全身運動を結びつける

はじめに

運動麻痺克服上肢・下肢と私の回復する過程を紹介したのは、手や足を動かすだけでも、私にとっては難解かつ重要で、ただ努力ややる気があっても、動かす方法がわからなかったらどうにもならない。手探りではあったが、具体的に行ったことが、あったからこそ回復したと思います。
それはただ頑張るのではなく、冷静な判断のもとに、自分の体で実験してみたという感じでした。
セラピストからのアドバイスも、私の背中を押して下さったと感謝しております。
5年目を過ぎて自分自身で、リハビリをしていける自信もついてきて、私の課題は健康な人なら当たり前である、自然で効率の良い無意識の動きの獲得だと思います。
たとえば、高い所の物を取る場合、手が伸びると同時に足も伸び、骨盤、体幹、肩甲骨etc
が働き「もう少しで手が届く」と自動で全身が対応します。
そういう機能を身につけるには、他人から教えてもらうことよりも、自分で自分の感覚を取り戻すしかないように思われます。すべての動きが全身のつながりによって構成されています。どこまで私が再学習できるかは、私にもわかりませんが、探求心がもっと見たいと言ってやみません。現在進行形の事柄ですが発信したいと思います。

呼吸療法

息切れが酷い

右片麻痺・易疲労性が酷かったのが、原因だったと思いこんでいたが、少し動くだけで息がすごく切れて、自分でも変だと思っていました。2~3年経ってもあまり改善しないので、相談をすることが出来る医師やセラピストに質問すると、ほとんどの人は寝たきりの時間や、活動量が弱い時期が長かったので、体力が弱くなった為で、10年位は良くなるのに掛かるとの意見ばかりだった。呼吸そのものが麻痺の影響を受けていると、指摘をしてくれる人はほとんどいなかった。
皆さんが同じような事をおっしゃるので、自分もそうなのだろうと思いながらも、スッキリとしない感じと、このままでは回復には、大きな障害になってしまうと困っていました。
その頃いつも安静時に測定していたパルスオキシメーターを、試しに運動時も付けてみた所、80%台は当たり前で、酷いと70%台になってしまう事が分かりました。これが何を意味しているのかよく分からなかったが、NHKを観ていた時に、頚椎骨折で全身麻痺の方のドキュメントを観ていたら、横隔膜も動きが悪く人工呼吸器が外せないのを見て、私も近い状態かもしれないと思いました。
一般的に脳卒中の後遺症が酷い場合は、あまり動くことが出来ないため、体に大量の酸素を取り込む必要がないので、あまり気にならない場合が多いと思います。しかし回復し活動量が増えると、息切れを起こしてしまい、持久力を付けるトレーニングなど出来なくなってしまう。片麻痺を普通に考えれば、呼吸筋も麻痺しているのは、当たり前ではないだろうか。程度は個人差があると思うが、生きるのには重要な機能です。積極的なアプローチがなかったのが逆に不思議に思いました。

呼吸リハビリ

脳卒中の後遺症を回復させるどころか、日常生活すら支障をきたす重要な問題だと思いますが、あまりにリハビリの中では、注目されていないように感じます。
麻痺した手足などのトレーニングをするというのは、誰でも必要と考えるが、生きているということは呼吸しているからと、本人すら異常に気付かない。
しかし運動療法や作業療法などに、耐えうるための呼吸が出来なければ、やる気以前に息苦しさや疲れによって、それに挑むためのエネルギー不足で、どうにもならないのが当たり前だと思います。
私の場合も血圧は、朝昼晩と計っていただけましたが、心拍数が安静時でも100を超えていた。今思えば、呼吸の影響があったのではないかと思います。
脳卒中の後遺症で、自分では考えられない状態になったため、自分自身に信頼を失っていて、冷静さを失くしていました。
呼吸リハビリにも関心が必要だと思います。

