プラトーとは?
脳卒中の後遺症の場合は、回復の量が少しずつ平らにきている、改善の停滞状態のことを、言っています。
軽いケガならば、少し安静にしていれば、自然に元通りになりますが、脳卒中の後遺症には、そのイメージは全く通用しません。
誰でもスポーツや仕事などで、伸び悩んだ経験があると思いますが、その時はもがき苦しんで乗り越えると、一段磨かれた自分に、気が付いたはずです。いろいろな工夫や努力や時が必要で、そのための知識の獲得や明確な目標など、自分自身のことを、見つめ直す為の、良い踊り場であったはずです。
自分が幸せになる、生きがいを感じる、家族や友人の力になる、など自分にとって意味があるから出来ることです。それと同じようなイメージが近いと思います。
人生の幸福や目的、障害の種類や程度の違い、生活環境など、皆、同じではなく、どう生きるかは尊重されるべきです。私の経験が、少しでも参考になれば幸いです。
6ヶ月限界説
私は発症から6ヶ月位は、装具療法やセラピストのアドバイスやリハビリによって、退院して自宅で、最低限の生活を送れるようにして頂きました。大変ありがたいことです。
その当時は、脳卒中に対する知識はなく、セラピストに頼るしかなく、リハビリにすがる思いでした。
しかし、潮が引いたかのように、「回復のゴールデンタイムは終わりました。障害は良くなりません。」とリハビリを終了させられてしまいました。後に分かったことですが、医療制度の縛りやリハビリの考え方で、仕方なかったようです。
私自身もあまり改善がないので、このまま死ぬまで不自由なのかと、受け入れるしかしょうがないと、自分に言い聞かせていました。ある意味、発症6ヶ月から2年近くは、最初のプラトーだったようです。
発症から1年2ヶ月過ぎに、介護保険による通所リハビリの機会を与えられたことや、書籍やネットからの知識を得られたことなど相乗効果もあり、発症6ヶ月で回復限界ではなく、脳の可塑性という特性を、リハビリによって変化させることが出来れば、改善は続く。本人の努力次第だとわかりました。回復のメカニズムは「克服の術」に記してあります。
介護保険の利用
介護保険は平成12年4月からスタートしました。65歳以上の方は、市町村が実施する要介護認定されたらサービスを受けることが出来ます。また40~64歳までの人でも、特定疾病(老化が原因とされる病気)により介護が必要と認定された場合は、サービスを受けることが出来る。
高齢で介護が必要と思われる方でも、なかには違和感を持つ人もいると聞きますが、私も50代前半だったので、恥ずかしく、ためらいもありました。
又、色々な目的を持った施設があるので、ケアマネージャーと自分に合った所を、良く話し合った方が良いと思います。
私は発症1年2ヶ月過ぎから、通所リハビリテーションに3年間お世話になりました。私より先輩の方々の中で、想像していたのとは全く違い、私を優しく受け入れて頂き、色々な恩恵を受けました。
そこに行き、色々な方とコミュニケーションをとることで、構音障害で伝わりにくくなった言葉や易疲労性が酷く、心や体の耐久力を付けるなど、良いリハビリになりました。自宅で孤立していたら、全く改善しなかったでしょう。
又、PTやOTからのリハビリを再び受けられることは、回復を継続させるための方法へ、能動的に探究する姿勢へと、私を変えて下さいました。
どうしたら良いのかわからない時に、飛び込んだ環境が、脳卒中後の人生において重要なポイントであったと思います。
マンネリ化
誰でも陥ってしまうことだと思いますが、リハビリとして、ずっと同じメニューをこなしていることに、満足してしまうという事です。それでも、何もしないより、はるかに良いのは事実ですが、リハビリ自体がマンネリ化し、麻痺を改善するには、刺激が足りなくなってしまっていることに、気付かなくなっていると思います。
体の変化も起こりにくく、モチベーションも低下し、努力しても無駄だと感じたら、行き詰ってしまいます。
自分自身を再評価し、リハビリのメニューを、見直すことを考えた方が良いと思います。自分にとって少し難易度が高く、しかも自分の生活が豊かになることを中心に、目標を立てるべきだと思います。
旅行に行きたい、結婚式に出席するなど、自分にとって重要な目標や期日のあることによって、リハビリの意味や意欲が上がり、有意義なことになるはずです。
