高次脳機能障害

はじめに

私は今現在も、理解できていない事柄で、私がした体験や、見た事のみについて、誰かの役に立ちそうな内容のみ発信いたします。
程度や種類が様々で、脳機能が複雑に絡み合っているので、症状ごとに分類していても、それだけではそうなっていない、複雑で当事者でも、何故そうなってしまうのか、分からない場合が多いようです。
ましてや、他人からは、外見では分からず、理解というより、想像力に頼る所で、察して頂く感じでしかありません。しかし当事者にとっては、大問題で、自分がこの世に、存在する
ことに意味を感じないほど、自分の殻へ閉じこもるキッカケとなってしまう原因です。
そこには、当の本人はもちろん、家族や社会が正しい理解や、対処の仕方を共有しないと、生きにくくなるのは、仕方ない事ですが、現在はまだ遠く思えます。
ただ、回復は、一生続くというのは、事実ということです。
私の場合、脳梗塞で倒れてから一年半~二年位は、非常に辛く苦しい日々が続きました。
正常な機能を持っていた脳が、脳梗塞によって壊れてしまって、何とかしようとパニックを起こしている間は、正常な働きなど出来ないし、落ち着いてくれば、元に戻るようになる。
それでも残った障害は、トレーニングする事で、再構築できるし、出来なくなった事があっても、出来ることに着目し、それを伸ばしカバーすることも出来ると思う。焦る必要はない。
それより、実生活を安定させるトレーニングがまず必要で、きちんと食事を取り栄養をつけ、運動して体力をつけ、良い睡眠で疲れを取り、そういう基本的な生活が充実しなくては、いろいろ試しても上手くいかないでしょう。そこから始めることで、心や体が安定してくると、良い循環が始まるはずです。
セラピストが付いているうちは、話を聞いてくれて、対処方も教えて下さるでしょう。
それを上手く、自分のものにしていくのは、ご自身の努力しかありません。
私も、良い情報が分かり次第、ここで発信し続けたいと思います。

易疲労性

はじめに

私にとって、脳梗塞の後遺症の中でもっとも辛かった。
自分自身が、すぐ疲れてしまって情けない人間になってしまった感じで、倒れる以前は、タフさを自分の特徴と自負していた私にとって、何かをしようして何も出来ないうちに、脳がパンクしたように萎えてしまう。一番ショックで許せないことでした。
体の麻痺は、すぐに他人から察しが付き、言い訳など必要ないが、脳の事は、外見から分からず、また大病したことのない健康人からは、まったく理解されにくいということを痛感しました。社会に戻るためには、何とか克服しなければならないと思いますが、焦る必要はなく、健康について有難さと、宝物のような物だと、再認識する機会がもてたと考え、腰を据えて向き合って欲しいと思います。

リハビリ病院

リハビリ病院でのはなしを致します。
一時間のリハビリを終えると、自分の部屋まで、セラピストが見守りで付いて来てくれるが、私が疲労困憊して、ベッドに倒れ込む姿を見て「体が疲れているの?それとも頭が疲れるの?」と言って帰って行ったのがきっかけとなった。まったく病識が乏しかった私は、右片麻痺になったせいで、こんなに疲れるのだと考え、疑わなかったが「頭が疲れるの?」が妙に引っ掛かったが、理解する事は出来なかった。
脳卒中で入院している方達に聞きまわったが、あまり疲れないとその時の方々は言っていた。よっぽど私はダメな患者だと、余計に考えるようになった。
そんな時、主治医が私の病室にやってきて、コンコンと話し出した。「私の友人が脳卒中で倒れて、元気になってからの話を聞く機会があって、その時に言っていたのは、ものすごく疲れやすくて、それが辛かったと言っていたわよ。」と初めて、私以外にも疲れに困っている人がいる事を知ることが出来た。私自身が、情けなくなったのではなく、後遺症だとわかったら、少し心が穏やかになったし、ある意味救われた気がした。