呼吸療法

リハビリ病院でインナーマッスルを鍛えるという内容で、口をつぼめながら「アー」とか「ウー」と発声しながらゆっくりと息を吐き、お腹に力をいれますと、指導された記憶があるが、呼吸のリハビリだったかは不明です。
通所リハビリでは、「肋骨の下から3本位を手で押して、柔らかさを感じながら、腹式呼吸をして下さい。」と呼吸のリハビリを受けたが、私が理解することが出来なかった。
4年過ぎから、自費リハビリのセラピストからの呼吸療法は、具体的で理解でき効果の上がる施術を、受けることが出来ました。
息苦しさがある方は、ノウハウをちゃんと持っている医師や看護師、セラピストに相談した方がいいと思います。私の体験が参考になればという思いで話してみます。息苦しいという原因はさまざまありますが、私の場合だけしか分かりませんので、よろしくお願いします。
後遺症がいくつか呼吸に悪影響を及ぼしていると思われます。
①片麻痺の影響で筋肉などが緊張状態、又は短縮して、胸郭のスムーズな動きを邪魔している。
②運動負荷が高くなっているため、健康な時より動くための酸素が多く必要。
③呼吸筋疲労・呼吸筋麻痺など
セラピストは私の胸郭の下部が開いてしまっていると、まるで四角い胸と指摘しました。手と言葉によって、お腹で胸郭を引き付けながらの呼吸の仕方を、私が理解して、正しい呼吸が出来るまで、指導して下さいました。又うつ伏せで寝るなども、トレーニングになるそうです。
施術を受けてから半年位すると楽になって、パルスオキシメーターの値も97%以上になり、色々なトレーニングにも挑戦できるようになっていきました。
私が呼吸の訓練について理解できたことは、大変意味がありました。活動量が増えても対応出来る事になり、良い循環に向かって取り組める土台となりました。

歩行

重心

歩行は前方へ傾斜させた体を転倒させないよう、崩したバランスを回復させることと本に書いてありますが、脳卒中前はそんなことを考えながら、歩いたことはありません。
しかし脳卒中後は転ばないことを絶対条件として、トレーニングしていたので、逆の感性が入ってしまっていたのかもしれない。
絶妙なバランス感覚というか、前方にバランスを崩さないと始まらないとは、どんな感じなのか行ってみました。
重心を気にして歩くと、右足は左足よりも踵側にあるように感じました。私の以前の片麻痺独特の姿勢に、麻痺側の腰が引け、後に重心が残ったような歩き方を思い浮かべました。
まだ重心の取り方にその癖が残っているかもと考えトレーニングをしていると、右足を前に出すとき、腰・肩・頭が歩く中で遅れていると感じがし、修正しようとすると、真っ直ぐ歩くのも難しくなってしまいました。妻に評価してもらうと「良い感じになった。」と言うのを信じ、自分では慣れた歩きと比べ違和感はあるが、自分の体がズレていると自分に言い聞かせ、しっくりくるのに半年以上かかったと思います。
健常な方達も歩き方は、みな違うし個性の範疇で良いのかも知れないが、自分の歩き方を直すために、他人の歩き方を観察すると、私から見ても酷い歩き方をしている人も多いと感じました。
しかしその方達も人生の中で、一番効率の良い歩行を手に入れたのだろうと思います。
私は2㎞以上歩く自信も無いので、他人のことより自分を何とかしなくてはと反省いたしました。

自然な動き

他人からは普通に歩いているように見えても、自分は全身の動きがぎこちなく、何かが変だと感じている。
健常者の歩きは、自然で滑らかな動きで無駄がない、どこをどうすれば良いのか考えながら歩いているが、何となく調子がいい日と悪い日があり、そこがヒントになっていると思いました。
調子が悪い日の原因は様々だが、麻痺側の筋緊張が強く動きが重たくなり、各パーツが勝手な動きをしてしまい、左側と協調しようとしないので前に進む力も弱くなり、疲労しやすくなる。
その日は一日中そうではなく、動きを続け体が温まってくると楽になっていく。そんな時の対処が私なりに出来ました。
少し動きをゆっくりにし、右足の母指球で蹴る感じを強く感じながら、小指側を上げるように足を振り出す。膝をもっと上げてというアドバイスを、受けたことが多かったが、そのイメージより、足を振り出すという方がしっくりしました。
右わき腹から手にかけてリラックスするイメージで、右手を体の後ろの方へ多めに振る感じで、左右バランス良く歩きを助けるようにすると、調子が段々良くなっていき、早めに楽になりました。
そんな意識だけでも、立ち話を長くした直後に歩きだすとか、運転を終え車から降り歩くときなど、役立ちました。

