感のある叔母さんで大変嬉しかった。
話の中で、足はあまり麻痺しているようではないが、年齢からすると倒れて骨折になるリスクと介護する人の手間等を考えると車椅子もしょうがないと思った。
しかし手は、何とかしたいが本人ではどうにもならないという事。他の入所者から、あきらかに麻痺しているとわかり、いじめられて悔しいと訴える。
その手を触らせてもらったら、暖かく柔らかい。方法を伝えれば何とかなると直感した。
ちょっと揉んで見せたらすごく痛がったが、時間があったら良い方の手で揉むよう伝えた。再び、1ヶ月後お見舞いに訪れると、叔母さんもエレベーターの前でニコニコ出迎えて下さいました。
すぐ目に入った手は、少し緊張が緩んだ手でした。左手の方へまきつき、握ったままで、正常ではないと誰が見てもわかった手が、膝の上に置かれていて、手のひらは少し開いている。私の予想通り、意思の強い叔母さんは毎日、一生懸命やってくれると思っていたが手を見て感動しました。
そして年齢に関係なく、良くする方法さえわかったら誰でも、発症してからの月日に関係なく改善する事を確信させて下さいました。その事は、私にとって色々浴びせかけられていたネガティブなイメージを振り払うには、大きな事実でした。その事は、勇気と継続力を今現在も与え続けてくれています。
この日は、きっと役に立つはずと考えマッサージ棒を持参しました。
その前にも数人の方にお渡しして、好評価をいただいておりました。手でマッサージして、もう痛みを感じなくなったと思っていても、その下でまだ隠れている筋があり、マッサージ棒だとそこへ到達出来るのです。そのやり方を丁寧に説明すると、叔母さんも目を輝かせ熱心に聞いてくれました。
老人ホームは、安全な所だし、介護士の皆さんも親切にしてくれて有難い所だと思うのですが、私も入院生活でよくわかりましたが、個人の本当の自由は、そこにお世話になる限り言えません。長い年月の間、モチベーションを保っている叔母さんは、本当に強い心の持ち主です。改めて尊敬いたします。
その一つの目的に手を治すという事に、心を向かわせる手伝いが出来た事が、うれしいし、ささやかな希望に答えを出せたという、私の後遺症克服体験が、あったからこそと肯定出来ました。
誰でも障害を負うようなケガや病気をしたことを肯定出来るはずはないでしょうが、恨んでも仕方がないし、人生は巻き戻し出来ません。
そんな自分でも、何らかの方法で誰かの役に立てる事が見つかった時、自分の事を認められるんじゃないでしょうか。

 

動くが使い物にならない手

脳卒中患者同士で、色々な話をする機会があり、多くの学びや気付きを頂けたのは、ラッキーなことでした。その中の一つをご紹介致します。
介護保険の認定を頂き、通所リハビリ中に、年齢は、私より年上の方で、いつも麻痺した手を使ってないように見えたので、「失礼な質問になったら申し訳ないのですが、手の具合はいかがですか?」とお聞きすると、「ダメだよ。」との答え。「どのくらい動きますか?」と聞くと、私の前で動かしてくださいました。
すると私よりもはるかに動いて、驚きました。うらやましく思う反面、どうしてもっと使わないのだろうと、不思議に思いました。
それ以上は、その件に触れることはなかったが、自分に置き換えて考え続けました。
発症三年も過ぎると、トレーニングの成果が、少しずつ出始めて、自分のしたい事が少し出来るようになってきた頃を振り返ると、物を取ろうと手を伸ばすとか、靴を履こうとするとか、危険を避けようとするとかetc全ての事をしようとすると右手が出ないのです。意識して右手でしようとすると、肩が引けて、障害者独特な身構えになって、第三者から見ても、違和感そのものです。当然うまく出来ないのです。
動き出せば、全てが上手くいくのではなく、本当の自分の手にするには、動くというだけでは、まだゴールではなく、過程に過ぎないと理解するようになりました。
そこには、感覚のような事を学習させる必要がある事を知り、その事について学び始めました。一つは、自分に対して学習させることは、他人では無理で、自分しかそれを出来ないということです。主治医の言葉で「やりたい事からやった方が早い事がある。」というキーワードの実践の始まりです。
発症から一年半後、キャッチボールをしたかったので、妻に頼んで試すと、グローブは左手なので、多少の悪送球でもストレスなくキャッチ出来るのですが、右手がボールを、まったく投げられない。自分の右足のすぐ横に、ポトリと落ちるだけ。
左手でキャッチする時は感じないが、右手で投げようとすると、体中がこわばり、投げるどころではなく、転倒しそうになってしまう。投げることに対しての自主トレの始まり。
座った状態だと緊張が少なくなり、これなら倒れないと安全を確保して、毎日10~50球トライし続けました。体調や緊張が強くなりすぎないかが、トライする回数の目安で、ノルマはない。そんな事を半年、一年続けると2~3m投げられるようになった。
そんな成果を、セラピストに見せたいと思ったが、室内なので大きめのゴムボールで、セラピストに向かって投げると、大きいうえに軽いゴムボールは、すごく投げやすい事も判明。
それを見たセラピストは「すごい。」と繰り返すばかり。今の私の右手の状態では、ボールなど投げることは出来ないはずだと言うが「でも、現実には投げられるでしょ。」と可能性がある事を、セラピストに認識してもらうのに効果があった。
その後、試行錯誤の日々を続けながら、発症7年たった今は、私の息子とキャッチボールが出来るようになっています。

