脳卒中克服の手がかり

発症から7年たって役立った考え方

楽しいことは、脳は受け入れる.不快、興味のないことは、拒絶する。

急性期病院からリハビリテーション病院へと、1か月弱で希望を持って転院したが、
時がたつほど自分の後遺症が酷いと気づいていく。

動いて当たり前だった便利な手足を失い。
元気な時の自分でなくなった。情けない自分。
早く社会に戻らなくては、という焦り。
いろいろなことが重くのしかかってきて、悲壮感ただよい痛々しいかぎりの私。
どうせリハビリを一生懸命するなら楽しくやるほうが、よい結果がついてくる。そんな当たり前のことすら、考えられないほど余裕がなかった。
そんな中、リハビリ同じ1時間なのに、なにを言っているのか、私の不自由な体に対し何がしたいのか、訳が分からないリハビリの時は、どっと疲れベットに倒れこんだ。逆に私にぎりぎり出来そうな動きを提案してくれ、考えればできる喜びを引き出してくれるリハビリは、大汗をかくが達成感に笑顔が絶えない。
義務感とノルマ感で動いていると、5分もたず脳はパンク。好きなことしていると半日でも大丈夫、めきめき上達する。
辛く厳しい、いやなリハビリと考えるより、楽しく笑顔で取り組んだほうが身につく。
セラピストによって、私が笑顔になった例ですが、心のありかたは、自分の考え方しだいでコントロールできる。環境はどうであれ、自分は自分でしか変えられない。苦しい時こそ笑顔で生きていると、何かよいことが起きるはずです。

自分の体の良き理解者になる。体の仕組みを理解することは改善の鍵

苦しい体験から学んだこと

セラピストから1日のノルマとして、歩数を決められたり、運動やストレッチetc.朝、昼、晩何回を何セットと言われたりしました。体育会的な精神だった私は、その倍以上頑張ろうとする。脳梗塞で倒れる前までは、成功法として自信を持っていました。

しかし、やればやるほど障がい者独特の動きが酷くなり、不自由度が増していく。ゴルフ、テニス、野球等をした経験から、正しい練習を一生懸命すれば上達するが、悪い練習をすればどんどん下手になる。ただ練習をすれば良いのではない。例え寝ていたって、よいイメージを持っていれば少しは上手くなってる。根本的に何か間違っているのではないかと考えた。

元気な人の理論を押し付けられている。何も大病したことがない人が、障がい者の本当のことを知らないのはあたりまえだ。当の本人だってセラピストの言っていることは良く理解できる。

セラピストは私の先生だ。だから一言も漏らさず聞いて自分のものにしようと決めていた。今たよるのはセラピストしかいない。

何時ものように、どうしてこんな動きしかできないのかと質問すると、雄弁に説明してくれるが、どうしたら直るかを聞くと、黙ったままにこにこほほ笑みかえすだけ、大人としては何かを察する。それ以上聞くのはやぼ、話を変える

そんな中、私の足型をとった装具ができあがり。その上にはくスニーカーが手に入った。大変うれしく楽に歩けるという期待で大急ぎで装着した。「うぁー 歩きやすい」病院のプラスチック装具借りていた私は、アスファルト舗装の歩道の上では滑りやすく、怖い思いをしていたが、装具の上にはくスニーカーは、クッション性があり滑りにくい。思わず病院の外へ出て、坂道も含め6000歩以上一気に歩いてしまった。「明日からもっと歩けるぞ。」希望がみえた。

次の日、健足と思っていた左足が痛い。何か変だ。リハビリの時間に外を歩こうと出たら激痛がはしり、立つことすらきつくベットへ。あまりの痛さにまともにそれからのリハビリを受けることができず。主治医が血液検査をして、「あなた歯が痛いのでしょう。」と言われる始末。頼りにしていた左足がどうにもならず、前途が真っ暗になってしまって陥んだ。リハビリ病院にいても、何もできずただ横になっているだけ。主治医に退院させてほしいと申し出るも、「あなたの症状だったら半年は入院できるのよ、一度退院したら二度と戻れないのよ、もう少し入院してなさい。」と温かく言ってくださったが、何としても退院させて頂きました。3か月の入院生活を、車いすのままで区切りました。