物を運ぶ

肩掛けバッグ

1年3ヶ月過ぎから通所リハビリにお世話になると、連絡帳など持ち運ぶ必要がでて、なるべくスマートな方法を考えると、片手持ちバックでは、右手でバックを持つだけの機能回復は起きてなかったので、いくら軽い物でも歩きづらく、左手でバックを持ったとしても、右手が曲がってしまい、いかにも障害者と分かってしまいます。階段では手すりに頼らなくてはいけないため、手が使えることが必須です。
ある程度の大きさが必要なので、肩掛けバッグしかないという結論で、それからは肩掛けバッグが、私のトレードマークになりました。
スマートフォン・財布・免許証etcは、外出するには持ち歩く上、簡単に取り出し、しまえる事を考えると、ちょうど良いデザインのバックは、何種類か持っています。
安全や実用本位だけでは、人生に張りがなく、ちょっとおしゃれな自分らしさを楽しめる心は、大病をしても忘れないでいたいと思います。

一輪車(ネコ)

二年近く経ったころから、一輪車で砂を運ぶことを始めました。
リハビリは、実用性や生産性がある方が、やる気や持続力になるはずです。後遺症を治すためには、生活の全てをリハビリにしなければ、回復などさせられないと思っていたが、なんでもいいが家族の役に立てることはないか、いつも思っていました。
庭の整備をしようという発想で、一輪車の出番だった。
肩がペタペタに痩せていて、荷重はかけられない状態で、OTさんから「肩の腱を切ってしまう怪我に注意してください。もし痛みが出たらすぐに言ってください。」と言われていたので、そんなに大量に砂は積まず、3分の1位しか乗せず試してみた。
①手が動くようになった頃からずっと感じていたが、小指が役目を果たそうとしてくれない。ハンドルを握っても、小指だけ蚊帳の外になって、グリップにかかってない。その度に小指をかけ直しては作業するが、また次に握るときは外れている。ヤクザがドスを使えないようにと、落とし前として小指を切るという事を、聞いたことがあるが、グリップを握る時は、中心的な役割を担っているはずです。メカニズムは勉強が足りず分かりませんが、意識して握ることで、機能を取り戻そうと考えます。
②なぜか肘が曲がってしまって、必要以上に力が入ってしまう。腕はもっとリラックスしてハンドルを持っていなければいけないはずが、過剰に持ってしまう。もっと少ない力で持てる感覚を再学習し直す。重さに任せて、腕の力を抜き、伸ばすようにします。
③右側の体幹や足がグニャグニャで、過重を支えられず、左側だけで頑張るのですぐ疲れる、壊れるのはいつも左側です。作業能率など、どうでもよいので、右側が一本の荷重を支える棒になるように感じるには、どこに力を入れ、どこの力を抜いたらよいのかを確かめながら行いました。
④一輪車を押すための機能がないに等しい。歩行では誤魔化すことが可能だが、右足が母指球で蹴る動作の、推進力に繋がるトレーニングには、感覚的によく分かった。
⑤左右のバランスを取らないと、一輪車は転倒する。バランス感覚は、片麻痺にとって、麻痺側だけ直すだけでは解決しない。微妙な感覚が、全身に行き渡らないといけない。
いろいろな部分が効率悪くなっていて、すぐ疲れる上、ケガをしてしまうと、なかなか治らず、苦しい事が多かったが、自分の目標が確実に進んでいることに、やりがいを見つけ励んでいます。一輪車を使いこなすことだけ、考えていただけですが、色々な気付きや、問題な所も分かり対処した結果、いろいろな回復が起きたと思います。
私がやりたい事をするための、トレーニングは楽しく続けられます。何のためにするのか、いつになったら終わるのか、セラピストからの提案を理解しないまま、ただ意味もなく決まったことをやり続けるのは、私には向いてないと、はっきりと自分の中で、消化できた例です。

走る

はじめに

四年過ぎた頃から、ジョギング程度は出来ないだろうかと考えてトライし始めましたが、歩くことは何とかなったから、少しくらいは出来そうで試してみました。
しかし歩くのと小走りには、だいぶ難易度に差があるのを悟りました。
まったく恰好すら取り繕えない。本当の意味では歩けていなくとも、歩く真似なら他人を誤魔化せるくらいできても、ほんの少し速く歩く感じで行こうとしても、右足が地面に力を加えられず、空回りしてしまう。そして着地した瞬間の衝撃に耐えられず、ガクッと折れてしまい、倒れてしまいそうになり、一歩ももたない。
脳卒中患者で走ろうと考える人は殆どいないと、書かれているのを時々目にしていたが、願望する者がいないのではなく、機能的に無理ということを悟った。
50代半ばのおっさんは走る必要は無いと思うが、走れないのと走らないのは大違いだ。
緊急な時はいつでも走れる必要はあると思う。いつかは年相応な普通の走りを取り戻そうと思いました。
脳卒中になったのに、なんて欲深い奴だと思う人も多いと思いますが、自分が一生懸命に努力しても出来なかったら、一生走れないと諦められるが、試さずに諦められない性分だから仕方ないと思います。もしかしたら、走れないという結末になるかもしれない、トライについてプロセスを記したいと思います。