リハビリ病院を退院

リハビリ病院を退院してから、ますますわたしを悩ませる症状で、色々なことが重なり合って、酷くなって感じられたのと、自宅に戻り生活するだけでも、色々な刺激が強くなり、新たな症状に気付くという感じだった。
・お見舞いを大勢の方から頂いたので、退院の報告を一軒ずつ毎日のように回った。
・歩くのにも温度、風、雨、足元の悪さ。
・入院中もテレビを見たくないと不思議に思っていたが、テレビの画面が青く見えて、すごく疲れる。妻とスーパーに行ったらピンク色に照明が感じられる。
・音に過敏になり、時計の音さえ耳障り。神経に障り止めてしまう。
・不眠が酷く、少し頑張ったりすると、神経が高ぶり眠れない。眠れないと次の日を棒に振ってしまう。
・田畑の雑草が気になり、ハンマーナイフで刈るが、ものすごく疲れる。
・借りていた店舗を、大家さんに返すために片付けが必要。Etc.
今考えると無謀と思えることをしていた。知らないとは恐ろしい事だが、真面目にやってしまった。
入院している時は、色々なことから守られていたのだが、社会に戻るためには、しなければいけない事が多すぎるし、私も妻も、元気な頃の私の尺度しか持っておらず、それをこなす事が大事だと考えていたが、主治医のキツイ一言を思い出していた。「あなたの体はもう終わったのよ。これからは健康のためだけに生きなさい。」ある意味本当のことだった。
まず一人前でなくなった自分を、自覚する必要があった。次に私の取り扱い説明書を作ること。これも主治医からのアドバイスです。自分で普通の生活が送れるようにする事、それが出来ないのに社会に戻るというのは、目標を高く設定しすぎだったのです。

私の取り扱い説明書

こういう行動をすると疲れるとか、体調が悪くなるということをはっきり、私と妻で理解する事から始めた。人として普通のことをするには、当たり前なのだが、私の脳がストレスに対する容量や耐久性が少なくなってしまっていると理解し、今はそうゆう事を遠ざけたり、限度を作った。
テレビは観ないとしたが、ただでさえ病人がいるだけで、家の中が暗くなるのだが、憩いにはテレビというのは良いものだし、私自身、元気な時は、大好きだったが、今は画面や音が脳の中で、情報処理できないようで、しかも少しでも悪いニュースを聞くと、必要以上に反応し、自分の心が整理出来なくなってしまった。まるで幼児のような反応になった。
お見舞いに来て下さる人も多く、私が対応して、元気な姿で明るく出迎えるのが一番で、そこには言葉も必要なく、来て下さる方達に安心をしてもらうには、私を見てもらうことと思う。
しかも私自身も、色々な話が出来るのは楽しく、社会とつながっている感が嬉しくて仕方な
かったが、30分位がいいところで、それ以上になると私の限界のようだった。
草刈りは、しなければならない事なので、一日一か所だけと決め、体調が悪くなりそうな前に中断して、家に戻るようにした。例を挙げればきりがないので、こんな風に今の生活を快く送ることを、中心に考えました。まるで子供に対する接し方で、自分を成長させるという感じで。全てが出来なくなったのではなく、トラクターやユンボの操作をしている時などは、まったくストレスを感じなく、楽しくてたまらない。そんな所もあって50歳過ぎのおやじである部分と、子供のような開発途上な所が、私の中に存在するという変な感じに襲われていたが、受け入れてしまうと、それが自分の今の特徴だからと、納得できるようになっていった。
主治医に今の私の状態を説明する時に「小学校低学年ぐらいになったと思います。」などと報告していたら、後になって言われたのは、「あなたの独特の表現の仕方には、いつもドキドキさせられていた。」と言われました。
でもそんな感じで乗り越える事が、出来ていくと思います。まだ子供だからしかたがない、成長すれば自然に大人になるはずだと、自分を納得させ、多少のことは大目に見ることが当たり前になっていかなくては、対処できないと思います。