退院後も、通院リハビリは続いた。健足と思っていた左足は、非麻痺側といいますとセラピストに言われた。リハビリ関係の本を読み漁り、脳から神経は脳幹の延髄で交差し、手や足へとつながる。しかし手より下部は交差せず,真っ直ぐに下りる神経が20%~30%ぐらいあることを知った。

よい点としては、足は麻痺してない神経が存在し、そのためどうにかこうにか歩けるらしい。逆に考えると何も問題ないと思っていた左足は、何%か麻痺が入っている事実。しかもベット、車いす生活を3か月近く続けてきて、体重などを支えて来なかったし、利き足は右足だったので、急に負荷をかけられて当たり前のことに壊れてしまった。私の性分だったら左足を壊すのは必然だった。

生まれてから今まで培った経験や知識など、何の役にも立たない。むしろ負の財産だ。自分が変わらなかったら、後遺症を克服するなど夢物語のようなもの。もっと脳卒中や体のことについて勉強しようと決意しました。

ちなみに、左足の痛みがなくなるのには2年以上かかりました。

普通に歩くということ

健康な時、どう歩いていたか理解していた人はいますか。無意識でも行きたいところへ行けるとは、当たり前のことだったはずです。セラピストにかかとからついて、母子球で踏み切ってと号令をかけられても、その通りやろうと必死に考えても、何日たとうが、私の体が変な動きをしたがるんです。

例えば、自動車が故障したとしても、自動車の構造や直し方を知らなくては、手も足も出ないばかりか、よけい壊してしまいます。整備士さんに任せれば、当たり前に直してしまいます。

歩く機能を調べると、頭からつま先まで全身が絶妙なタイミングで、力の入れ抜きで、無駄なく連携していないと、人間らしい歩きになりません。ただ、脳卒中になるまではそんなことを知る必要はありません。当たり前にできているから。

しかし当たり前の機能が破綻した以上、ごちゃごちゃに絡んだ糸を、根気強く解く努力をしないと、元の一本の糸にはなりません。

目標としては、普通に歩きたいということですが、知識を学び目で見てどれくらいずれているのか、そのところを意識しながら歩く。最初は出来なくてもよいのです、意識しながら歩くということが大事です。めげそうになったら、半年前、一年前の自分と比べてみて、その頃より良くなっているという事実を再認識し、自信にしてください。7年たって課題は少しづつ残っていますが、他人から見てあまり違和感なく歩いているようです。

伝えたいことは、脳梗塞になり命を救っていただき、これから生きる上でどう考え、どうゆう方法があるのか、私のためにいろいろ心を使っていただいた医師、看護師、セラピスト、医療関係者のみなさんへの感謝は一生忘れないでしょう。もし命は救ったと社会に放り出されたら、押しつぶされてしまったと思います。その環境下で暮していると、安心感やいたわりにみちて、居心地のよいところですが、あまりに依存しすぎると、自分で人生を切り開くという当たり前のことから、目を背けるようになってはいけないのです。今現在は後遺症を治す特効薬や、全てを解決してくれるセラピストもいません。誰かが何とかしてくれるという幻想を捨て、自分らしく生きる方法を見つけ出すということです。主役は私以外いません。

