はじめに
脳幹梗塞(2014.3.24)を発症してから、もうじき10年になります。
障害を少しずつ克服しながら、新たな自分らしい生き方を構築しつつあるなか、まさかの再発(2023.12.23)でした。
今回は2ヶ月ぐらい経過すると、幸いなことになんの後遺症も残らず、発作前と変わらない状態に戻りました。
その出来事は私にとって良い薬になり、色々な気付きをもたらしてくれました。
経過
2023.12.22
2~3週間前より、少し難儀な作業に取り組んでいて、その日は疲れ切ってしまい晩酌も出来ず寝てしまいました。24時頃、目の異変に気付いたものの睡眠薬が効いていた為、眠ってしまいました。
2023.12.23
目覚めると眼振と複視で目が回り、一人で立つことが出来ない。8時頃救急搬送され10年前お世話になった急性期病院で処置、即入院となりました。
医師の診断は、脳幹中脳梗塞、動眼神経麻痺、いろいろな障害が出る場所ではないが、目は長期になると思います。10年前の梗塞は相当に酷い障害が出たでしょう。中脳が少し崩れてしまっています。MR画像では、今回以外は10年前から変わりなく、新たな病変はありません。
私の自覚は、激しく上下への眼振と、複視、片眼で見ないと周りの様子もわからない。ただ身を医師に任せるだけ。病室に移動、目が回り、吐き気が酷い状態。
看護師や医師が入れ代わり立ち代わりいらっしゃり、慌ただしく私の命を案じてくれて感謝しかありません。その都度、片眼を開けて感謝を伝えていましたが、顔がはっきりと見えなくて、お名前と顔が覚えられなくて困っていました。
体は右手首から先に痺れがありましたが、動きは変わりませんでした。
2023.12.24
吐き気が酷く食欲がありません。自分に起こったことを観察すると、左右の目が上下へ眼振して、右目と左目の視点が病室の天井で1.5mくらい離れている。視力も悪く、古いデジカメのような画素数が粗い感じではっきり見えない。
妻と話したのですが、「自動車免許証は返すことになりそうだし、いろいろな役を誰かと代わってもらわないといけない。困ったことになった。」
しかし、10年前の経験があったため入院生活は勝手がわかり、冷静でいられました。
そして手足が動くということが、心の支えになっていると感じました。
2023.12.25
朝目覚めると、急に全ての症状が改善していました。
眼振は、上方は無くなり下方を向くとまだありました。複視も目に力を入れると少し戻ろうとし始めました。それに伴って吐き気も弱まりました。視力も少しずつ戻っていき、顔がわかるように段々なってきました。担当医師も驚きを隠せないようでした。
午後、リハビリで廊下を歩いた時、流動体の中に自分が居るようで、不思議な感覚でした。
2023.12.26
増々改善しました。眼振も下方に軽くあり、複視も目線の動きには付いていけないが、直視なら合うようになりました。右手の痺れは指のみになりました。
リハビリの時は、廊下は普通の見え方に近づいてきたが違和感が残りました。
この頃から左顔面麻痺があるのを感じましたが、それほど気になりませんでした。
2023.12.27
目は病院内では、ほとんど問題なく感じられました。右手は指先のみの痺れになりました。車椅子でMR室に移動中、目がスピード付いていけないようでした。
リハビリはいろいろな情報をセラピストと交換しました。私の10年間のいろいろなリハビリは、面白いようで話が弾みました。その中でリハビリも正月休みに入ってしまい、私が入院する意味がなくなる。むしろ生活に戻ることがリハビリになるのでは?という提案もいただきました。
その日の夕方6時頃、担当医師より「明日退院しますか?」と告げられました。
2023.12.28
朝9時まで点滴を付けていましたが、10時に退院してきました。
妻の運転で30分位のドライブですが、私の目には車のスピードに慣れないような違和感がありました。右手の痺れもいつの間にか消えていました。
退院後
なるべく安静にしていましたが、メールなど実生活に引き戻され、家長としての役目からは、逃げられないようです。
右わき腹の痛みと、左顔面麻痺は段々と悪化し、1月15日頃をピークとして、左半分が熱を持つような痛みを伴い、まばたき出来ず、目が乾くので点眼薬でしのいでいました。
顔の左半分は別人のようで、何だか怖さのようなものを放っていました。
その上、左首後と横が凄くコリ、湿布を貼り揉んでいましたが非常に苦しいので、自費リハビリで1月16日に鍼とポバース療法を施術してもらいました。直後から瞬き出来るようになり、首のコリも軽くなりました。早い対処が良かったようで、2ヶ月位で完治したと思います。
