ウェルニッケマン肢位

姿勢の特徴

私は片麻痺特有の姿勢、ウェルニッケマン肢位に陥ってしまって、誰でも一目で「あれっ何か変、麻痺があるのかな?」と分かってしまって、とてもコンプレックスで、そんな姿勢などしたくないのに、体が勝手にそうなってしまい、自分ではどうすることも出来ないという悩ましい問題でした。
上肢は、肩が前へ巻き込み、肘、手首が曲がり、手はグーに握ったまま。
下肢は膝が伸び、足首から先は内反尖足、下垂足。
体幹は麻痺側の脇腹がつぶれ、お尻が後ろに逃げている。
足元が悪い所や寒さなど、人に見られている緊張感、怒りや驚きなどの精神状態によっても酷くなりました。
そうなると、動きは重たく、ぎこちなくなり、障害者独特な動きになって、よけい転倒リスクが上がってしまう。ゆっくりと確認し、注意して動くくらいでは、何も解決しませんでした。
私自身も、その特徴的姿勢に過敏になっていて、街やテレビでそういう姿を見かけると、「はっ」としてしまいました。多少の個人差はあると思いますが、同じような運動パターンで、あるように感じました。

姿勢調整

良い方の体で生活する

生まれてから首が座り、ハイハイ、つかまり立ち、よちよち歩き、小走り、色々な作業を、自然と当たり前に長い時を掛けて、身に付けてきて、何も意識することなく、どんな環境でも姿勢のバランスを保つのが、当たり前のことです。
ほとんど無意識に歩き、行動し、作業し、生活して来たのに、脳卒中後には、健康な頃のイメージで動こうとすると、思い通りに動けない自分の体に、不安や恐怖を感じました。
何が私の中で起こっているのか、理解出来ないまま、この状態から脱出しようと、動く良い方の体で、色々と本人なりに何とかしようとあがきました。
例えば、寝返りや起き上がれないと、良い方の手でベッドの柵を引っ張って、動作を成り立たせようと努力をしました。良い方だけで動作をやり遂げようと、試みを繰り返すことによって、努力性の半身による運動パターンを構築してしまったようです。しかも麻痺側を忘れ去られてです。
姿勢の全身のつり合いによる問題が、起きてしまうようです。
良い方の過剰努力は、麻痺側へ連合反応を起こし、痙性が作られていった。
片麻痺になっても、なんとか生活を立て直そうと努力した結果のことで、仕方なかったと思いますが、専門知識を発症時からレクチャーされていれば、違ったかもしれません。

定型的共同運動

あくびやくしゃみをすると、勝手に麻痺側の手が曲がり、足が伸びをしました。
脳卒中によって、筋緊張を抑制する部位が障害され、筋緊張のコントロールが出来なくなったため起きていました。
そのことは、わずかな刺激でも、筋肉に異常な力が入り、上肢の筋肉は屈曲、下肢の筋肉は伸展パターンを、暴走させているということです。
ウェルニッケマン肢位のような、姿勢になっている原因の一つで、筋緊張が高く一定の範囲内しか動かせず、全身の動きが円滑に行えなく、定型的な動きになってしまっている。
定型的共同運動は、動作を起こそうとする時や色々な反射、連合反応などの、不随意な運動でも起こりました。「なぜ!そんな変な格好は恥ずかしいからやめてくれ。」と思えば思うほど、余計に反応してしまいました。受け入れなど出来ないが、自分の体から逃げることも出来ない、もどかしさに押しつぶされそうでした。

重心・体位・荷重

内反尖足、突っ張った足、体を上手く支えない体幹、体に巻き付いた麻痺手、こんな体でよく立つ、歩く、最低限の生活をすることが出来たと思います。日々必死に生きていた為か、深く考えることも出来ず、転倒の恐怖と戦いながら、ジタバタともがいていました。
自分の目で見える麻痺している手足に注意が集中し、そこを何とか修正しようと努力していました。
しかし、直そうとしている手足を変えようとしても、体中の運動能力が、脳卒中によって変化してしまった部分が参加しているため、思い描く動作とは、違ってしまったようです。
健康な頃の感覚で動こうとすると、全然動けない自分に、恐怖や不信感を持ちました。

悪循環

歩く場合など、足元が悪い、疲れたなどでも、余計に麻痺手が曲がった。
良い方の手で作業している時、麻痺手が曲がっていた。
私は何気なく気が付くと、勝手に力が入って曲がっている腕を見て、違和感で自分の手と思えませんでした。
散歩や出来そうな作業をしたいのは、普通のことです。
しかし、そうした運動や反射は、継続的に麻痺側に筋緊張を起こし、力が入って縮んだ筋肉は、次第に短縮し余計に使いづらく、動かしくずらくなってしまいます。
動きづらく、硬くなった体は、効率が悪く疲れやすく、動きも狭くなり、余計に努力して動かすことになります。
健康な時は生理的連合反応といい、人間が生きていくうえで必要な反応なのですが、脳卒中による脳のダメージなどで、抑制が効かなくなり、必要以上に連合反応が起きてしまって、悪影響を及ぼしています。