麻痺した体を良いほうに導くには、筋肉を緩めること、筋トレは必要ではない。

セラピストがリハビリを始める前に、毎回ストレッチとして決まった運動を行っていました。人によっては、今日の私の心や体の具合はどうか、前回と比べ何か変化があるかを中心に観察する人や、コミュニケーションを円滑するのが中心の人、本当にストレッチを考えている人、私が感じる力加減や声がけも個人差がありました。
指導や運動療法は6~7割が、筋トレに近い動きを教わっていました。又、今振り返ってみると、なぜそんなことをする必要があったのか、理解できずにいることも多々ありました。例えば、セラピストが「ぼくはできないが、あなたは腹筋運動を100回やれますか」と言われ、意地でやってみせたが、とても形の良い運動はできず、一週間ぐらいは変な体中の緊張が高まりすぎて、障がい者独特の動きが酷くなって、どうしようもなくなったという経験です。
動かない又は動きが弱い部位を鍛えれば、動き出すという信念だと思うが、その当時は私も、それしかないと思っていたし、効果はそれなりにあったとおもいます。
発症して7年たって分かったことは、脳梗塞によって脳の一部が壊れたため失った運動神経や、動かなくなった筋肉の反対の役目を果たすはずの筋肉が、硬く縮こまり邪魔をしている。その筋肉を柔らかく弾力があり、力強く収縮したり伸びたりする状態に戻さないと、どんな施術を施しても効果は期待できない。まず動きを妨げている原因を取り除かなくては、準備ができていないということです。それをしてから運動療法等を行うべきです。
リハビリはつらくきついというイメージは、動きにくい体を動かさなければいけないという観念からきていると思います。
本当のリハビリとは、緩めることで、これをしていれば楽になっていくと先を見据えて確実に進んでいくことだと思います。
回数より、質にこだわった方がよい。
後遺症独特の動きとして、麻痺した筋肉の代わりに、動かすことができる筋肉を使って、歩いたり、ものをつかんだり、いろいろ生活するうえで必要な身のこなしを補っている。それが変な動作の一因になっています。そのままでも生活には、支障はないでしょう。むしろ人生を楽しむことに主眼をおくという、割り切った生き方も、素晴らしい選択だと思います。
でも、日常生活の中でちょっとだけ動作に注意をはらい、意識するだけで、後遺症が回復することを知っていたらどうでしょう。それだけならやってみたいという方は、多くいらっしゃるのではないでしょうか。
例えばヒントは、非麻痺側が手本になってくれます。麻痺した手が少し動いていたとして、雑草を引き抜くときに、人差し指と親指でつまんで、手首が下を向いたまま、腕や肩を持ち上げ草を抜く不自然な動作、しかも動きが遅くていらいらして、すぐに疲れてしまい使い物にならない。だから使わない。
でも自分の体の一部だから、使ってあげて欲しい。自分の自由にならないからと言って、厄介者にされたら可哀そうです。トレーニング中と思って、最初は下手で当たり前、かっこ悪くても当たり前、少しづつものになっていきますから。疲れてしまったら、それでおしまいでよいので、毎日のように使ってあげて下さい。
回数はこだわりませんので、正しい動作にこだわって欲しい。出来なくても構わないから、試みてください。たとえ一回もうまくできない人が、試みるということは、健康な人の1000回に相当すると思います。それくらい辛く苦しいことだと思いますが、毎日のように繰り返していると、気が付くとずいぶん使いやすくなったなと感じてくる日が、来ると思います。そんな時自分で自分のことを、褒めることができる人は、素敵です。
注意としては、悪い動き方をし続けていると、人間は学習してしまい、癖として身についてしまいます。なるべく非麻痺側を観察し、麻痺側の動きがどれ位ずれているか、途中で何度も修正しながら、トレーニングして欲しいのです。それが近道につながることを確信していれば、自分が新しく生まれ変わっていくプロセスを、楽しめるはずです。