ウルトラマンのカラータイマー

私の取り扱い説明書を作る中で、自分の体が、脳の限界が近付いていると、サインを出すようになったことに気が付いた。
①酸素が足りなくなったように、ハァハァゼィゼィ息が荒くなって
②麻痺した体が重く動きにくくなってきて
③体が冷たくなって
④おでこにブツブツが出てくる
私特有の症状かもしれないが、ウルトラマンのカラータイマーのように、私にもう休めというサインとして、ある意味便利な体になったと感じました、
元気な頃の私は、仕事や、スポーツ、ゲームなど、疲れてきてからが大事だと考えていた。
普通は、疲れると失敗が多くなり、判断力、体力を失くし、能力には個人差が出やすくなる。
その時に頑張れば、成果を出すチャンスがある。それを得意とする、私の長所と考えていました。きっと、酷使され辛かった自分の体が音を上げ、この位どうにもならない体にならないと、私はこういう生き方を、やめなかったと思います。
今は、真逆になってしまった自身に、少し頑張り過ぎた自分を労わらないといけないと反省する為、大きなペナルティを頂いただけなので、真摯に受け止めようと思っています。色々な不調が襲ってくるが、その時は、通り過ぎるのを、じっと待つという方法しか見当たらないが、それが今は「自分にとって最良だ。」と心に言い聞かせ、体調が戻ったらまた、やりたいことが出来る、いつまで続くはずはないと希望は、絶対捨てないと考え続けていました。

リセット

自宅とは、安心安全な場所で一番心の安らぐはずですが、どんな場所でも良いので、トレーニングしたり、心を癒したりできる所があったらもっと良いと思います。
脳や心が疲れたと感じた時に、開放してリセットすることが出来る、方法や場所があると楽になると思います。ゆっくりと音楽や本を楽しむとか、好きな景色を眺めるとか、何でも良いと思います。又、いつも同じ所にいるというのは、刺激が少なすぎと感じたら、無理が掛からない程度に色々な所に行くと、自分の五感に刺激になって、良い結果が得られる事がよくあります。
社会復帰という目標があった場合など、私のように急ぎすぎると失敗してしまい、ガックリするという事になりかねないので、少しずつ行動範囲を広げていった方が、自信をつけていく良い方法になると思います。
私は畑で土いじりをして、色々な虫の優雅な生活ぶりを眺めたり、畑の裏を流れる川を眺めたり、元気な頃は時間も無く忙しく働いていたことを思い出し、今は私のご褒美の時なのだと感謝しています。脳梗塞に倒れてから自分の状態に関係なく、焦って早く治って社会に戻ることしか考えられず、自分自身をいじめてしまって、大きくバランスを崩していたと思います。まずは自身をよく観察し、生活の立て直しが必要だと思います。
出来なくなったことが、元通りにやれるようになるという高い目標でなく、少し取り組めばできそうなレベルまで下げて、小さな成功体験を積み重ねることが重要で、些細な向上にも気が付き、家族みんなで喜び褒めることが、本人のやる気にもつながるのは間違いないです。

ナンプレ

発症から一年半以上過ぎた頃、ようやく通所リハビリに慣れだしてきて、少し余裕が出てきたので、何か自分が興味を持てるものはないかと、探していたら、ナンプレ(数独パズル)という1~9の数字をマス目の中で、重複しないように入れていくパズルゲームを発見しました。最初のうちは、ゲームそのものの理解もてこずり、簡単な問題でも正解を出すのに、一週間近くかかったが、だんだんと楽しさが分かり、一年もやっていると超難問まで解けるようになった。
私の変化を見ると、霧がかかっているように、頭がボーっとして、回らなかったのが、ナンプレを楽しく遊んでいるうちに、新たなことを学習することに、ストレスが少なくなって、慣れていったという感じです。楽しいがやりすぎると疲れるを繰り返していくと、脳がついてくるという感じだった。きっと好きでもない事をするのは苦痛で、長続きしないと思うので、少なくとも興味があることに、挑戦した方が良いはずです。
脳の情報処理能力が足りなくなると、面倒くさいと感じて、色々なことに無関心になったり、自己防衛本能が働きキレたり、人生に於いてハンディになってしまう。
よく「脳卒中患者を、あの人はやる気がないのでダメだ。」と言われるのを聞く機会が多いと思いますが、後遺症がそうさせている、だから温かく見守ろうと、理解して欲しいと思います。ちょっとしたトレーニングの仕方が、分っただけで解決するからです。