廃用症候群

一生懸命、毎日歩いていたのに、段々歩きにくくなり、すぐに疲れて歩けなくなりました。
不自然な姿勢になっている一つの原因は、動かそうとした時に、必要以上に力が入ってしまっている筋肉がある。その反対の役目を持った筋肉は、力を発揮できない、使えないままになっていることになります。
いくら歩いても、刺激の入らない部分は衰えてしまい、バランスが崩れ効率の悪い動きや、ぎこちない動きになっています。
又、麻痺手が曲がったまま動かせない状態が続くと、関節が動かさない状態が続くため、固まって、動かなくなることがあります。関節の動きが制限されてしまうだけでなく、無理に動かそうとすると、痛みを起こします。
その他、動きにくい、動かないことによって、色々な問題を引き起こすことがあります。
骨、心肺機能、消化器、精神状態など。
ウェルニッケマン肢位になり、本来の機能的な運動をするには、体のアライメントが整えられず、本人は一生懸命に頑張ろうとしているのに、不本意なことになってしまうことがあると思います。
ただやみくもに、動こうとしただけでは、後遺症に対して有効なリハビリ手段にならず、本人の意図とは違った、不本意な状態から、抜け出せなくなってしまうと思います。

改善の方法がわからない

発症から4~5年は、書籍などで良い情報を目にすると、「何とかなりそうだ。」と楽観的になったり、生活の中で目にしたり耳にする現実は、「もうダメなのかもしれない。」と諦めざるを得ないことが、氾濫していました。
PTやOTは専門家なのだから、改善方法の教えを乞うと質問すると、「原因はあなたの中にあるのです。」とバッサリと頭ごなしに、諦めが悪いと言わんばかりの対応で、改善方法など無いと、諭すような方もいらっしゃいました。
私の願いは、健康な人の中に入った時に、違和感のある姿で、不快を感じさせないよう、取り繕えるようになりたいということだった。発症9年経った今は、何とか他人は誤魔化せるくらいになったと思いますが、私の体はウェルニッケマン肢位になりたいと、常に言ってきます。
しかし、ゆっくりではあるが、少しずつ改善し続けているという実感はあるし、これからも改善し続けることは、理解出来ました。
改善の方法のエビデンスを、待っているほど、私の寿命や体力はもたないと思うので、自己流でも、自分の後遺症のメカニズムを理解して、有効そうなトレーニングをし続けて、脳に運動を学習させれば、その分は改善するということです。
時が解決するものでもなく、面倒や恥ずかしさ、その人の幸せの形も違うので、画一的ではないと思いますが、改善の方法はありそうです。

なぜ?そんなことに

発症3ヶ月の出来事

リハビリ病院で備品の、私にはサイズが大きすぎる装具をお借りしながら、杖を使い歩行練習をしていました。
私の麻痺足の型を取って、My装具とスニーカーが出来上がってきた日に、フィット感と歩きやすさに感激して、屋外をセラピストと一緒に、6000歩くらい歩ききってしまいました。
その病院は丘の頂上付近に立地していたため、ほとんど周囲は坂道でした。
「よし!これからどんどん歩けようになる。」と確信し、翌日リハビリに行こうとすると、健足と思っていた左足に激痛が走り、立つことも出来なくなったため、車椅子に逆戻りすることになって、その後はリハビリも満足に受けることも出来ず、失意のまま車椅子で退院することになりました。
頼りにしていた左足が、壊れてしまうなどと思いもしないことで、なぜこんなことになったのか、ろくに動けないため、考えることしか出来なかった私には、麻痺した体との付き合い方を知る、良い時になりました。
自分の体は、元気な頃のような状態ではないということを、初めて理解することになりました。

気付いたこと

健足と思っていた左足は、急性期病院ではベッドから起き上がることも制限され、リハビリ病院では車椅子生活によって、3ヶ月間位刺激がはいらないため、筋肉量が少なくなって、やせ細っていることを知らなかった。
体は丈夫が取り柄で生きてきて、自分の体が衰えるという、体験がなかった為の無知でありました。
そして、本当は健足では無く、非麻痺足で姿勢調整など、なんらかの麻痺の影響を受けている。少なくとも脳卒中前とは違うということです。
それで、麻痺足は装具を付けることで足首を固定でき、内反や、下垂足の補助になるが、荷重を支えるわけでもなく、まして歩行時の推進力もない。ウェルニッケマン肢位で、アライメントが崩れた、使い物にならない右半身を、左半身と杖で支えながら、トレーニングもなく、坂道を6000歩も急に歩いた非常識さに、左足は壊れるべくして壊れただけでした。
その代償は大きく、左足の痛みに悩まされ、リハビリも進みにくくなり、完治するのには2年位掛かりました。