やみくもに努力しても、逆効果になることがある。よく体を理解し気長に焦ることなく、正しい方法で体を労わっていれば、徐々に良いほうに行くに違いないと思います。

やりたい事から始めたほうが、早い場合がある。

主治医の教え
私が最も基本にしている考え方があります。リハビリ病院でやっとここで何をしたらよいか理解しはじめ、熱を入れ体の回復に取り組んでいたころ、主治医が私の所へ来て、「ちょっとこっちへいらっしゃい。」と言って、リハビリ室の隅のテーブルに連れて行くと、メモ用紙に、「A B C」と書き、「あなたは、AからCへと行きたいとすると、Bは必須だと考えているでしょう。でもね、いきなりCをやった方が早いことがあるのよ。」と、その時は動きにくい手足をよくすることだけしか、目がいかなかった私にとって、大きな気づきを与えてくださいました。真面目に取り組みすぎる私を見て、視野を広げなさいと助言くださったと思いましたが、本当はもっと重要な意味だった。今は後遺症を回復させるという信念の中心においています。
セラピストは体の機能回復に主眼があり、評価もしやすいので、その施術に固執してしまう。
しかし人間はやりたいことや、目的があるほうが、モチベーションも上がるし持続させやすい。又、手を変え品を変えトライし続けて目標を達成したがる。
たとえ不自由な体のままでも、工夫すれば健康な人と、同じような事をすることが出来る。一つできると良い成功体験を得て、挑戦し続けることが、生きる目的や喜びになる好循環に入り込む喜びに、目覚めたら最高だと思います。
忘れられない一言。
リハビリ病院のセラピストから、「何がしたいですか?」という質問があったので、心からゴルフ、野球、テニスetc.と答えたら、「インドアで考えてください。」と言われる。「私はアウトドア派で、インドアのことに関心がない。」というと。続けて、「あなたがゴルフを出来たら本が書けますよ。」だって。いまだに妻が、その人にゴルフをしている私を見せたいといいます。元気なころと比べればまだまだですが、同世代ゴルファでは、アベレージ位になったと思います。
ためらわないでトライしたほうが、指をくわえてみているよりましです。人前での練習も勇気を出せば、恥ずかしさも半減します。
私もいつも言われることですが、ケガや無理をしすぎないで、水分を取りながら自分の体とよく相談しながら楽しんでください。

後遺症の回復は一生続く

後遺症の回復は続きます。しかし発症から6か月過ぎると、障害は固定され良くならないといわれ続け、何か良い方法はないかと、読み漁る本にもそう書かれていた。私の場合は、発症から2年くらいは、体の回復や高次脳機能障害の改善もすくなく、どうにもしがたい事実なのかと思い、もがけばもがくほど、行き先が閉ざされたかんじに押し潰されそうになっていました。
そんな中、脳の可塑性というキーワードと出会ったのがきっかけになって、調べれば調べるほど最悪の結論の袋小路に突き当たっていたが、それまで見たこともない書籍と出会い始めました。それらには回復させる試みが、動物実験上ではあるが、方法があると書かれていました。
脳の特性として、遺伝子レベルで自然治癒的なメカニズムは、持たされていないということです。壊れた脳が勝手に治ってしまったら、自分でない自分のようなおかしなことが起こりかねないので、壊れた脳細胞は、再生しないという考え方が基になって、脳が損傷を受けた事による障害は良くならないということらしいが、人間の脳は柔軟にできていて、機械やパソコンのように、何かパーツが一つでも壊れたら動かなくなってしまうような物ではなく、バックアップのようなシステムや、柔軟に変化するというフレキシブルなものです。例えば、人間は強く何かをやりたいとトレーニングに励み続けていると、物凄い達人やスペシャリストになり、その上へとまい進し続ける。老人になろうとも向上心を持ち続けるかぎり、熟達していく。人間は誰でも,可能性を持っているし、そういう血が流れていると思います。
普通の病気やけがをしても、安静にしていれば自然治癒するという体験が当たり前になってしまって、何もしなくたって元の体に復活する能力を有していると誰しも信じていると思います。
しかし脳卒中の後遺症には通用せず、適切なトレーニングを行うことで、隠れていたネットワークや脳の可塑性に、働きかけることによって、再構築していくという考え方に、頭を切り替える必要があります。
仮に正しいトレーニングを始めたとしても、1~2か月でよくなったと実感できることは少なく、半年から一年単位で改善に手応えを感じるくらいですが、だんだんと進歩のスピードは上がっていくはずです。その頃には人生の目的の一つになるし、次から次へとよいアイデアが浮かんできて、成果を確実に手にできると思います。脳卒中になって失ったものを、ひとつづつ取り返していく感じです。
まとめると、後遺症は回復しないのではなく、トレーニングによって再構築させる。根気や時間はかかるが不自由なままではない。たとえ今は出来ないことも、将来は必ずできるはずだと本気で信じきった方が、不自由なまま生き続けることに、恐怖を感じたり、無力感に苛まれる事はないと思います。
選択肢は、麻痺は治せないので、共に自分らしく生きるという一択だけと思い込んでいたが、自分が選べばトレーニングしだいで、能動的な生き方も選べるということが見つかりました。
妻は、私の努力をしている姿を見て、「お父さんの言っていることは本当だしすごいと思う。でももし私が脳卒中になったとしても、そっとしておいてね。」と時々言います。人それぞれの生き方の選択肢はあって当たり前だし、尊重いたします。しかし、何とか治したい、そのためだったら何でもするという覚悟のある人に、後遺症は回復する可能性があるということを、まず伝えたかった。