生活そのものが、リハビリだと思います。
担当セラピストが変わる
発症8年以上の中には、20人以上のセラピストに、何らかの形でお世話になりました。
セラピストなら皆同じような技量かというと、そうではありませんでした。得意な手技、性格、考え方、私との相性など、患者の私から見ても、プロなのにこんなに差があっても良いのかと、疑問に思うくらいでした。
急性期病院、リハビリ病院、通院リハビリ、通所リハビリ、訪問リハビリ、自費リハビリ、整骨院と渡り歩き、その施設の中でも担当が変わることなど、色々な担当者と接するうちに、私が本気で後遺症を克服しようとしていると、セラピストなりのアプローチを、一生懸命に施術して頂ける。又、担当者が変われば、違った思いもよらないアプローチがありました。それらは、私とセラピストの信頼関係も必要なことだと思いましたが、私にとって回復を続けていくための、新しいきっかけになりました。
プロスポーツ選手が不振になると、コーチを変えることがあると聞きますが、世の中には私が知らない方法がいっぱいあって、セラピストが変わることは、それに触れるチャンスでもあると思います。
患者としては、「セラピストを変えて下さい。」とは、言いにくいものですが、同じセラピストと何年も取り組んできて、良くならないと感じていたなら、一つの方法であるかもしれません。
知識
生きる上で、自分にとって必要なことは、詳しくなるのは当たり前のことです。自分の家族、仕事、趣味など、関心のあることには、専門家のようになっているでしょう。
例えば、自動車が故障した時は、自動車整備士に任せるでしょう。整備士は修理出来るのは普通で、治ってなかったとしたら、「ダメな奴だ。」と言って見下すでしょう。しかし、何の知識も無い自分では、手も足も出ないでしょう。
それよりも困ったことが、脳卒中で後遺症が残ると起こりました。自分ではどうすることも出来ず、セラピスト頼りになり、本当に正しい施術をされているかも、判断できず受け身の姿勢で、リハビリを終了されてしまうと迷子そのもの。
知人から「脳卒中をしたら、人生は終わり。」というようなことを言われても、何も言い返せない。自分の体はもうダメだと思っても、買い換えることなど出来ない。挙げればキリがありません。回復はプラトーなどと楽観できる以前に、お手上げ状態そのものです。
少しでも良い脳卒中後の人生を送ろうと私が考えたのは、自分の後遺症について、少しずつでも理解しよう。そうでなければ、道は開けない。「脳卒中になったのは変えられなくても、これからの人生は自分で決める。」そう決意しました。色々な知識が増えると、自分を客観視出来るように少しずつなりました。
回復の方法などを知ると、自分の体で試してみて、私にとって合っているのか?そうでないか?実験して確かめました。
どうやら何年経っても改善できそうだ。しかし、自分の努力次第だと覚悟できました。
改善し続け、プラトーを打ち破るには、知識は不可欠だと思います。
当事者である私自身は現在でも、何故? どうして? と感じてばかりで、何もわかっていない自分にイライラしています。
医学や科学などでも、人体のことは、殆ど解明されていないようです。まして、脳卒中の後遺症の回復についての研究は、まだまだ、足りないようです。しかし、探求され、新事実として、解明されつつあるのも、心強く思っています。
幸せのかたち
私は自分の後遺症を改善し、どこまで治るのかを追求することが、現在の私の幸せや人生の目標の一つになっています。そのためには、どんな努力も惜しみません。
しかし、そんな私は少数派なのも理解しています。
現在は脳卒中による後遺症は、半年過ぎたら改善しにくいという常識があるので、後遺症と共に生きる上での、自分の幸せを追求する方が「賢明だ。」と、選択する人が一般的です。
それだって相当に苦労しますし、色々な困難が立ちふさがって来るでしょう。
その人なりの求める幸せのかたちは、違うのは当たり前です。何が幸福なのかは、その人が決めるものです。
希望の光となる情報を目にする機会が、増えて来ていると感じます。
脳の磁気刺激、ロボット支援、再生医療、振動 レーザー 電気刺激、色々な療法など、研究が進んでいるそうです。
障害の差以外に、本人の性格や体験、運動習慣などによって、リハビリ意欲に差がありますが、誰もが苦労せずに楽に、元通りになる日が必ず来ると、思い願っています。