「発症6カ月の壁」という冷たい現実
脳梗塞を発症し、今までの人生経験が全く通用しない日々を、夢中で切り開こうと、もがいていました。
しかし、発症から6ヶ月が経った頃、「あなたのゴールデンタイムは終わりました。もう障害はよくなりません」と冷たすぎる宣言をされ、健康保険によるリハビリは、強制終了されてしまいました。
当時を思い出すと、右片麻痺や高次脳機能障害も重く、自分がまるで廃人になってしまったかのようにしか思えませんでした。
「残酷な人生しか、選択肢がないのか」生きる意味すら失いかけていました。
悲しい現実
しかし現実には、私のような宣言をされた脳卒中患者は、「言葉の威力」に封じ込まれ、身動きとれずにいます。
その人の生き方は尊重されるべきだと思いますが、「努力次第で、改善する可能性がある」事実を知らないまま諦めてしまうのは、その人らしい選択とは限らないと思います。
未来を決めるのは、あなたの生き方
「効果のあるリハビリ」とは、「自分に合うリハビリ」が本当の意味で分かるまでは、セラピストは私の先生だと、信頼しきっていました。もちろん、病院のリハビリは初期の土台作りとして、素晴らしい役割があると思います。
しかし、ほとんどのセラピストは、一方通行的な評価や施術ばかりで、それが私にとって何になるのかまで、考えてないと感じ始めました。
「壊れた脳の領域」、「障害の大きさ」、「年齢」、「発症からの経過年月」など、それは重要なハードウェアの数値で、失われた機能を数値で「医療のものさし」です。それをもとに予後を推測されたこともありました。
しかし、発症13年経った今は、「その人がどう生きてきたか」、「どんな経験や考えを持っているか」、「問題や壁を楽しめるか」など、その人の内面こそが、本当の伸び代を、決めると思います。
その人にとって意味のあるリハビリでないと、長い時間継続した改善など、起こらないと思います。私を支えたのは、自分の性格であり、これまでの生き方であり、身体を使って実験し続けることへの好奇心でした。
「治してもらう」という受け身から抜け出し、「自分の身体の主権は自分にある」と覚悟を決めた瞬間から、本当の改善が始まります。
究極の選択
「麻痺した身体のまま生きる」のも、「少しずつ改善のために努力を続ける」のも、どちらも計り知れないほど辛い道のりです。
・現状維持(消耗のつらさ)
「自分の行きたいところにも行けない」、「自分の体なのに自由にならない」という人生における「不自由さ」の辛さは日を追うごとに、じわじわと心と身体をすり減らして行きます。ただ耐えるだけでは、明日も一年後も同じ不自由さが繰り返される、未来の変化が生まれない「消耗のつらさ」です。
・改善のつらさ(投資のつらさ)
今日も思うように動かない身体と向き合い、自分のやりたいアプローチを試して、未来の可能性を広げるため、努力、費用、時間など「投資のつらさ」です。傍目では1ミリの変化が見られないことも、自分なりにできたことを満足する。それは本来の姿に近づくだけのプロセスですから、できたとしても誰も褒めてくれません。
諦めて受け入れることにも、大変なエネルギーが必要です。だから、どちらを選ぶのも本人の自由だし、他人がとやかく言う事ではありません。
私の場合は、どちらを選んでも苦しいのなら、「自分らしさ」を選んだだけです。
ただの機能回復ではなく、「自分の人生のコントロール権を、少しずつ自分で取り戻していく感覚」そのものです。
他者依存の甘い罠
多くの人は、医師や理学療法士に頼れば、いつか元に戻してもらえるはずと願うのは、人間の心理としてごく自然なことです。
しかし、現実は非情です。医療や介護の制度のリハビリは、元の自分に戻すことをゴールにしていません。今残っている機能で、なんとか生活できるようにする(代償動作や実用歩行の獲得)、あるいは寝たきりを防ぐことが目的です。
・彼らの仕事は、制度のルール内で、時間内にリハビリを、提供することである。麻痺を治すことではない。
・彼らは健康で、麻痺した身体感覚は分からない。
・医療者やセラピストは、あなたの人生の責任をとってくれるわけではない。