動眼麻痺はいろいろな違和感が、生活の中では感じました。とにかく普通の生活をあまり疲れないレベルで慣らしていきました。2ヶ月位で正常にもどりました。
新たな気付き
リハビリ
10年前にお世話になったOTと再会し、懐かしさや、安心感など思いがけないほど私を勇気づけて頂きました。10年前の私を知る方との意思疎通は一瞬にして起こり、いろいろな情報交換が行われ、信頼関係を築け、有意義な時間を過ごすことが出来ました。
又、女性PTのリハビリも受けることができ、本来のリハビリとはどういうことなのか気づくことができ、私のモヤモヤと迷った心の、向かうべき方向を示してくれました。
10年前、ここのリハビリを出発し、いろいろな施設やセラピストを渡り歩き、再び戻って来ることになりました。その経験は私の財産となったが、急性期病院ならではのリハビリの基本理念、患者に対する姿勢など、重要なことに出発時点で触れていたことに気付かされました。
もっと良い方法はないかと、探し求めさまよったことは必要だったが、基本的な人間の能力をコツコツと再トレーニングすることをないがしろにして、進もうとすることは、基礎がいい加減な建物のように、もろいものを築くことだと思いました。
それ一辺倒だけでは、脳卒中の後遺症を克服出来ないと思いますが、自分が納得して、進むことが大事で、その方にそれぞれのリハビリが無数に存在しても当たり前だとも思います。
麻痺足で片足立ち
歩行だけであれば、片足で立てなくても問題ないと思います。私の場合、現在も麻痺足では片足立ちは出来ませんが、他人から見れば普通に歩いているようです。
しかし、麻痺側の右半身のいたる所が、動こうとすると曲がったり、力が入ってしまったりします。高所や足元が不安定な所などは、危険すぎて避けています。ゴルフや走るなど、運動欠調や右の軸や支えが不十分です。etc
動かしにくい体をどう上手く使うか、どう生活を立て直すかなどが、私にとっては重要でした。
いろいろな不具合を、克服出来る所から改善してきた現在の私にとっては、片足立ち出来る能力も解決しなければならない一つになったと思います。
今回PTに教わってきた代表的なことは、スの字になってアキレス腱などを伸ばす運動があります。私は10年間毎日のようにしてきました。私の現在は、右足膝の支持が弱いことが片足立ち出来ない一番の原因なので、膝の上方の筋肉を鍛える必要がある。スの字の運動で右足が前の時、膝を曲がったまま安定して、体重を支えなければならない。出来れば手で体を支えず、右足で支えるようトレーニングして下さい。私は理解し、PTさんに教わりながら大汗をかきながら行いましたが、ほとんど出来ませんでした。
左足で試すと、なんのストレスもない運動です。同じ運動のようでも本人の意識によって、まったく違った運動になる。
急性期病院のリハビリは、長期に患者と関わることが出来ないため、目の前の患者に基本的なことを誠心誠意伝える術を、心得ていると感銘致しました。
顔面麻痺
入院時、気にならない程度の左顔面に口角の下がりがありました。
退院後、段々と悪くなり、1月1日頃には左側が痛み、オデコがツルツル、瞬きしにくい、表情筋が麻痺、首の後ろ、横の筋肉が痛みを伴いカチカチに張ってしまいました。目薬、マッサージ、湿布、電気治療器など自分なりに取り組みましたが、段々と悪化。
1月5日に私の主治医へ急性期病院からの紹介状を持参しました。薬の処方など一生懸命の様子で、顔面麻痺の相談をしましたが、私のしている方法以外ないと言われました。
とても苦しかったので1月16日、通っている自費リハビリに救いを求めて行ってきました。自宅から電車を利用して2時間以上かかってしまう所だったのですが、リスク以上に少しでも楽になればと思い、どうにか行けました。
鍼治療1時間
左顔面に鍼を刺し電極を付け、ピクピクと刺激を30分位行うと、左右の瞬きが同時に起こるようになりました。そして左首の凝っている所へ相当数の鍼を刺すと、終わる頃には楽になりました。私が店に入って来た時、鍼灸師が私の顔を見て、「これはヤバイ。どうしようと思ったが何とかなったようだ。」と言っていました。
ボバース療法1時間
顔面の筋肉は表情筋と姿勢制御に関わる筋肉に分かれています。瞬きや額は、首や肩、背中などの筋膜で、頭の後方に引かれている。筋肉、筋膜の調整や姿勢に伴う筋緊張を改善して頂きました。
施術終了後、鏡を見せて頂きましたが、だいぶ自然になった顔があり、左目も楽になりました。帰り道も妻とやっぱり来て良かったと喜びながら、思わず笑顔で行けました。