お箸

発症から一年間位は、麻痺していない左手で何でもこなしながら、右手を動かすことに試行錯誤しながら、トレーニングを一生懸命していたという中で、一日の中で食事は重要で、体調を整えるとか人間らしい生活を送るとか、基本を作るためには必須です。
その中で、左手だけで犬食いせざるを得ないのはマズイと考え、トレーニングを始めようと思いました。どちらの手でお箸を持つかと考えた時に、答えは一つしかないと思いました。なぜなら右手でお味噌汁などの汁物が入った器を、こぼさず持つという事は、色々とトライした結果、相当に高度な動きだと分かっていた。
水分をこぼさないようにするには、手や腕全体が安定的に静止保持をしないと、器の中身をぶちまけてしまい仕事を作ってしまう。近くに人が同席するという事は、危険で迷惑をかけるしか思い浮かばない。その上、重さも右手にとっては重要で、とても無理なのは明白の事実だった。
トレーニングは、右手はスプーンやお箸担当、必然的に左手は器担当しかない。
まずスプーンから始めたのだが、右手にとっては重いうえに食材を乗せると、まず普通に口に持っていく操作を、会得するのには時間がかかった。手を伸ばしておかずを取ることは出来なかったので、自分の近くに置いてから、トレーニングを始めたのを思い出しました。
その上すぐ右手が疲れてしまうので、長く練習が出来なかった。スプーンに慣れてくれば、お箸の番だが、最初は、左手でもお世話になっていた介護用のお箸を始めると、人間工学的に作られていて、意外とすぐに対応出来たが、人前で使用するには気が引けるほどゴツさがある形状だったので、少し遅れて普通のお箸にも挑戦するが、持ち方さえ分からなくなってしまっていたので、家族全員を見比べると、少しずつ違う。本人に聞くと、私のお箸の使い方は正しいと言う。意外と多少のことは問題ないようだ。
しかしお箸の文化というのは、ものすごくトレーニングをしないと、仲間に入れないということを痛感しました。お箸というのはただの道具なのですが、箸先には何を掴んでいるか分かるぐらい感覚が行き届き、開いて食材を割ったり、豆腐のような崩れやすい食材や、そうめんのように逃げやすい食材を、全てお箸だけで完結してしまう。当たり前のことが、本当はすごい能力であったと再認識致しました。
発症から七年過ぎた現在、使いこなせるようになりましたが、本当の意味ではまだトレーニング中です。

 

 

 

 

 

 

ジャックナイフ現象

肘を早く伸ばそうとすると、抵抗がすごく「く」の字になって真っ直ぐ伸びない。
ゆっくりと恐る恐る伸ばすと抵抗は感じるが伸ばせる。この事を「ジャックナイフ現象」と言うらしい。日常生活の中で、麻痺した手が使いにくくなってしまう原因の一つですが、どうしてそんな強い抵抗を感じるのか考えると、肘を曲げるための筋肉を、一番目に疑って良いと思います。
肩関節から肘関節の間で、屈筋を揉むとコリコリと芯があり鈍く痛みを感じる。色々な揉み方があるが、良い方の手で揉みたいところを圧迫したまま、肘を伸ばしたり曲げたりすると、どこが悪さをしているか、感じやすいと思います。
トレーニングは、野球のバックトスやダーツなどは良い方法だと思いますが、意外と難しいので、仕上げのトレーニングには良いと思います。
私がやり易かったのは、サンドバッグを殴るトレーニングです。打撃をする感じが、肘を伸ばさないという抵抗感を、開放してくれる感じがするので意外と良い。
ジャブのような事からストレートパンチへと、とにかく肘が伸びたところでサンドバッグを殴る。ひじが曲がったままでも殴れてしまうが、この場合はそういう目的のトレーニングでは無いので気を付けます。何も刺激がない空中に向かって、肘を伸ばすより、打撃感のある所へ、肘を伸ばした方が楽に伸ばせる。
最初からうまくいかないのは慣れっこですが、自分に向いていると直感しました。
発症から7年経った今は、空で打つパンチは少し抵抗感があるが、サンドバッグは力強く殴れます。ダーツの矢はやっと投げられますが、とてもキツイです。

