キャッチボール

なぜ、キャッチボール

リハビリ病院を退院して、自宅での生活は、あまりにも変わってしまった、脳や身体の機能と、どう折り合いを付けたら良いかわからないまま、苦痛で、気が休まらない日々を、送るしか選択肢がない、自分の将来を呪っていました。
時々、息子二人が庭で、楽しくキャッチボールをしているのを、家の中から羨ましく眺めている自分が、情けなくて仕方なかったが、運命を受け入れるしかない現実に、心が萎えるばかりでした。
徐々に、不自由ながらも工夫し、妻にも協力してもらい生活の術や、時間の過ごし方に慣れ、脳卒中の後遺症も、努力次第では何とかなるはずと、書籍から情報を得はじめたのは、発症から二年近く経っていました。
そんな頃、キャッチボールをしたいと考え、妻に頼んで相手をしてもらいました。2~3m離れて始めましたが、グローブをはめた左手は悪送球でも、ストレスなくキャッチ出来ますが、右手はボールを握ったら離すことすら出来ず、右足の所へポトっと落とすのが精一杯。
しかも、体中に筋緊張が入って、立っているのもやっとでした。
思った通りの結果でしたが、生活するためのリハビリに、少し遊び心が欲しかった私には、良い目標になると、心がわくわくしたのを覚えています。
大病したのだから、命があるのはありがたいことと、感謝はしていますが、生きている以上は、精一杯楽しみ、自分らしく生き抜こうと思いました。

自分にとっての意味

普通50過ぎのおやじが、ボールを投げられなくても、何も問題ないはずです。
まして、右片麻痺になってしまったので、それどころではないはずですが、楽しく夢中で取り組めて、成果が誰にでも感じられて、私がやりたいことが、大事だと思います。
多少の知識や運動体験があり、道具も環境も揃っていることなど、重要な動機になると思います。
私自身は学生時代の野球経験はありませんでしたが、二人の息子は小学校から学生中は、野球にのめり込んでいました。私も一緒に練習相手や部活の父母会活動など、楽しませて頂きました。
再び息子とキャッチボールをするというのは、自分にとって良い目的で、達成するためのモチベーションも上がります。
そして、麻痺した右手を復活させるには、いずれ通る道になるはずだとも考えました。

投げるトレーニング

ボールを投げようとしただけで、全身の筋緊張が高まり転倒しそうになるので、ビールケースに座って、ネットに向かって投げることに致しました。
座ることによって、意識を麻痺手に集中でき、楽にトレーニング出来ました。
オーバースローは無理だったので、アンダースローでボールを放す感覚から始めました。
ボールを放すタイミングが遅れることと、力を抜くことだけでも苦労しましたが、確実に少しずつ動かし方が、わかっていく感じでした。
その頃は、日によって体調が違い、回数はこだわらないように致しました。
徐々に難易度を調整しながら、自分をコーチするように、成長を楽しみにトレーニングしていました。
生活の中の一部にもなり、農作業や片付けなどに、投げる運動をかこつけてやって、進歩を確かめていました。
やった分は応えてくれていく。少しでも動かしやすくなることは、喜びと自信に繋がったと思います。

主治医のアドバイス

リハビリ病院入院中、私が一生懸命にリハビリに取り組んでいると、主治医が私を呼び寄せて、「あなたは、リハビリでABCと進むとすると、AからCに行くにはBを通ることは必修だと思っているでしょう。しかし、いきなりCをやった方が早いこともあるのよ。」と私を諭すように、アドバイスして下さいました。
ボールを投げることは、全身運動ですが、右手だけ見ても肩は亜脱臼気味、肘や手首は曲がったまま、手は握ったままで、物を持っても離すことが難しい。自分の思い通りに動かすことも難しいのに投げるなんて、トライそのものが成立するはずがないが、主治医のその言葉が、私の心に刺さっていることは間違いないです。

セラピスト

介護保険や自費リハビリなど、セラピストが変わるたびに、私がボールを投げていると話すと、関心を示し見せて欲しいと言ってきました。全員が、私がボールをセラピストに向かって投げると、「凄い。」と驚いてくれました。私のような体の状態では、投げる運動は出来ないはずだと言いますが、「目の前で起こっていることは現実でしょ。」と軽く言える私は少し優越感です。
セラピストでも、しっかりと投げ返してくれる方は半分くらいで、私がボールをキャッチ出来るかも確認せず、暴投を投げてくる人や、自分はボールを投げることが出来ないと言う人もいました。そういう人に限って、上目線で私を評価してくるので、何となくギクシャクした関係になることもありました。セラピストとして目の前で起こっていることを、しっかりと受け止めて、それが今までの経験では、理解出来なくとも、リハビリの可能性を広げて欲しいと感じました。