生活環境の大切さ

コミュニケーション
発症から一年三か月後に、介護保険による通所リハビリテーションへ行けることになりました。健康保険によるリハビリは、強制終了させられていたので、再びチャンスをいただいたと感謝し、何とかなりそうだと前向きになっていました。しかし通所リハビリは、半日、約4時間のスケジュールがあると聞いて、その当時の私は、椅子に座り続けるのも辛いし、複数人とコミュニケーションを取るのも大変疲れてしまう状態だった。ちょっとストレスがかかった日は、睡眠薬を飲んでいたが眠れないで、体調は不安定な生活を送っていました。そのことを今度お世話になるセラピストに相談したところ、「具合が悪くなっても、リハビリ室には横になる畳の場所もあるし、病院内なので直ぐに診てもらえるので、大丈夫です。」と言って頂いて安心いたしました。
通いだすと、何とか時間内は無事に過ごすことができましたが、疲れが酷く、回復するのに1週間かかり、リハビリに行くためだけに体調を整える生活が始まりました。今振り返ると、よい居場所を得て、よい刺激になったと実感しています。そこで普通に過ごすということが、トレーニングになって、いろいろな回復が起こったと思います。
トレーニングと言っても、普通の営みを送れるようにするということで、何か特別なことをするということではない。後遺症の程度や種類は、人それぞれ違いがあり、その人にしか分からない苦しさがあるのは事実です。でもその目的は共通するのではないでしょうか。
私は家に引きこもろうという考えはなく、もう一度社会復帰したいと思うのみだったので、通所リハビリテーションという環境をいだけたことは幸運だったと思う。そこでいろんな人と、いろいろな会話をすることは楽しみで、気が付かないうちに脳の再構築に役立っていた。しかも為になる情報や、体に対するアプローチの仕方など、その恩恵は計り知れなかった。
まとめとして、自分が生活するのに、私に関わる人達に協力していただくのは必須ですが,自身も社会生活に適合する努力をしないと、本当の自分らしい生き方をするのは、難しいことと思います。だから今の自分にとって厳しい環境に、飛び込む勇気も必要になってくると思います。だめだったら、仕切り直しても構わないと思います。自から望んで、脳卒中で失った自分を取戻しにいったほうが、協力していただいている人に報いるすべだと、思っています。

古代人
考古学者の研究から、古代人の骨を観察するなかで、骨折、切断などの外傷や色々な病気、特に脳卒中にもかかって、その後も生きていたという事がわかっています。
狩猟生活を送っていたので、相当な距離を移動したり、狩りをしたり、現代人では想像出来ないほど、過酷な生活を送っていたことだと思います。
その中で、どんなことになろうとも生きたいと願えば、待ったなしの努力をしなければ、そく、死を意味するという。生きる為に、必死になっていたと思います。
現代に生きる私たちは、恵まれた環境の中で、暮している反面、野性味は失ってしまったんだと思います。もっと力強く生きようと、目的を絞れば、しなければならない事というのは明確になるはずです。
リハビリのためのリハビリをしている事に、違和感を感じ、自分にとって意味のある、実生活を中心に考え、その中へリハビリを入れていく方が、本当に役に立ち、意味を持ち、継続できる。リハビリは、生活の一部でしかなく、したい事を実現する為の手段になっていくでしょう。
トレーニングをする環境が、後遺症の回復に大きな影響をもたらす事は、重要なファクターである事は間違いないと思います。動物は環境の中だけでしか生きられないが、人間は、他人の力を借りてでも、自己を取り巻く環境そのものを変える力があるはずです。
安全に注意を払うというのは、自己責任である以上、無理な事をしてケガなどしたら、言い訳は出来ないというのが大前提ですが、今自分に必要な事を考える中の一つに、環境についても入れてみて下さい。