これは誰が悪いということではなく、システムの限界のようなことだと思います。
自分で立つこと
私は発症13年経った現在も、鍼灸師にかかっています。それまでも理学療法士、作業療法士、言語療法士、マッサージ師、柔道整復師、鍼灸師と、次々とお世話になり続けています。それは新たなセラピストに出会うたび、その人しか分からない感覚的な、新しい改善の方法を持っているからです。
その一方で、今自分にとって必要な知識を集め、それを自分の体で実験し、変化を観察して楽しんでいます。例えば自動車を修理しようとした時、全く知識がなければ専門家にお願いするしかありませんが、自分でする時は、失敗しないような情報を集めると思います。
大変複雑な人間の体や脳を、改善するために、何の努力もしなければ、手も足も出ないのは当たり前です。それは医学書を、丸暗記するということではありません。
自分にしか感じられない動きにくさなどを、少しこうすると楽になったという感覚を頼りに、どうしてという疑問を埋めていくようなことです。それが面白くなってきたら、「ラッキーだ」くらいで充分だと思います。
「安易な希望を売るプロ」に依存するのをやめ、「不完全でも、自分の頭で考えて身体と対話するプロ」になることが、本当の改善の近道になると思います。
脳のアップデート
脳卒中の後遺症からの回復は、「傷が癒える」のとは少し違います。安静にしていても、元どおりになることはありません。例えるなら、生まれたての脳にもう一度、体の動かし方を教え直す(再学習)プロセスが必要です。
しかし、複雑で時間や忍耐など、苦痛に感じて諦めてしまう場合が多いと思います。私なりのポイントを、挙げてみます。
1・やる気が出ない
脳のダメージによって、感情や意欲のスイッチが入りにくくなるのは、病気による正常な反応です。あなたの意志が弱いからではありません。自分を責める必要は一切ありません。
最初は「自分を守る」、「自分が少しでも心地よく過ごす」で充分です。心と体が安心で満たされると、自然と意欲を、思い出すでしょう。
2・嫌なことは拒絶し、「ワクワク」は脳を書き換える
脳に新しい回路を作る(再学習)ために、絶対欠かせない条件があります。
それは、「自分自身が楽しんでいるか」です。
人から嫌々やらされるような課題は、脳にとって苦痛でしかありません。脳は嫌なことを拒否する性質があるため、どれだけ回数を重ねても、再学習の効率は上がらないのです。
リハビリを苦行にするのではなく、自分なりに面白く試行錯誤する「ゲーム」にしてしまうと、そのワクワク感こそ脳を呼び覚ます、「一番の特効薬」になります。
3・脳は心地よさを目指して進化する
もともと人間の脳には、与えられた環境に、どうにかして適応する素晴らしい能力が備わっています。
だから、最初から「リハビリを頑張って、元の体に絶対に戻すぞ」なんて大きな目標を掲げなくても大丈夫です。不快が減るのも脳にとっては、報酬になります。
目標は、今達成できるまで、めいっぱい低くしても達成感を味わいましょう。
4・学習性不使用
ここで注意したいのが、脳の良くも悪くも素直な性質です。
麻痺した部分を使いづらいからと使わずに、動く部分だけで無理やり生活が成り立たせていると、「脳はこの部分はもう使わなくていいのか。じゃあ記憶から消しとこう」と脳が学習してしまうのです。
自然に治るのを待っているのではなく、「意識して正しい動き」を脳に教え込みなおすことそれが、途絶えた回路をつなぎ直す唯一の方法です。
まとめ
ここに書いたことは、13年間もがきながら自分の身体で実験を続けてきた、私個人の一つの体験談にすぎません。
リハビリの目標や価値観、そして「どう生きたいか」という選択は、人の数だけ存在します。諦めずに挑戦を続ける道もあれば、今の暮らしの中で心地よさを大切にする道もあります。どちらが正しいということは決してありません。
大切なのは、他人の決めた枠組みや「諦め」に流されるのではなく、あなた自身が納得できる生き方や身体との付き合い方を選び取ることです。
この私の体験が、あなたの「これからの自分らしい選択」を考える小さなヒントになれば、これ以上の喜びはありません。