運動イメージ

脳卒中前の自然にボールを投げていた、運動のイメージはあるのですが、その通りに動かせない自分の体に諦めに似た、ネガティブな気持ちに、潰されそうになります。やめる気になればいつでもやめられるし、誰にも文句は言われないはずですが、キャッチボールが楽しかった記憶が勝るので、続けられると思います。
健康な頃の運動イメージを頼りに、トレーニングするだけでは、脳卒中の影響をいろいろと受けた身体には通用しなそうです。
例えば、健康な頃は腕の振りを意識し、トレーニングすればするほど、勝手に全身が協調して運動に参加してくれ、上達しました。効率の良い、自分のイメージに近い動きになり、トレーニングは裏切らないと思っていました。
しかし、脳卒中後は腕の振りを意識してトレーニングしたとしても、意識していない所も障害されていて、そこが動きに加わっているので、自分でも意図しない動きになって、トレーニングしても余計に悪くなることが、多いと思います。
障害を負った自身のことについて、常に観察し、どの部分が変化していて、変な動きを作っているのか、気付く必要があると思います。

動きにくくなった体

必ず歩いて、体が動かしやすくなってから行いました。投げる前に、特に手首をクルクル回し、全身の筋緊張や関節を緩めることを念入りに行い、リラックスしてから、トレーニングをしました。
ボールを投げる為には、力など要らない、むしろ痙性で必要のない無駄な筋緊張が、運動を邪魔している。それを少しずつ修正した感覚を学習するのが、私のトレーニングだと自分を納得させました。
その感じがなんとなくわかるには、相当な日数が掛かりましたが、半年、年単位で振り返ると確実に向上しているのが、やっただけ回復するという、自信になりました。
発症9年経って、セラピストに評価されることは、全身をずっと動かしていた為、筋肉の短縮や関節の拘縮が、ほとんど起きていないらしい。普通なら長い期間、不動や可動域が狭くなったまま生活していると、筋肉や関節に色々な二次的問題が起きているようです。
そんなメカニズムなど知る由もないことでしたが、ボールを投げる運動は全身を使わなければ成り立たないという困難さが、結果的には、私に良かったことは、間違いなさそうです。

オーバースロー

オーバースローをするためには、肘が肩より上がらないといけないのですが、上げるための筋力が弱いということや、邪魔している筋肉がありそうでした。
色々と試した中でも、私に合っていたのは、机の上に右腕を乗せ、その上に、頭や体を預けユラユラと重さを掛ける。自分の体重を掛けるのは、疲れないうえリラックス出来ます。
悪さをしている筋は、痛みやシコリとして感じやすく、自然な形で緩めることが出来ました。
そして、棘上筋など使えるよう、肘を90°に曲げ、肩を中心に上方へ引き上げる運動を適度にしました。
なかなか上手く行きませんでしたが、発症5年経った頃、いろいろと整のってきたこともあると思いますが、肘を上げる感覚がわからなかったが、手首から上げるように意識すると、肘が肩より上がるようになり、投げやすくなりました。

心の緊張

5mくらい離れたネットに向かって、投げるトレーニングを続け、コントロールや投げられる距離も、キャッチボール出来る所まで行けたと思い、息子に相手をお願いして始めると、体中に緊張が走り、思い通りに投げられませんでした。
ネット相手には、ある程度出来るようになっても、人間に向かって投げるには、グローブ側にキャッチしやすい、コントロールしたボールをと考えると、練習通りの気持ちではなくなり、ハードルを高くしてしまった自分は、体をコントロール出来ませんでした。
ちょっとした心の緊張が、体の筋緊張も高くしてしまったようです。
楽しくキャッチボールをするためには、その行為をはるかに上回る能力が、必要だと実感しました。
歩くのと同様で、何かを意識したなら、ぎこちなくなり、環境に影響されるようでは、自分の目標を達成するには、ほど遠い。しかし、意識したトレーニングを積み上げれば、改善するとしたら、努力したいと思います。

右片足立ち

歩くには、片足立ちが出来なくても、それほど不便は感じませんが、軸足のためや蹴りなど、体重移動が重要な投球動作は成り立たず、ボールに勢いが付きませんでした。
発症から6年位は、右片足立ちを時々トライし続けましたが、内反尖足など右足アライメントが崩れていた為、まったく出来そうにありませんでした。詳しくは『内反尖足・下垂足』をご覧ください。その他にスネ、膝、股関節、骨盤、内転筋などO脚のような状態を、ある程度戻すと、体軸や重心も右側に崩れているのをようやく感じました。
発症9年の現在は、10秒前後がやっとですが、右片足立ちが出来るようになりましたが、更なる改善が必要です。

わき腹

下肢が荷重を支えるようになり、腕が振れるようになっても、しっくりこない上、体をひねって投げるのが不安定でした。体幹が頼りなく、運動の流れを妨げているようでした。
投げる直前に、両わき腹に力を入れてから行うようにすると、だいぶ安定感が出ました。今の段階としては、一球ずつわき腹に意識してから投げるトレーニングを繰り返すことしか、今の私には良い方法が見つかりませんでした。
先行随伴性姿勢制御という素晴らしい機能を、健康人は無意識で運動に先行して、姿勢をコントロールしているということです。オートマチックに、いろんな環境下でも効率良く運動を達成するように、いろいろな筋肉へ指令が出て、適切な姿勢を変化させるという素晴らしい機能を、脳卒中で失ってしまったようです。