学習性無力感

本人
全てのかたにあり得ることですが、その渦中に入り込んでいる人は気が付かなくなっていることだと思います。特に脳卒中の後遺症は、何をやっても思い通りにならず、失敗体験ばかりになってしまい、何もする気がなくなってしまう。色々なことが出来なくて当たり前になった自分を正当化してしまう。もし回復している脳卒中患者がいると聞くと、その人は障害が軽かったんだとか、若いからだと、自分は特別な存在であると、目の前で起こっていることを正当に判断しなくなってしまう。本来なら、どういうことで良くなったのか興味を持った方が、プラスに働くと思うのだが。それくらい根が深い問題なんだと思います。
また知人に脳卒中になってどうにもならなかった人を知っていると、それが病識となって確立してしまう。自分が脳卒中になってしまった時、その病識と現状が酷似し過ぎて、脳卒中の前では無力になってしまったと諦めてしまう。
他人から
自然にまたはリハビリによって回復して、社会復帰を果たした人は大変ラッキーだったと思います。心から祝福できます。しかしそうでなかった方は、どんなメカニズムでそうなったか。だからよくなりませんとリハビリをとうして教えられます。退院に際し、自分でするリハビリのメニューを伝授されるが、それをいくら行っても、後遺症には、歯が立たないことにガッカリする。また医療とは無縁の知人からも、一生障害は良くならないからと、まことしやかに言われる。また慢性期のリハビリでは、残された能力の維持を中心に進められると告げられる。ある意味他人からも、あなたはもうダメだと刷り込まれる。
そんなすべてがアゲインストの中で、ポジティブに自分を保つというのは至難の業です。
「学習性無力のことに触れて、申仕訳けございません。」と思います。
私が伝えたかったのは、本当か分からない殻の中へ、押し込まれなくても良いと思います。全て解ったように言われますが、脳のことは解明されていないことの方が多いのが事実です。科学的に裏付けられないと、エビデンスにならないということですが、時は待ってくれません。何か良い方法が見つかったら、私に教えてください。よろしくお願いいたします。

獲得した能力は無くならない

脳卒中後に当たり前だった能力から、50年かけ作り上げてきた自分の特徴となる能力まで、少しは残った部分もあるが大半を失ったことに、愕然としてこれからどうやって生きていったらいいか、途方に暮れる毎日を送っていました。そのことを真正面から考えると言い知れぬ空虚感に苛まれて、自分の心が壊れてしまいそうになっていました。
そういう時に限って、悪い出来事が重なって起き、どん底へ突き落されてしまうことが多々あったりしました。そんな中救われた一文に出会いました。
「脳卒中で失った能力も、再獲得出来れば無くなることはない。」ということです。
いつまでも不自由な状態ではないと解釈し、今は出来ないが、将来は当たり前のように出来ていると、頭の中を切り替えると悪いイメージを振り払うことが、少しずつ出来るようになっていく。その方が同じような努力に対しても、積極的になるし工夫も生まれやすく、何よりも精神衛生上には絶対良い。ささいな一文だったかもしれないが、私にとっては重要な心の支えとなりました。
6ヶ月を過ぎると障害は固定され、共に人生を歩んで下さいと真顔で言われたが、本当のことではないと思います。治し方を知らない方が、それを正当化するために言っているだけだと思います。
もし障害を負った時点で、道は険しいかもしれないが、治す方法があると希望を持たされたら、まったく違う人生を送る人がいると思います。
今は選択肢が一択しかなく、決まったレール上に乗せられてしまうが、本当は選ぶことが出来、自分にはこっちが向いていると、決められる方が良いはずです。
私がそのことを信じて実践してきて、些細なことでも出来るようになったら、その上を目指すことができる。積み重ねが効くことは、間違いないと確信しました。失くしてしまった物をどうしても必要だったら、取り返すことは可能だし、一度獲得した能力を、再び失うことはないと思います。誰にでも起こりうることだと思います。
複雑な知識を必要とすることなので、セラピストの存在が必須だと思います。現在は色々な問題があるとは思いますが、誰もが後遺症の回復に取り組める日が来るように、リハビリそのものが発展することを期待いたします。

