歩く意味 ― 壊れたら、また直せばいい

奪われた「当たり前」の日常

あの日、脳梗塞を発症した瞬間の、訳も分からずもがき苦しんだ記憶は、今も私の心に深く刻まれています 。どんなに新しい記憶を上書きしようとしても、決して消えることはありません 。
倒れる前の私は体力に自信があり、タフさが売りでした 。眠ることに対して不安を感じたことなど一度もなく、それは呼吸をするのと同じくらい、当たり前のことだったのです 。
しかし、発症から約2年間は、ひどい不眠に悩まされることになりました 。主治医は「このままでは心が病み、命に関わる」と、一人の人間を救い出すという強い覚悟で、睡眠薬を駆使した懸命の治療にあたってくれました 。それでも易疲労性はひどく、何もできないままソファーでぐったりと時間が過ぎるのを待つしかない自分を、嫌いにならずにはいられませんでした 。

孤独の暗闇の中で

悪い時には、悪いことばかりが重なるものです 。宗教の勧誘、借金の無心、心ない言葉を投げかけられることもありました 。
「こんな人生が死ぬまで続くなら、生きている意味などないのではないか。」そんな思考が頭をよぎりましたが、自分勝手な真似をすれば、家族の人生に消えない傷跡を残してしまう 。私に残された選択肢は、一生懸命に生きることだけだと悟りました 。
当時は、自分自身の思考さえ信用できないほど頭に靄(もや)がかかり、まともな判断ができなくなっていました 。最低限の生活を送ることすら精一杯で、孤独という暗闇の中で身動きが取れず、まさに「悲劇のヒーロー」を演じているような感覚でした 。

孤独の中に見つけた、小さな光

変化が訪れたのは、発症から1年3ヶ月が経ち、通所リハビリに通えるようになったことでした 。そこで出会った、同じ脳卒中を抱える方や、それぞれの課題と向き合う高齢者の方々との交流は、私にとって大きな喜びとなりました 。
同じ障害を持つ者同士の気楽なコミュニケーションは、構音障害(口や舌が動かしにくい)を抱える私にとって、何よりの訓練になりました 。私の言葉をゆっくりと待ってくれる人がいる。それだけで、意思の疎通はこんなにも楽しくなるのだと知りました 。

流れる川と、足元の花に導かれて

リハビリに励む日々は、不自由になった身体と脳を律するための、常に緊張の連続でした 。
だからこそ、自分の畑で土をいじり、虫たちの営みを眺める時間は、心を解放できる大切なひとときとなりました 。
畑の裏を流れる川も、毎日のように眺めに行きました 。健康だった頃は仕事やボランティアに追われ、気にも留めなかった景色です 。
しかし今、私は「昨日と同じ川は一日としてない」ことに気付きました 。行き交う船の種類、訪れる鳥たち、カニや稚魚の群れ 。
歩くリハビリの道すがら、ふと足を止めて眺める季節の花々や、空の色、雲の形、そして肌をなでる風 。
それらは、モヤモヤとした心の霧を晴らし、心地よい疲れとともに私を癒してくれます 。自分にとっての楽園が、壊れた心身のリハビリに必須になりました。
何より、今こうして「少しでも自由に歩けること」 。 その事実を、今の私は心からありがたいと感じています 。

自分を取り戻す

歩かないと寝たきりになるという恐怖心から、がむしゃらに歩いていた。
その頃は頭の中はネガティブなことがぐるぐる回っていました。
そんな中、近所の友人と立ち話をしたとき、私の口から「こんな運命になるのは、自分の生き方が悪かったのか?」という言葉がこぼれたとき、友人は「そんなことないよ。そんなこと考えない方がいいぞ。」と励ましてくれました。
自分を冷静に第三者の目線になって、評価できているきっかけになりました。
「人生は、前にしか進めない一方通行、過去をどんなに嘆いても、後戻りはできない。」

心の解放

知人たちの重い運命を背負いながらも、そんなことを微塵も見せず明るく、胸を張って生きている姿を思い浮かべると「自分は他人に迷惑をかけたわけでもない。自分の障害なんて、たいしたことないさ。」と思えた瞬間、スーッと心が解放されて行きました。
「もし今、あなたが暗闇にいるのなら、少しだけ周りを見てほしい。」