峠を越える

2年過ぎた頃から最悪期は過ぎて、徐々に楽になっていったと、感じ出しました。
それでも疲れやすいというのには変わりないが、良くなるという見通しが実感できたことは、心を前向きにする一番の特効薬でした。
こんなにやりたいことも出来ず、日々の生活に生きる意味が持てないのが、死ぬまで続くのなら、生きる価値すら分からない。しかし希望の光がぼんやり見えたとたん、迷いは吹っ飛び、力が湧いてくるのが分かりました。
精神活動や肉体は、脳活動が整っていなければ、成り立たない事がはっきりと感じます。
発症から半年の頃、私を見たセラピストが「今読んでいる本に、精神は肉体を上回り、何より強いと書いてあるので、もっと頑張るように」と励ますつもりで言ったと思いますが、専門家としてあまりに無知で、人を見下す感じに、心が凍ったのを覚えています。
脳機能が壊れた経験がないだけでなく、他人を思いやることが出来ずに、リハビリの世界に属しているのは問題だと思います。元の自分に戻ろうと、必死にもがいている人の、手助けになるには、目の前で苦しんでいる人と、真摯に向き合って欲しいと思います。
何の問題もなく生活していて、健康に自信を持っていた人でも、突然脳卒中に襲われ、最悪命を落とす人も、後遺症が重く辛い人も、何の後遺症もなく元の生活に戻れる人も、特別な人ではなく、生身を持つ人間は、病気やケガはあって普通です。
誰でも起こりうることを、理解して欲しいと思います。
脳は壊れた部分を補おうと、脳全体で再構築して自分を取り戻そうと、エネルギーを使っている間は、疲れるのは当たり前だ。回復の過程で起こるとイメージすることの方が、自分を肯定でき、良い結果に繋がるはずです。

脳の再構築

発症5年くらいたつと、疲れやすいという状態は徐々に少なくなってきましたが、完治というわけにはいきませんでした。
しかし対処の仕方が分かってからは、上手く付き合えるようになったと思います。
脳卒中前は普通にしていた事でも、脳卒中後はそれをこなすまでに、精神や体の使い方を学習出来るまでは、相当なストレスが掛かります。
まだ挑戦したいと思っていても、途中で違うストレスの無いことに切り替えたり、穏やかな気持ちになるよう休息を入れたり、早めに切り上げたりすると、あまり大きなダメージを負わなくて済むようになりました。
長い目でゆっくりと、自分の能力を上げようとした方が、逆に早く身に付くことも、はっきりとわかりました。
小さい頃の記憶は、誰もが忘れてしまっていると思いますが、そんな体験をしながら成長したはずです。
脳卒中という大きなダメージを負い、脳は自分を守るために、運動や作業、色々なメモリーを捨てて、自己防衛したのではないでしょうか。
自分の命の危険が無くなったら、正常な機能を取り戻しても、失くしたメモリーは再学習でしか取り戻せないように感じます。どんなことだとしても初めて経験することは、刺激的でしかも思い通りにならず手こずるものです。
子供に返ったと考えて、色々なことが出来るようになる喜びを、再び味わえるとポジティブに考え、多少の疲れを負うのはしょうがないと思います。

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