麻痺手で文字を書く

二年過ぎになると、机の上でなら色々な作業に挑戦していた中で、右手で文字が書けるようになろうと、トレーニングを始め出しました。
リハビリ病院退院の中でも触れましたが、左手で字を書いていましたが、自分の筆跡にならず、そのままでも仕方ないとも思いましたが、自分そのものを取り戻すために、筆跡も大事な一つだった。
自分の名前を書くことですら、大変困難で他の作業と少し違うと感じました。机の上は平らなのですが、良く観察すると、ペン先は複雑に動いている。筆圧などもあまり意識しなくともオートマチックに動いている。小学生の頃書き取りの宿題が多くて、ヤッツケ仕事のように嫌々やっていたが、大事な訓練だったと改めて思います。手首が役割の中心だと思うが、私の手首自体は、ほとんど自由に動かすことが出来なかったし、微妙な動きは苦手としていた。
これまでの回復はどちらかというと、大雑把で動くことが中心であったが、麻痺した手にとっては、苦手なトレーニングだと思います。
大きな字の練習から初めて、紙が滑りにくく書きやすく、あまり軽いペンよりは、少し重さのある方が書きやすかった。二年以上ペンを使えなかった右手はペンだこが無くなり、中指のペンの当たる部分が赤く痛くなるうえ、緊張が走ってしまって、手首などが曲がってしまい、上手く動かなくなってしまうので、少しの練習にしか耐えられなかったが、焦らず取り組むという気持ちで、気長に続けました。
三年程になると、人前での署名など自信がついてきて、私の後遺症の酷さを知っている友人はみな、驚きと称賛を下さいまして、それも私のモチベーションになりました。
又、私が脳卒中を発症したことを知らない方は、普通に対応してくれて、麻痺に気が付かない様子なのも、楽しみの一つになりました。
失くした機能を再学習するのは、忍耐が必要ですが、普通になるのは他人からは、特別になるわけでもない。でも当の本人は、普通になった事に、喜びを噛みしめることが出来ます。一人前が最低条件で、何かそれ以上の事が、出来ることが良いと考えていた脳卒中前の私は、一人前がいかに尊いことなのか、認識できる体験をして、良かったのかもしれないと思います。誰でも得意なこと、苦手なことがあって当たり前で、個性と言うのではないでしょうか。

ウェルニッケマン肢位

発症から1か月以上は、いくら動けと思っても何も答えてくれなかった手が、ある日ピクッと動き、明るい希望の光を感じたのも束の間で、動くことと引き換えで、手が握られ、肘が曲がり、片麻痺の特徴的な形(ウェルニッケマン肢位)になっていく。
本人が「恥ずかしいのでやめてくれ。」と願っても、ますますどうにもならなくなっていく。何とか治そうと色々調べても、脳卒中によって脳が壊れたことによって起きている。
だから根本的な解決方法はないと、心を打ち砕くことばかりしか目にしない。
しかしそれが全てでは私は納得できないし、何か抜け道はないかと考えました。
いろいろな運動を工夫し、緊張が高まり過ぎている筋肉を、緩める方法をいろいろ試し、試行錯誤を繰り返してきた中で、効果が有り今でも頼りにしているアイテムに、超音波治療器があります。短縮や固くなった筋肉や腱を、健康な状態に近づける効果を感じられます。又、使い過ぎによるばね指やいろいろな部分の痛みなど麻痺側、非麻痺側どちらでも、即効性がありありがたい存在で、頼りにしております。
脳の支配が行き届かなくなって、暴走してしまっているらしい。神経ネットワークを再構築する一つの手段として、手からの刺激を脳へインプットしたいのですが、ガチガチに固まって自由に駆らないほど手強い反射です。
しかし椅子に座ってリラックスしていれば、良い方の手で動かせるくらいには緩んでいます。その時に左手で屈筋が固く筋張っている所を揉むと痛みを感じる。
超音波治療器を使ってみると、ピリピリ、ズッシーンと痛みを感じて15分~30分行うと手が少し緩む感じで、手で揉んだ時より数倍の効果がありました。
確かに反射でウェルニッケマン肢位になるが、病的な筋肉を緩めただけでも、少しずつウェルニッケマン肢位も出方が少なくなっていって、2~3年もすると、自分の意志で制御できるようになっていきました。
7年経った今でも、事あるごとに体の中では、手を曲げたいという力が起こっていますが、「やめろ。」と静止し、他人には気が付かせないようにしています。
当然、姿勢が安定するだけの筋肉や骨格が整ったことや、運動麻痺も回復しつつあるなど色々な要素も加わっているのも事実です。麻痺側の筋肉には弾力のような感じが弱く、運動やマッサージによって、本来の機能に近づける努力をした方が、楽に動け、スピード感も増して、ごく健康な人のように、ふるまえるようになっていきます。
マッサージに否定的なセラピストに多くお会いしてきましたが、特に手は、屈筋群を正常に戻す手段の一つとして有効だと思いますし、屈筋の暴走を取らないと拮抗筋である伸筋のトレーニングを、することも無理だと思います。
その中で、病的な部分の回復に超音波治療器は適していると私は思います。