自分らしくあること

元気な頃は、いい車に乗り、ゴルフを楽しみ、積極的、豪快な生き方が大好きでした。ちょっと病気したぐらいで、変わってしまったと思われるのは心外です。
脳梗塞で失くしたものを、一つずつ取り返すのが人生の目的になり、生きがいとなりました。
どうせ生きるなら、自分らしい人生を再び築く、勇気が湧いて行きました。

壊れたら直す

脳卒中になったことに対して。偏見を持っている人たちがいますが、ただの病気です。
生身の人間が、病気や怪我をするのは当たり前のことです。だから、直せば良いだけの話に思えばいい。
しかし、風邪や骨折のように安静にしていれば、自然に元の体に治るという経験は、通用しないと思います。
脳卒中の後遺症(障害)を、病気前の自分に戻ることをゴールにしがちですが、新しい自分に生まれ変わる気持ちが大切です。改善していく自分を、楽しむ気持ちでした。

幸せは自分で選ぶもの

自分にとっての幸せと、他人の幸せが同じ訳がありません。夫婦だってちがっています。
主治医にゴルフを始めることを、相談したとき「それはわざわざ自殺に行くようなことだ」と反対されました。主治医は「体の安全を守るプロ」ですから、脳卒中患者の私には、「アンダーで、無理をせずに。」という姿勢です。
自分も転倒や身体の負担が大きいというリスク、しかもゴルフをするハードルは、相当高いものと承知しているつもりです。
それでも、ゴルフ場は下界の喧騒からは、隔離された美しい世界で、共に過ごす仲間は、病気というフィルターを通さない対等な関係、一人のゴルファーと私を見てくれます。
他にも、歩くことよりもコミュニケーションの能力のリハビリが、その人の人生の質に重要なのであると、あえて車椅子の移動と割り切った人もいました。
その人の幸せの形は、自分の納得による「生きるエネルギー」、「生きがい」でなくては意味がありません。
「自分の人生に責任が取れるのは、自分ひとりだけです。」

生きることがリスク

「100%人は死にます、それが人間の掟。」実は、「どう100%生き切るか。」ことだと思います。
不自由な体で、転倒したらどうなるかというリスクを考え、身動き取れなくなるか。したいことを諦め心が枯れてしまう方が、人生において大きな損失だと考えるか。
私は不自由になったことで、「これだけは譲れない自分」が、じわじわと研ぎ澄まされていきました。
どうせ100%死ぬのなら、残った本質を使い切って行きたいのです。それが格好悪く見えたとしても、たいしたことはないと思います。

今日の一歩に込める願い

再発した時に取ったMRI画像から、はっきりと納得したことがあります。
初めての脳梗塞で壊れた中脳の大脳脚は、ミッキーマウスのような耳の形をしていますが、私の場合は左耳が欠けてしまっています。
「壊死した脳は再生せず、形を維持できず崩れてしまっている。」と、脳外科医師の説明でした。元の自分には回復することはないという事実は、自分の目に突き付けられました。
発症当時の情報は、「6カ月の壁があり、回復しない。」と言われ、心が折れ、もう私は終わったのかと思いました。
しかし、脳という組織の素晴らしいところは、昨日までの自分がダメなら、今日の自分に合った新しい動き方を、何年かけてでも学び直せることにあります。6カ月で終わるのは、自然に治る期間であって、自分で変えていける期間には終わりはない。
「私の12年という月日が、その何よりの証拠です。」

歩く意味

人生という道の途中で、足が止まっても、道がふさがっても、「壊れたらまた直せばいい。」ただそれだけのこと。
「大切なのは、自分の幸せは自分で決めることができる。」
誰かの足跡をなぞることでなく、自分の意思で次の一歩をどこへ踏み出すか。そのものにあると思います。その一歩こそが私にとっての揺るぎない希望だから。
「今日あなたなら、どんな一歩を踏み出しますか。」

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