リハビリ病院退院後

左足を壊したため、不本意な退院だったのが原因ですが、セラピストに見守られている安心感やエアコンの効いた平らな障害のない廊下を歩くのと、自宅の生活は、片麻痺でどう歩いたらいいのかもわからない私には、厳しいものになりました。
階段、ドアを開くときは一歩下がらないといけない、布団の上では立つことも出来ない、微妙な道路の傾斜、アスファルトはザラザラで麻痺足のソールが引っ掛かる。風、雨、近所の人の対応など。
脳卒中前では当たり前のことが、どうしたら出来るのか分からなく、転倒の恐怖と戦い、歩くことが難しくなってしまいました。リハビリ病院では、100m位は歩けたのに、10mも難しく苦しいものになってしまいました。

気付いたこと

発症9年経った今だから言えることで、当時は歩くことだけにとらわれてしまっていて、脳卒中前の感覚で動こうとしても、思うように動けない自分に戸惑い、恐怖しかなかった。
しかし、このまま寝たきりになってしまうのは、嫌だと必死なだけで、なす術がなかったのを、思い出します。
私の場合は、椅子に座っていられない位、体のバランスが狂っているのに、麻痺したためそうなってしまったと、思い込んでいました。ここから抜け出せないのではないかと、ただもがいていました。
麻痺側の尻や足が体を支えていないばかりか、脇腹がつぶれ、肩や尻が後方に逃げていました。
座るための姿勢を修正し、楽に座っていられなければいけませんでした。
椅子から立ち上がる動作も、良い方の手や足で、何とか立ち上がっていましたが、正しい座位から、前方に腰をかがめながら重心を移し、両足で荷重の支えを感じながら、ゆっくりと立ち上がる。
そういった姿勢調整や荷重を、麻痺足で支える運動を、脳や体に再学習させる必要がありました。
基本となる機能を、失ってしまって、体の使い方がわからなくなっているのに、上手く歩けるはずがなかったと思います。

発症6年以上良くわからなかった

脳卒中後は「なぜ?」ということが、多々起こりましたが、漠然と体が麻痺したから仕方ないと思っていました。
自分の無謀な挑戦で、装具を外した時も、麻痺足が支えられなくて、砕けてしまうため転倒するのですが、なんの立ち直りの動きも無く、受け身も無く、人間らしく体を守るような動きも無く、ただ棒のように倒れる。
足元や天候が悪い、他人に見られているなど、緊張しただけでウェルニッケマン肢位が、自分の意志に関係なく酷くなる。
ちょっとびっくりすると、大げさに体が反応する。
梯子に上るとき、自分の体の存在がわからず、空間に投げ出されたような感じで、怖くて仕方なかった。
リハビリでも自分にとって少し難しい課題や、訳が分からないことをされると、めまいが酷くなり、生活出来なくなった。
不眠や寝ても疲れが取れないなど、
自分の身に起こっていることの意味を理解しないままに、危険なこととは知らず、普通に戻りたいと、願っていました。

学んだこと

生活するために立つ、座る、寝る、歩く、作業するなどの姿勢の保持や運動は、絶妙な筋緊張によって、身体各部位の位置関係を、無意識に自動的に調整しています。
これらのお陰で、色々な活動が成り立っていたのです。
脳卒中によって、中枢神経系が損傷した部位にもよりますが、立ち直り反応や平衡反応も消失してしまって、円滑な運動が出来なくなります。
又、原始反射は新生児から、成長発達につれて消失し、徐々に立ち直り反応、平衡反応を獲得し、姿勢反射が完成しますが、消失していた原始反射が出現して、運動を阻害します。
まるで、赤ちゃんに戻ってしまったようなことです。
そういった影響を受けたことを理解することは、重要だと思います。

私が楽になったこと

意識することが出来ない、姿勢のメカニズムを理解することによって、リハビリにはプラスになることは、間違いないと思います。健康な時は、色々な動きをする時、無意識に適切な姿勢を取り、バランスや効率的な体位などを、気にする必要もなく、当たり前に出来ました。
脳卒中によって、重要な姿勢調整機能が、十分に働かなくなってしまったのに考慮出来ずに、リハビリに取り組んでも、自分が思い描くリハビリの成果と、違うことになって苦しんでいました。
まだ改善途上ではありますが、動きが少し楽になったことを記してみます。

座位の作業

楽に座る

発症2年位までは、椅子に座ることがすぐに疲れてしまい、体力がなくなったからと諦めていました。
しかし、片麻痺の特徴として、姿勢調整をする能力が、障害されていると知りました。