リスク

歩くだけでもやっとなのに走るトレーニングは、危険やリスクが相当に高く、よっぽどの覚悟がない限りするべきでない。
①転倒や骨折をしてしまえばダメージが大きすぎる。
②血圧や脈拍などが高くなり過ぎる。
③筋肉や関節への負担が大きい。そもそも筋力がない。
④心肺機能が脆弱になっているので、負担に耐えられない。
⑤走るための再学習には、並大抵の努力では無理。
⑥疲労しやすい体である。
⑦再発リスクが増すかもしれない。
etcあげたらキリがない。結論としてはしない方が良い。
リスクを考えたうえで挑戦するのだから、無理や無謀なことは、絶対にしてはいけないことを中心に置いて、ゆっくりと自分の体を大事に、今の能力を考え、走る事が目標ではなく、自分の体を回復させるための一つの手段と考えます。
走れなくても良いと割り切った考えで、気楽に取り組みます。

呼吸

走るトレーニングをするにあたって、最初の壁となったのは息切れでした。
体を動かし始めて一分もすると、酸素が足りなくなり、呼吸をいくら激しくしても追い付かず、動けなくなってしまう。とても苦しく続けられない。
呼吸が整ってから試みても結果は同じで、日を重ねても改善は感じられない。
それまでも、少し負荷のかかる作業をしても、息切れが激しく、いくら繰り返しても持久力が付きにくかった。
確かに後遺症がある程度重い人は、動けないし、動こうとは思わないだろう。
息切れするほどのトレーニングに、挑戦できる人は稀だと思います。
そんなタイミングで呼吸療法を受けられ、私にとって大変重要な機能の回復を、手に入れる事が出来ました。呼吸はすべての活動のエネルギー源です。
本気で何かを成し遂げようとしなければ、そういった縁はなかったし、疲れやすい体という理由で、何も出来ない言い訳をしていただろう。
リスクに臆病になり過ぎて何も挑戦しなくては、何もない代わりに、何も得られないのではないかと思いました。

ゴルフ

歩きやすくなった

足はあまり意識を使わずに、動作しているのが普通です。
立っている時や歩いている場合など、力を筋肉に入れて、体重を支えるなど、意識的に行わなくても、自然と出来ている。いちいち考えながら足を動かしていない。
しかし脳卒中後の麻痺した足は、その機能を失っていて、相当に考えながら立ったり歩いたりしないと、役目を担う術を失くしてしまった。
しかも杖や装具に頼らなければいけないし、その操作にも意識を使う。
ちょっと歩くだけでも、疲れるのは当たり前だと思う。私の場合は7年過ぎた今でも、色々とトレーニングの成果が出てきているが、左右の足に五分五分には重心がかかってはいない。少しでもバランスを崩しそうになると、左足へ一瞬で依存度が移ってしまう。転倒しないためには仕方がないと今は思うが、正常に近づけようとするには、右足の支持性を上げることだと考えます。
右足は足首・ヒザ・股関節を、外側へ逃げてしまわぬように意識し続けていないと、無意識に左足への過重が移ってしまう、という問題に試行錯誤していた。
発症2年頃から試みていたが、本格的に始めたのは、発症4~5年過ぎでした。打ちっ放しに脳卒中後はじめて行った時、まったくボールが飛ばない。ドライバーで100ヤードすら行かず、勢いのないボールが情けなく飛ぶ感じ。しかし再びゴルフができること自体に、快い感じでいっぱいで、嬉しくてたまらなかった。
その上ものすごく歩きやすくなったという、思わぬ副産物がありました。
毎日のように意識しながら歩いていますが、ゴルフの練習をした方が歩きやすくなるという事実。最初はたまたまかもしれないと思っていましたが、毎回ゴルフの練習をすると歩きやすくなる。
ボールを少しでも飛ばそうと考え、頭の位置・体幹・腕の振り・骨盤の向き・足の踏ん張りなど、倒れる前はどんな感じだったのか思い出しながら、ただただ思い通りに飛んでいかないボールの事だけを考えて、練習していただけだが、ゴルフはなかなか上手くならなかったが、考えてもみなかった、歩きやすいという不思議。
全身の動きをバランス良くしないと、クラブを振るだけでも厳しい上、ボールを打つということは、相当に敷居の高い運動レベルだと思う。
今までの体験から、ただボールを数打てば解決するとは考えていなかったし、変な動きの正体は筋力低下も一因だが、感覚がなくなっていることの方が、重要なのもハッキリ分かっていた。
健康な頃は何も考えず、思い切って振りさえすれば、飛距離や方向性も十分にあったので、あまり細かいことは、気にしないで楽しんでいました。
しかし脳卒中を経験し、思い通りにならない自分の体と向き合いながら、気長に付き合ってくると、幼児や小学生に教えるように、わかりやすく優しく付き合えるようになってきました。ゴルフの基本も改めて学び、へたくそになってしまったが、ゴルフの本当の楽しさを、大きく理解することになって満足できます。
きっと歩くトレーニングだけでは、身につけられない多くの事を、一段上った運動をすることによって、自然とトレーニングになっていたのではないかと感じました。