 

超音波器 US PRO 2000 2nd edition 【超音波治療器メーカー Roscoe Medical社 製造】健康機器

価格:24,300円
(2021/4/16 09:15時点)
感想(162件)

肩甲骨

はじめに

健康な人でも肩甲骨の動きを感じたという事は、普通はほとんどないと思います。
プロ級の運動選手ならば、肩甲骨の動きを意識して高いパフォーマンスを引き出すため、トレーニングしているのを見たことがあるぐらいで、楽しむ程度でスポーツをする場合など、肩甲骨の動きなど意識しなくとも練習をすれば、自然とついてくるような感じだったと思います。ましてや背中は、目で見て確認することは出来ない。
脳梗塞になって、セラピストから「肩甲骨が体から浮いたようになっています。」と言われても、本人はなにも違和感ないばかりか、手足の不自由が気になってしまって、気が回らないという状態だった。ボールが2~3m投げられるようになった頃、自分が狙った所より、ものすごく左下にいってしまう。少し離れた物を取ろうとしても、左手では楽に手を伸ばして取れるのに、右手は全然届かない。体の後側に右手だけ回しにくいなど、手が動き出してきて、なぜそうなるのか調べると、肩甲骨の動きが関わっている事が分かりました。
本やネットで紹介されている運動を色々試しましたが、自分にとってピンとくるものがなく、やりたい事の中にその意識を取り入れた方が、今までより良い結果を出してきたので、どんな動きを意識するか考えてみました。
始めて肩甲骨に対する施術を受けたのは、自費で行ったリハビリのセラピストからでしたが、事細かに指導してくれて、肩甲骨のみ動かすことの難しさと、複雑さを体感できました。自分にとって、上肢の動きには肩甲骨を外して考えてはいけないことを、思い知ることとなりました。

投球

的より左下にボールがいってしまうので、右上を狙って投げるというのは、肩甲骨にアプローチすることと違うと考えました。「自然に投げたい所へ投げるためにトレーニングするには」とイメージすると肘を後ろに引くときに、肩甲骨を意識しながら引くことからやってみました。それだけで完結することなど考えていませんでしたが、トライし続けると、何となく肩甲骨を背中の中心に引き寄せるイメージですると、上手くいくようでした。

腰カゴに小石を入れる

私の畑は、小石がたくさん混じっているので、拾った方が綺麗な畑になるので、その時にもリハビリを取り入れようと考えた。体の後ろへ右手を回すことが下手だったので、少しでも克服しようと考えたのが、腰の真後ろにカゴをつけて、拾った小石を入れるという単純作業ですが、左手ではストレスなく出来るが、ただ普通に右手で作業する事は、大変難しく、左手の動きを手本にしながらやろうとするがすぐに疲れてしまう。
最初のうちは左がメインの作業になってしまったが、単純作業の割には飽きずに5年位続けている。右手のトレーニングはただ腰カゴに、石が入れば良いから始まり、今は真上から丁寧に入れられるようになっています。この時も肩甲骨を背骨に引き付ける感じで、作業するとだんだんと楽になりました。
この作業は膝を地面につけて姿勢を安定させたり、中腰や前屈姿勢をとるなどの下半身のトレーニングや、石を拾う時でも上からつまむのではなく、手のひらを下向きで指を伸ばして拾うなど、一つの作業から多くのトレーニングになっています。

全身運動を結びつける

 

 

 

タイトルとURLをコピーしました