良い方の左手を、座面と左右の尻の間に入れてみると、麻痺側の右尻は浮いていました。
片尻で座っているようなことで、健康な人でも、それでは一分も持たず疲れてしまう。
しかも、麻痺足も支えが不十分、上半身も腰や肩が後ろに逃げて、左側に寄りかかり、上肢が体に巻き付くように曲がって、座っている状態でした。

両足と両尻で、荷重を均等に支えるように意識して座るだけでも、上半身も少しついてくるような感じがしました。そんな所に注意しながら、繰り返すごとに楽に座れるようになりました。
椅子に座る行為が楽になることによって、人間らしい生活を送る一歩になったと思います。

麻痺手のリハビリ

麻痺手が少し動き出しただけで、大喜びしましたが、自分の手になるまでは長い道のりです。手の場合は座っての作業が多く、手を動かすことに集中するあまり、手の支えである肩甲骨、体幹、骨盤など考えず、リハビリに取り組んでいました。
姿勢のアライメントを整えることにも、注意しながら行うことによって、特に、麻痺側の体幹に、グラグラしないように力を入れてから作業に向かうと、上肢が安定するので、上肢の重さも軽く感じ、上肢の一体感も生まれ力強くなりました。
短期間で改善しませんが、自分の手にするという目標に向かう中で、パーツのみのリハビリから全身の繋がりを、意識出来るほど、自分の手になっていくと思います。

両手足の重さ

麻痺側の手足は重く感じ、相当に力を入れないと、動かないと思っていました。
しかし、両手足は同じ重さのはずです。プールで泳いだ直後、プールから出ると体が重く動きにくく感じたのに、麻痺側の感じは似ています。
良い側の手は、動かしたいように自然に動きますが、麻痺手は重たく肩に付いているのも負担で、力まないと動かすのも苦労し、すぐ疲れてしまいます。
歩くのも良い方の足は、何の意識も無く実行出来るのに、麻痺足はいろいろ考え注意しないと、足の役目を果たさないばかりか、やけに重い。
もう一生仕方ないと思っているのと、どうしたら楽な体に戻るかとでは、方向が変わり結果にも違いが生まれると思います。
長期の目標になると思いますが、左右が同じ重さに感じられることだと思います。力んで動かすより軽く動かすことを考え、量や努力より、自然に動くには?という感じに意識や方法に時間を掛ける。わずかな調整でも、動きが楽になることがありました。
少しの違いで視野が広がり、気が楽になりました。

麻痺足への荷重

非麻痺側を中心とした生活から、麻痺足にも同じくらいの、荷重で出来るようにすることで、連合反応の抑制につながり、余分な力を使わなくて済むようになるため、改善に繋がると思います。
内反尖足・下垂足」に記してあるようにアライメントを改善し、荷重を支えられるようにしながら、運動感覚や姿勢を調整、修正し、自然な歩きを再獲得する。
両足に荷重できると麻痺足が軽くなるだけでなく、力が入り曲がっていた上肢も伸び、歩くスピードや距離も伸びました。

休み

日常生活を送っているだけでも、大きな負担が掛かっているのに、その上リハビリを頑張ることは、やり過ぎに注意した方が良いと思います。
必要以上に体を酷使することで、ストレスや疲労を貯めてしまい、痙性を強めてしまい動きにくくなりました。精神の緊張で痙性は強まりました。痙性を抑制するには、身体を休めることだと思います。
良いリハビリをするためにうまく休み、心と体をリフレッシュした方が、良いメリットが多いと思います。

意識的努力

長年会っていなかった友人で、容姿のイメージが何となく違っていても、歩きなどその人の特徴的な動きを見て、本人と分かり懐かしさを実感したりしたことは、誰にでもあると思います。成長する過程で、その人固有の姿勢が出来上がってくるからです。
脳卒中で、ウェルニッケマン姿勢のような異常で不安定な型に縛られてしまうと、いろいろと身に付いた、自然で効率の良い姿勢を失ってしまい、思い通りに動けなくなってしまいました。そのままでも、何とか生活出来たとしても、不自由なままです。

意識的に努力することで、ゆっくりでも生活が楽になれば、改善と捉えました。
私の場合は、下り坂や階段、次の動きに備える時などは、軽く膝を曲げる。
作業など行動する前には、出来るだけ姿勢を整えてから、体の向きを意識して行いました。
投球やゴルフなどは、右わき腹に力を入れてから、運動に移りました。
そんな注意でも、私はすごく動きやすくなって、バランスなど改善致しました。長い間続けて意識していると、とても無理と思っていたことでも、何とかなるようになりました。
自分らしい新たな姿勢が、身に付くと思います。

 

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