わがままになった運動

打ちっ放しの練習場で初めてボールを打った時、PWから試したら意外と出来ることに、それまで心配していたことが、一瞬で喜びに変わりました。
狙った所より左へ行ってしまうが、ボールが打てる快感が、そんなことは気にならなかった。しかし8番アイアンでボールを打とうとしたら、トップまでは良かったが、打ちに行くと右手がグリップを握っていない。左手だけでスイングしてしまうことにギョッとした。
右手はトップで止まったまま固まっていて、体が打つ動きが出来ず回らない。
フェアウェイウッドやドライバーになるほど、スイングが成立しなくなる。
脳卒中後から気長に根気よくトレーニングすることが、無理と思える事でも、解決してくれるというのがはっきいしていたので、ゴルフも初心者以下からやり直す覚悟がありました。
体中がボールを打つという感覚を失くしてしまった。ショートアイアンなら振れるのに、ミドルアイアンより長いクラブを振ろうとすると、体が固まってしまう。
ショートアイアンは左足体重のままでスイングするが、長くクラブがなるほど、右足への体重をかける比率が高くなるのが、原因の一つと思いました。
9番アイアンで力まずスイングする練習に目標を設定し、麻痺している右半身が、どんな動きになっているのか意識しました。
スイングが正しく出来るかを中心に考えて、どんな球筋が出るかを見ながらトレーニングすると、ますます再学習することの難しさにぶつかりました。
手や足だけに注目して動きを意識しながら直すだけでなく、全身の動きが変なので、同時に
何ヶ所かに、意識する必要が出てきたという事です。
脳卒中以前は、体のどこかを注意すれば、全身が自然と連動してくれたと思うが、全身が協力して一つにまとまらない、わがままに好き勝手にふるまってしまい、統制が取れない感じになってしまっている。それを束ねるには、ただ一生懸命に練習するのでは足りない。
もっとスイングやボールを打つことに対する理解や、体や動きを目的に向かって、調整出来なくてはいけない。もしも克服したなら、後遺症は治ったと言えるのだろうか。
脳卒中後ゴルフなど出来るわけないと言われていたので、もう少しで楽しめる所まで来ているという実感が、私の挑戦心を、煽っていたのは間違いないです。

打球感

ゴルフの練習で、ある程度ボールが打てるようになったと、同時に気付いたのは、右手が打球感をほとんど感じない。
左手では良い当たりだとか、芯を外れたとか伝わってくるが、右手は感じない。
でもボールを打っているという、動作と感じに一体感がない。
特にパターは大問題で、距離感が悪いだけでなく、カップに入る感じがなく、カップの方向に打てるが、カップの中に入らない。まったく面白くない。
セラピストに相談すると「肩がぐらついているので機能を改善すれば良い。」と言うが、何か納得出来ずしっくりこない。自分の思った所に打てるのに、機能だけの話ではないと思います。
ゴルフの仲間に相談すると「もっと練習しろ。」そっちの方が納得出来ました。
機能改善が万能ではなく、感覚を研ぎ澄ますことの方が大きいと思います。
メチャクチャなスイングスタイルの人でも、スコアーの良い人は、ゴルフを自分のものにしている。その人なりのゴルフ感を持っていて、他人が口を挟むことはヤボそのもの。
プロゴルフの試合だって、個性のあるスイングをするプロや、そもそもスコアーも相当な差が生まれる。体の機能のことばかり、気にして練習している人はいない。
脳卒中で失った機能にこだわりすぎると、本当の意味の回復を見失うと思いました。

 

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