発症6か月経過後の症状

  • 右片麻痺
    腕  ウェルニッケマン肢位。肩は亜脱臼ぎみ。リハビリのプラスチック
    コップ1個やっと移動,つかんだら放さず。
    足  杖、装具着けて100メートルの歩行がやっと。クローヌス
  • 構音性失語
    ほぼ回復、自分では何か変な感じ。
  • 嚥下障害
    普通食に戻ったが、呑み込みは注意が必要
  • 易疲労性
    後遺症の中で最も辛く、苦しい。段々酷くなる感じ。
  • 高次脳機能障害
    テレビ、パソコン、動くものを見るのが辛い。
    複数人と会話が苦手
    体温調節ができない。
    血圧、脈拍が高い。
    何かしようとすると、脳がすぐ限界
    右側の感覚が弱い。
  • その他
    脳が疲れると、おでこがぶつぶつになる。
    体調が悪いと、体が冷たくなる。
    消化不良がひどく、体重が減りつづける。
    不眠がひどい。壊れた脳には睡眠が必要
    頭の回転がわるい。自分の前に霧がかかったよう。
    呼吸に問題あり。その当時は理解できず。

メッセージ

私は一年半から二年は症状が殆ど改善することはなく、片麻痺や自分でも考えられないほど体調が悪く、人生を諦めたくなるほどの暗黒時期でした。死ななかったから良かったなんて考えられず、こんなに辛い生活が続くなら、死んでりゃぁ良かったと思わない日はないくらいでした。
なんとか持ちこたえたのは、家族の存在があったから、人生をあきらめる事は許されないと、自分に言い聞かせていました。人間としての精神を保つ自信がない時は、妻に「俺の目は人間の目をしているか?今日は大丈夫か?」と聞かなければ、いつでも落ちてしまいそうな状態でした。その時は死ぬまで、この希望など持てない時期が続くとしか思えないくらい、脳梗塞の後遺症の強さになす術もなく、うずくまっている自分を感じる事のくやしさが、私のもう一つの支えでもありました。
脳が壊れ普通の働きを取り戻すまでには、個人差はあると思いますが、一年前後はかかると思います。一部壊れてもそれをカバーし、脳としての力を取り戻せば、新たな展開が起きるはずですが、その前に諦めないで欲しいと心から思っています。
ご本人やご家族にとって力になる事を伝えたかった。どうか時間はかかるかもしれないけれど、脳卒中の後遺症を克服する術を見つけ出してください。
私が発症から7年たって役立った考え方ということから、触れだしたのは、小手先のやり方では立ち行かず、その内やる気すら失ってしまうと思ったからです。だからもっと大事なこととして、考え方とか信念のようなものが、なくてはならないと思ったからです。それを見失わなかったら、道に迷ったとしてもいつかは、目的地に行けるはずです。
私を見ていて、脳卒中を患った方からこんなことを言われたことがあります。「あなたの頑張りを見ていて、良くなって行くことは分かりましたが、私は余生をのんびり過ごしたいので、このままでよいと。」おっしゃられました。その考えは、本当に正しいと思います。人それぞれ色んな選択肢があって人生を築いている。私だってしたいからしているだけです。私の取り扱い説明書と、聞き流して下さい。
脳卒中にならなかったら、出会うはずの無かった人達や、貴重な体験など、私固有の経験だと思います。大変お世話になったリハビリに、なにか恩返ししたくて、私なりのやり方はないかとこの方法に行きつきました。
自分の頭の中のことを、文字にするむづかしさに痛感致しました。私の表現に不快感を持たれた方がいらっしゃったら、大変申し訳ございません。

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