目標の意義

発症6~7年位から、息子と楽しくキャッチボールをする目標は、どうにか達成できたと思います。そして少しずつこれからも、上達すると思います。
息子2人は30歳前後になり、忙しくなってしまって、キャッチボールの相手をする時間は、なくなっていくでしょう。自分一人でも、良いリハビリになるので、トレーニングの頻度は減っても、色々な気付きを、体の改善に生かしていきたいと思っています。
息子達におやじがリハビリに取り組んでいる姿を見せ、何とかなるというメッセージになれば良いと思っています。
息子が私を見て、こんなことを言ったことがありました。「おやじは厳しく育ててくれたけど、自分にも厳しいだね。」と、自分のやりたいことに取り組んでいただけだったが、おやじとしてのメンツを保つことに繋がったと、少し満足感が加わったと思います。

発症9年私の実感

目標や目的は変わる

楽しくキャッチボールをするという目標は、発症3年くらいは、生活するのも大変な時に、不謹慎なことのようにも感じましたが、自分にとっては楽しい、嬉しいに向かって努力することに、価値がありました。
発症6年過ぎには、最低レベルですが、キャッチボールを楽しむことには、満足出来ましたが、向上心は火が付いたままです。
一生懸命歩くリハビリも大事ですが、全身を使っての運動から得る、自分の体の問題点の気付きは、私のリハビリには重要となっている現在は、色々な運動に取り組むことに意味があります。又、自分にとってのやりがいのようなことがなければ、続かないと思います。
必要性を感じなければ、やめるのも自由です。
脳卒中の後遺症の程度、改善させたいこと、その方の幸福感や考え方、時期、環境などで、十人十色のリハビリがあると思います。

過剰な努力や無理はいけない

健康な頃は、多少の努力や無理も、時には必要と言う考え方を持っていました。
しかし、痙性麻痺で動かしにくい体にとって、力んで動かすや疲れたのに頑張るのは、痙性を強めることになると思います。
むしろ良い方の体のように、自然に動かすにはということに注意を使って、左右の体が同じ重さに、感じるようになることが良さそうです。重く動かしにくいと感じている手足を、無理に動かそうとする、過剰努力を修正することです。
私の場合は、自分の努力だけでは限界を感じて、正しい専門家のアドバイスを得ることが出来ましたが、私自身は本物に出会うために、いろいろなセラピストの所に行っては、時間と費用を使い、やっと巡り合いました。本当に改善させてくれる力を持った、専門家と出会うのは難しいと感じました。

筋肉、骨格のアライメント

片麻痺になっても生活を送ろうと努力した結果、身に付いた癖のようなものや、麻痺の影響で短縮や癒着してしまった、筋肉や組織などを整えないと、運動するには適さない体では、動くことが難儀になってしまいます。
私は超音波治療器を使って、筋肉や組織を改善して、運動することを繰り返しながら、骨格の狂いも修正しました。
どこがどう狂っているのかがわからなくては、修正の仕方がわかりません。専門家のアドバイスや自分も勉強し、知る努力が必要となります。
体のアライメントがおかしいのに、動かざるを得ないのはしょうがないことですが、色々な所が故障して困りました。少しずつでも改善することは、自分が楽になることです。

苦手になった作業や運動

健康な時は普通なことも、脳卒中によって、どうしたらよいかも、わからなくなってしまいました。情けなくなったと嘆いていても、前へ進めませんでした。
目で確認できる、手足の麻痺が気になってしまいますが、健康な頃は、無意識に働いていた姿勢調整など、体の使い方が分からなくなっていました。運動する時は、オートマチックに最適な姿勢をとり、安全に効率良く違和感なくしていたので、脳卒中の後遺症で急に、そういった機能が破綻したことに、気付きませんでした。
ヨチヨチ歩きのお子さんが、お母さんに手を引かれながら、つまずいては歩くのを見て、「私もああやって身に付けたんだなぁ~」と思いました。そういえば、初めての作業やスポーツも、最初は下手で苦労したが、段々と上達したのを思い出します。
もう一度そのプロセスを繰り返し、壊れた脳に再学習させれば良いと思いましたが、考えるのと、実際に行動するのは苦難がありました。
脳卒中の影響を受けた色々な部位が運動に参加しているため、自分の意図した動きにならない上、柔軟性も失った体は少し無理をすれば、骨折のような大ケガをして、大マイナスになることを注意して、腰が引けてしまいました。
自分の現在の能力に合った難易度と負荷を調整し、無理をせず、しかし、苦手な作業や運動にも、気が向いたなら取り組む方が良いと、私は思います。

持久力、耐久力

私の場合は、呼吸の問題が解決したのが大きかったです。酸素を十分に取り入れることが出来なく、息切れが酷く生活そのものが成り立ちませんでした。発症4年過ぎに呼吸療法を受けてから、動くためのエネルギーが得られ、楽になりました。
麻痺側を重く感じているので、過剰な運動努力をしてしまっているのも、効率の悪い運動になっていました。未だに解決していませんが、この知識は今後のリハビリに、プラスになるはずです。
健康な頃はタフさに自信がありましたが、持久力、耐久力は無くしてしまいました。けれど、上手く休むことは、上達しました。

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