1月末には他人からは、気にならなくなり、二ヶ月も経つといつの間にか治っていた感じでした。
リハビリと一言で言いますが、施設やセラピストによって、その知識や能力は大差が現在はあると思います。レベルの高いリハビリを探し求めて、たまたま出くわしていた私はラッキーだったと感謝しております。
しかし、誰でもどこにいても、適切なリハビリが受けられる日が来ることを願います。
脳梗塞再発
脳卒中は再発しやすく、再発すると障害や後遺症が憎悪するということは、本やメディアから知識を得ていました。
私の場合に限って言えることは、今回は障害が残らず本当にラッキーなことだったと思います。
もしも10年前が今回のようでしたなら、きっと私は何も改めようともせず、もっとひどい人生になっていたかもしれないが、10年前の後遺症があったから、今回は良い薬になりました。
私のウィークポイント
MR画像を担当医からいろいろと説明を受けた時、10年前の梗塞の場所は、悪く相当に酷い障害が出たでしょう。今回のMR画像を見ると、中脳の梗塞後が変形している。
今回の梗塞場所は、いろいろな障害が出る所ではないが、動眼神経なので、少し長く時間が必要になるかもしれないと言われました。
脳幹の中脳は、いろいろと人間にとって大事な機能を担っているが、ド素人の私が画像を見ると、あまり離れた所ではなく、しかも中脳という限られた所に2回も脳梗塞が起こるなんて、もしかするとその辺の血管に問題があるのかもしれないと、思わずにはいられません。私の体の弱点なのかもしれない。無理な生活をすると、次はただでは済まないと自覚しました。
生活の見直し
2~3年を振り返ると、息子夫婦と食事をすることが多く、若い人に合わせたメニューになっていました。高カロリー、揚げ物が多く、肉食、運動量が少なくなった私にとっては、問題がありそうでした。見直した現在は、野菜や魚中心に妻が気を使ってくれています。病院の食事メニューが良い手本になりました。
そして、10年前の発症から2年位はどんどん体重が減ってしまって、60㎏台になって体が寒く、重く動けない苦しい思い出があり、体重が増える分には良いと考えていました。
再発時には85㎏くらいになっていました。
人生で初めてのダイエットをすることにしました。
私の身長は178㎝で、同じ位の健康そうな方々に体重をお聞きすると75㎏位でした。
目標は1年位かけて75㎏に落とすことに致しました。
睡眠薬
入院すると普段飲んでいた薬を提出し、担当医が投薬管理します。
私が困ったのは睡眠薬です。10年かけて、いろいろと眠れない苦しみと戦いながら、減薬を自分なりに取り組んできました。その事情を担当看護師に説明いたしましたが、とりあえずそこの病院が用意した眠剤を、出してくれることになりました。
一日目の夜、12時頃眠れないので一錠、何という名前の睡眠薬か?わからなかったが出してもらいました。それでも眠れないので、ダメもとでもう一錠お願いすると、ありがたいことに頂けました。いい感じに薬が効くのですが、眠りに落ちることなく朝を迎えました。
担当医にそのことを話すと、私が持参した睡眠薬を使って良いと許可をもらいましたが、なんとなく気まずい思いを致しました。
退院時も睡眠薬の処方をお願い致しましたが、しぶしぶという感じで帰宅後確認すると、薬の用量が減らされていて使い物にならないものでした。
1月5日に主治医の所を受診して、睡眠薬はギリギリ足りました。
その時点での私の睡眠薬は、ベルソムラ錠20mg、ルネスタ錠20mg,ブロチゾラム錠25mgを1/4欠片、自分なりにはギリギリに減らす努力をした結果ですが、睡眠薬に頼らなければ眠れない、自分自身に後ろめたさが10年間付きまとっています。そのうえ医師からも何となく否定されているように感じます。
まず三種類の睡眠薬は、医師が処方しにくいようなので、ブロチゾラム25mg1/4欠片を無くそうと考えました。トライした結果、挫折を繰り返し、段々と眠れなくなってしまいました。
退院時、薬剤師に急性期病院で処方している眠剤は、デエビゴだと聞いていたのを思い出し、ネットで調べてみると。ベルソムラとデエビゴはオレキシン受容体拮抗薬で、現在は比較的安全性が高い眠剤と言われているものでした。どうも入眠作用はデエビゴが勝るようでした。
2月2日からベルソムラ20mgを、デエビゴ錠5mgに変えて頂きました。
今までの経験では、医師に勧められた睡眠薬に慣れるまで、眠れない夜を多く送りながら、やっと慣らしたのですが、デエビゴは初日から良く眠れました。
いずれにせよ睡眠との折り合いはなかなか尽きませんが、睡眠薬はいろいろと問題が多い中、取り組んでいかなければならないと感じました。